2014年3月アーカイブ


 『 脱俗や
  心の深き
  底の底
  小さき物の
  抜け落ちてこそ

   小さき物
  我執の芯と
  仏いう
  脱俗 解脱
  安心 自由 』

 ( 愛知・男性 )

  ありがとう
   ございます。


 「 解脱 」
 ( げだつ )
 我・自分に
執着・こだわる事
からの、解放・救い。

 しかし、
むずかしい、
自分にこだわらず
自分を捨てることが
善いとは
気づきにくい

 この世
ここを、利用悪用する
事も多い

 自分を離れる事が
よりよい自分に
つながるという
小さな経験・体験を
積み重ねたい
ものでございます。


 
「 知識 」より
「 思考 」が大切、

<思考>は、自分を
離れる事でもあると
存じます。
慈悲のために。
やさしさのために。
だから、
思考は停止できない。

また、
「 思考 」より
「 体験 」が大切と
( 行為 )
存じます。

<行為>は
自分を離れた
慈悲そのもので
ありたいもので
ございます。
 なかなか、
できない理想で
ございますが、、、。

 しかし、
 あくまで、
『 こころ 』と
『 いのち 』の世界で
ございます。
( 微笑 )
( あまちゃん世界?
  それでも
  いい 。 )


 世の中の試験は
どうしても、
「 知識 」中心に
ならざるおえないと
存じますが、
ここで、世間に負けず
「 思考 」を深め
「 体験・行為 」を
小さくも、少しずつ、
積み重ねもので
ございます。

  つづき ます

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
 残月 合掌


< 花だより

 なんと、
 今年は、椿が
 美しいのでしょうか

 乙女椿、
 一輪咲きました。

 一輪だけです。
 ( 微笑 )  >

失礼いたします。
 よき一日で
  ございますように。

  愚僧  百拝


   
 

3月30日(日) 目と命と心  4

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  命の根
 いったいこれは
 何でしょか ?
 これが分かれば
 この世は楽し。

  以下は
 昨日の駄歌で
 ございますが、
 よりよく思考する
ために、くりかえし
ます。


 『 答えなど
 あるものかとぞ
 人のいう
 バカいうなかれ
 命、歓喜す。

   答えをば
 もとめぬ人は
 世の中で
 人の谷間の
 苦しみ多し。

   脱俗や
 人の谷間の
 中にいて
 青空みつめ
 命の根、知る。
  ( 知れ ) 』

 
  脱俗や
 山の仙人
 ではなくて
 町のボサツぞ
 尊きものよ。
 
  脱俗や
 損や得やら
 好き嫌い
 しっかりあれど
 正しく受けよ。


駄歌ながら
 敬と愛をこめて
   残月  合掌


<  募集です。
  ( 微笑 )

  俳句です。
 『 脱俗や
   ・・・・・・・
   ・・・・  』
 いかがでしょうか?

 お互いの
成長のために。 >

失礼いたします。

末筆ながら、
よき一日で
 ございますように。

 愚僧  百拝

3月29日(土) 目と命と心  3

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  「 命 の 根 」
 とは
 何なのでしょうか ?

  ゆっくり
 考えたいと
 存じます。

  もし、
 よろしければ
御考えいただきたい。
  
  このブログを
御忙しい中、
ご覧いただいてる
方がいらっしゃい
ましたら、

  わかりませんが
推測でございますが、
「 知識 」を
おもとめに
なられていない
御方と
拝察いたします。

  いっしょに、
遠いところに
いらっしゃる御方も
ともに、
 思考しようでは
ございませんか ?

  疑うためでなく、
 信じるために、
「 あるもの 」 を。
「 あるもの 」 を、
 広く深く、
愛するために。

  『 多聞 』
( たもん・たぶん )
多く聞き知ることは、

  「 命 」の
安心・満足・歓喜には
関係ない、と

  古人・先人・哲人
は、おっしゃられています

  
    つづき ます

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
    残月 合掌


<  答えなど
  あるものかとぞ
  人のいう
  バカいうなかれ
  命、歓喜す


    答えをば
  もとめぬ人は
  世の中で
  人の谷間の
  苦しみ多し


    脱俗や
  人の谷間の
  中にいて
  青空みつめ
  命の根、知る >

あいも変わらず
 飛びつつ
  失礼いたします。

末筆ながら、
  よき一日で
 ございますように。

    愚僧 百拝
  

3月28日(金) 目と命と心 2

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 目は心
 目つき眼差し
 ありがたし
 仏像おがむ
 人の気持ちよ


 よき人に
 出会う人生
 ありがたや
 目と目がつなぐ
 心と心


 命すむ
 心はきよし
 目をとじよ
 鳥よ さえずり
 水よ ながるる


駄歌ながら
 敬と愛をこめて
  残月 合掌

< 国際伝道 7

 overseas
  adventure
  travel
 
 の中で

「 日本 京都
 嵐山 大悲閣
  千光寺 」

 に来てくださる。

 責任重大です。
 ( 愚僧にとって )
 ( 微笑 )

 本日、
 いたりませんが、
 はずかしながら、
 されど、
 身と心を
 尽くします。

 天よ
 地よ
 お守りください >

飛びつつ
  失礼いたします。

3月27日(木) 目と命と心

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 目の色や
 数々あれど
 唯一つ
 慈愛の心
 美しきかな


 この世にて
 物人事は
 流れ行く
 慈愛の心
 まなざし優し


 ありがたや
 常に変わらぬ
 慈愛の目
 正しく受けて
 お返ししたし


 慈愛とは
 善意の
 眼( まなこ )
 ありがたや
 悪意の心
 しぼみ消えゆく


 怒りかな
 苦しむ心
 もがきます
 ゆるしゆるさる
 天地のこころ


 かなしかな
 悲しき眼(まなこ)
 かなしかな
 人の世つらし
 人の世くるし


 苦しとて
 思いなければ
 あちこちに
 美しきこと
 みちて溢るる

    つづき ます

駄歌なれど
  敬と愛をこめて
    残月 合掌

<「 花の山
  二町のばれば
  ぼさつさま 」
      残月

  観音菩薩(ぼさつ)
  さまが
  1200メートルの
  労苦を克服した
  「 ぼさつ 」さま
 を、御迎えいたします
 ( 微笑 )

  桜は、まだまだです
  椿は、まさに春で
  ございます。 >

飛びつつ
 失礼いたします。
 

3月26日(水) 心の器

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 昨日の「 命の根 」
その前の「 目の色 」
が、深くなるという
詩( おもい )を
味合いました。

今日もう一度
味合いたく存じます。
( 小生、文筆業でない
 ので、御許しください)

、、、、、、、、、、

『 涙をこらえて
 悲しみに耐える時

  愚痴を云わずに
 苦しみに耐える時

 言いわけをしないで
黙って批判に耐える時

   怒りを押さえて
  屈辱に耐える時

   あなたの
 目の色は深くなり
 命の根は深くなる  』

 心の「、、、」が
 深くなると、
 したいのですが。

  詩のつづきを
 心 とした場合
 どのように、
 御考えますか ?

  小生は、ひとまず
 「 器 うつわ 」と
 考えました。

『 心の器が深くなる 』

  みなさま方は
 いかがでしょうか ?
 よろしければ、
 お伝えくださいませ。
  御待ちいたして
  おります。

駄弁ながら
  よき詩とともに
  敬と愛をこめて

   残月 合掌

< 雨でございます。

 参詣者、いわく
 「 苦労して
   疲れて
   登ってきて
 御金がいるのか?」

 「 すみません 
   、、、、
 ありがとうございます」

  心の中で思います。
  先日の駄句です。

 「 花の山
   二町のばれば
   ぼさつさま 」
  

 『 ぼさつ 』とは
   損なこと
   嫌なこと
   つらいこと
   を、平気に(?)
 できる人( 微笑 )>

 失礼いたします。

3月25日(火) 命の根

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  昨日
『 目の色 』でした。
『 命の根 』も
昨日の詩に
ございました。

「 目の色と
  命の根が
  深くなる 」とは
どういう事なの
でしょうか ?

、、、、、、
共に、考えたいと
存じます。

「 目の色
  命の根 」
おもしろい
言葉・表現です。
、、、、、、、
、、、、、、、

先日の駄歌

「 命にも
  心にさえも
  我(われ)は無し

  御仏(みほとけ)
  感じ
 この世に遊べ 」


「 命にも
  心にさえも
  我なくば

  いったいどこに
  あるのやら  」


『  食事する
   本能なのか
   習慣か

   伝統なのか
   命でしょうか? 』


『  泣き笑い
   本能なのか
   習慣か

   伝統なのか
   心でしょうか? 』

   つづき ます

駄歌なれど
  敬と愛をこめて
   残月 合掌

< 花だより >

 今年は
とても、椿が
目につきます。
まだ、まだ、
でしょうが、
表、裏、横、
、、、、、、
 余談ですが
故郷、長崎県
五島列島は、
椿の名産地
でございます。
( 微笑 )

 わたしたちも
心の中に
花を、咲かせたい
ものでございます。

 失礼いたします。


3月24日(月) 目の色

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数十年前、学生時代
に、ある雑誌で読んだ
詩を御紹介いたします。
作者は、知りません。
宗教関係でした。

『 涙をこらえて
 悲しみに耐える時、

  愚痴を云わずに
 苦しみに耐える時、

 言いわけをしないで
黙って批判に耐える時、

 怒りを押さえて
屈辱に耐える時、


 あなたの
 目の色が深くなり
 命の根が深くなる。』


ご紹介です
 敬と愛をこめて
   残月 合掌


< 本日
 国際伝道
 5回目です。

 うまく行きます
 ように。

 一日一生
 清く全力で、
 お互いに。  >

失礼いたします。

3月23日(日) 春彼岸 3

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 昨日のつづき です

『 命にも
  心にさえも
  我は無し
  
  御仏感じ
  この世に遊べ 』


「 命にも
  心にさえも
  我なくば

  私はいったい
 何なのだろか ?」


「 命とは
  いったい何を
  いうのやら

  寒さ感じる
  今の私か ? 」

「 心とは
  いったい何を
  いうのやら

  つらさ感じる
  今の私か ? 」

、、、、、、、

、、、、、、、

あえて、今日の駄歌は
 ここまでにします
  考えて下さい
   ご一緒に
 残月  合掌


< 花だより >
寒い嵐山でございます
金曜は、まさに嵐でした

椿の花が、ちらほら。

大切な、乙女椿は
今年も、一輪だけ。
蕾が、日ごとに
大きくなってますが
心配です。(微笑)

「 花の山
  二町のぼれば
  大悲閣
    ( 芭蕉 ) 」
「 花の山
  二町のぼれば
  菩薩さま
    ( 残月 ) 」
           
お元気で、
一日一生で。
失礼いたします。

3月22日(土) 春分の日  2

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   春彼岸
 「 命をこえた
   命なり 」
   心静かに
   亡き人思う


   春彼岸
 「 命かさねた
   命なり 」
   心静かに
   亡き人思う


   春彼岸
 「 命つないだ
   命なり 」
   心静かに
   亡き人思う


   春彼岸
 『 心をこえた
   心なり 』
   命を感じ
   亡き人思う


   春彼岸
 『 心かさねた
   心なり 』
   命を感じ
   亡き人思う


   春彼岸
 『 心つないだ
   心なり 』
   命を感じ
   亡き人思う



駄歌ながら
 敬と愛をこめて
  残月 合掌

<  命にも
   心にさえも
   我(われ)は無し

   御仏(みほとけ)感じ
   この世に遊べ

        残月  >

飛びつつ
  失礼いたします。

3月21日(金) 春分の日

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今日は、太陽が
真東から登り
真西に沈む日です。

なんだか、
うれしく、
ありがたい気分です。


別の寺院で
彼岸法要をいたします。

午後は、大悲閣で
国際伝道、第4回目です
船が増水のため心配です

対策はございますが、
今回、歩いてもいい、と
おっしゃられている
みたいで、また、
それも、すばらしい。


さて、さて、
感謝の気持ちで
もって、全力で進み
たいです。

この一日
まちがい、
てちがい、
かんちがい、
おもいちがいを
しませんように
お守り下さいませ。


駄弁ながら、
 近況でございます。
  残月  合掌

<  春彼岸
   命をこえた
   命なり
   心静かに
   亡き人思う
      残月  >

失礼いたします。
   

3月20日(木)  形のない自己

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昨日、海外の方々へ
「 形のない自己 」と
いう言葉のプリントを
お渡ししました。

説明は、時間がなくて
できませんでした。
残念ですが、
またの機会に、と
思っても不可能に
近いですか。
( 微笑 )

「 本当の自己 」と
いう言葉があり、
現代人を、
苦しめている、とも
いわれています。
( 微笑 )

ここら辺の問題
疑問は、
『 自分自身 』で
考えることが、
重要なので、一緒に
考えましょう。


日常生活を、きちんと
しながら、
なすべき事をなしながら
善をなし
悪をさけながら
「 形のない自己 」は
なにか ?
考えてみてください。

たんなるクイズでは
ございません。

燃えるような、
向上心
( よりよい人間に
      なりたい )
( ・・・・・・  )
( 苦しみを
    のりこえたい )
( ・・・・・・ )などの
気持ち・思いを
もちながらで、
ございます。

古人の、いえ、
先人の言葉をまず、
信じることです。

親切にも、
考えてごらんと、
いってくださってます。


『 「 形のない自己 」
  に気づけば、
   しあわせに
    なれますよ。
  安心できますよ。 』


そうなのかなー?
本当かなー?

でございます。

   つづき ます

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
  残月  合掌

< 春分を
 むかえて嬉し
  犬走る

  白梅も
 紅梅もある
 この世かな

  自己つくす
 人をおまもり
  くださいな
  春夏秋冬
(しゅんか しゅうとう)
  時は流れど >

飛びつつ
  失礼いたします


3月19日(水) 伝道 № 3

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本日、3回目です。
まだ、まだ、当然ながら
バタバタしています。

内容ですが、以前
御話した、
戦後、久松大先生が
提唱された、
F・A・S 禅が
わかりやすそうなので
これを、お伝えしょうと
存じました。
( 2回 体験して )
本日からです。


理想として
すばらしい。
現代社会(日・米・)に
おいて、
どのように実践するか
が、問題で
ございます。


一般の職業生活を
家庭生活を、
営みながら、でござい
ます。 ここを、
愚僧は、創り上げたいと
願っています。
念願の、嵐山心学の事
でございます。

   つづき ます


駄弁ながら
 敬と愛をこめて
    残月  合掌

 <  F
  形のない自己

     A
  全人類の立場

     S
  歴史をこえて
  歴史をつくる


  日常生活での
  実行は、
  どういう事なのか ?

  社会生活では ?
  経済
  政治
  、、、、では ? >

  飛びつつ
    失礼いたします。

3月18日(火) 伝道 №2の反省

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  昨日、午後に
御報告するつもりが
やはり、できません
でした。
 失礼いたしました。


 嵐山大悲閣にいて
昼間、デスクワークを
する事はできません。
 手足を、動かすべき
事が、山積みです。
数年来の気がかり
成すべき事も、やれて
いない。
 本当に、恥ずかしい
と、思ってます。


 きっと、非難・批判は
轟々ごうごうの、
ことでしょう。
ごもっともで、
ございます。

  
 反省です。
無限のなすべき事の
において、よく考えて
こなしていかなくては。


国際伝道とともに、
春の彼岸がはじまり
春分の日の法要の
準備と重なっています。


 一般社会は、もっと
もっと、重層で複雑なの
でしょうが。


 他の人には、
なかなか頼めない。
きちんと、正式に、
御礼を、わたせないので
御願できないので
あります。( 微笑 )


 
 先日の、本堂の
大清掃は、完全な
ボランテアで、
まこと、ありがたい。
彼だから、できるし
彼だから、御願できる。
ありがたや、ありがたや
で ございます。


駄弁ながら、いえ、
  愚痴だ、よくない
 毒でした( 微笑 )

   残月 合掌

< 清き光が
満ち満ちあふれ
ますように。

 きちんと
正しく感受できます
ように。

そのために、
心身を、磨きたい
もので、
ございます。  >

飛びつつ、失礼
  いたします。

3月17日(月) 国際伝道 2回目

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天気がよさそうです。
雨の場合は
どうしょうか ?
たのみの船がでない
時は、どのようにのか?

すでに、有難い事に、
みなさまのご協力の
もと、決まっています。
有難い事です。
人の和による、
安心の確立です。
ありがたや、ありがたや

土曜日は、雨では
ございませんでしたが
増水のため、運航
できませんでした。
先日の雨のためでした。

準備のため、
これにて、
本日、午後の報告
できますように。


駄弁ですみません。
  敬と愛とともに。
    残月  合掌

3月16日(日) 物心一如

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  物は物
  心は心
  言うなかれ
  物と心は
  一つなりけり


  古人いう
  もてあそびして
  心うしなう
  そまつにしてさ
  生に苦しむ



  供養心
  大切なこと
  忘れるな
  物に感謝し
  別れを告げる


  
  本堂の
  仏像さまの
  お風呂かな
  道友来たり
  ほこりをはらう


  砂漠とか
  気候きびしき
  世界では
  心はあれど
  物はたもてず



  物なきに
  さびしさなんて
  あるものか
  『 心使えば
  心はふえる 』



  物あふれ
  心わすれる
  この世かな
  日本だけかな
  愚僧だけかな



  物心
  自分自身と
  お金かな
  四つ統一
  天下統一
  ( 笑 )


 「 心とは
  いかなることを
  いうやらん
  墨絵にかきし
  松風の音  」
    (一休禅師)

  心はどこに
   あるのか ?

  「 年ごとに
   さくや吉野の
   桜花
   木を割りて見よ
   花のありかを 」
     (一休さま)

   つづき ます


 駄弁ながら
  敬と愛をこめて
    残月 合掌

< 三月十五日の
 夜、京都、嵯峨
 清涼寺・釈迦堂にて
 御祭りがありました

 お釈迦さまの
 お亡くなりになり
 火葬した時の事を
 模したもので、
 火祭りです。
 燃えた残りで、
 本年の農耕を
 占うことだった気
 がいたします。
 すみません、
 お調べくださいませ


 我苦のため
 仏になられ
 法を説く
 苦は無くなりて
 安心世界
   (残月)  >

失礼いたします
  

3月15日(土) 伝道について

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来週の国際伝道は、
月・水の午前
金の午後(この日のみ)

屋形舟にて
大悲閣のふもとに到着
迎いの梵鐘が
嵐峡に響きます。
山門に入りきるまで
15分ほどでしょうか?

山門は、三門であり、
次の仏殿の御仏さま
に、出会うための
関門といえるでしょう。
( 本来の形式では )

三門とは、何か?
 1 空(無常・無我)
 2 無相(かたち無し)
 3 無願(ねがい無し)

この心境に
ならなくては、
仏さまには、出会えない

仏殿の次には、
法堂(はっとう)が
ございます。
(本来の形式です)
(小さい寺院には
 ございません。)

法とは、仏教では
真理を意味します。
正しい教えです。
しだいに、
発展して、(笑)
すべての存在を
意味したりもいたします

法とは、何か?
仏を、仏たらしめるもの
です。 それは、
いったい何なのでしょうか
考えて、みてください
学んで、いきたいです
お互いに。

京都の花園、
妙心寺は大本山であり
3つ全てが、
存在しています。

駄弁ながら
 敬と愛をこめて
  残月 合掌

< 以前お話した
禅の言葉を、
簡単に英訳して
お土産にしようと
存じます。

  分かりにく
事柄です。だから
いい、おもしろい。

『 海が枯れて
終に、底が見えた。

 (でも)
人は死んでも
心を、知らない。 』

( 死ぬ前に、
 心を、
 知るべきである。
 、、、、、、、。 )
(歓喜・至福を
味会うだろうから)
  愚僧、愚釈。

どう考えます
でしょうか ?
みなさま方、
ぼだいさった様 >

< 本日のブログ
題名だけ、もう
出てるそうです。
失礼いたしました。>

< お互い
一日一生にて 
( 清く・全力で
という意味です。
 微笑 )>

失礼いたします。

3月14日(金) 闇に坐る 2

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ただ すわる
暗闇の中
ただ 坐る


日が昇る
暗闇の中
ひ がのぼる


、、、、、、、、


一如なり
そこを求めて
ひた走る
ただ坐るかな
足も組まずに


修行とは?
今の愚僧は
この事か、
生死一如か
日々の格闘


無とは何?
反省感謝
知らずして
祈らぬ人は
有につぶされる


思い消す
人の営み
むずかしや
平和の思い
100年かかる

よい思い
実現すべし
チカラこめ
わるい思いは
坐ると出ない



駄歌句にて
 すみません
  されど、敬と愛
    こめて
    残月 合掌

、、、、、、、、、、、

「 花 だより 」

山 全体が
膨らんで、来た
感じです。
視力が弱い愚僧でも
うすい色を感じます。

< 清き光が
あふれましよう

 光を感じられ
ましように、
心と体を
磨きたいもので
ございます。 >

失礼いたします。
昨日、無事に1回目を
終えることができました。

天気がよく、幸運でした。
暖かく、青空でした。

渡月橋から、屋形舟で
往復いたします。

嵐山山麓の1000mを
徒歩でなく、嵐峡遊覧を
かねた素晴らし船の旅
で始まります。

何という英断でしょう。
日本の旅行会社には
できない事です。

弱小山寺にとり
なんという、
有難さでしょう。
感謝にたえません。

そのぶん、愚僧
骨を砕き
身を粉にして
報いなくてはならない。

未熟ながら、
求道30年から
えたであろう事を
お伝えいたしたく
存じます。

何も、得ていない。
しかし、
生命の歓喜
心の平安
は、実感しています。
ここ、だけです。
( 微笑 )
( バカ か?)
( 笑 )

前日の夜は、
恥ずかしながら、
少少不安でした(笑)
するとどうでしょう、
夢の中である和尚さま
が、出てこられるでは
ございませんか。

なんと、明治時代
初期に発生した、
廃寺の意向を認めず
混乱する大悲閣を
死守した住職では
ございませんか。

なんと、
いうことでしょう。
応援支えてくだされて
いるのだ、と
実感いたしました。
( 涙 )

なぜ、戒岳禅師と
直ぐに、わかったのか。
今の仮本堂に
小さい木像が残されて
いるからです。

内容の反省になって
ません、反省です(笑)

昨日の昼間に
御報告する予定でした。
できませんでした。
和歌を一つ作っていました
代弁させていただきます。

『  春風や
  異国の方と
  茶を喫す
  白梅香る
  奥嵐山  』

反省と報告、続きます
 駄弁ながら
  敬と愛をこめて

   残月 合掌

< 参道にて
お話した御方。
 20年前に
千光寺に来てくださり
また、参詣して
くださいました。
 「 心の
どこかに、残って
いました。 」と
おっしゃられました。
 愚僧、入山直後です。
喜ばしい事でござい
ます。

 アイルランド在住
イギリスの御方です。
日本女性と結婚なさ
られていらっしゃいます
御子様二人とか。
うれしい事です。
(微笑)

海外の方との
再会は、無いようで
いながら、時々
ございます。
歓喜でございます。>

< 散文は、
この形式はよくない
ような気がいたしま
すが、、>

< よき一日で
ございますように>

失礼いたします。

3月12日(水) 国際伝道 1日目

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師いわく
求道すなわち
伝道ぞ
求めてこそぞ
人に伝わる

己こそ
相手なり
身をみつめ
呼吸正して
心をすてろ



駄歌にて
 敬と愛を
  こめて
 残月 合掌

< 午後
報告いたしたく
存知ます。

 清き光を
感受できます
ように  >

失礼いたします。

3月11日(火)  川開き

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保津川や
粉雪の中
川開き

流れ行く
十六キロや
四百年
物人運ぶ
尊きお舟

人々の
労苦ありての
川下り
峡谷拓く
明日のために

船頭さん
四人そろって
さっそうと
激流をゆく
男の世界

園児らの
歓声ながる
川開き
未来へ続く
人の営み

太古より
変わらぬ流れ
美しや
魚に鳥に
雲も流るる

川開く
嵐の山の
大悲閣
了以翁殿
春の到来


駄歌句です
 御許しを
   残月 合掌


< 乗船場は、
JR亀岡駅から
徒歩10分ほどです。
約4000円ほど
ですが、とても、
すばらしい体験で
ございます。

 是非、
御乗船くださいませ。
乗ってみなければ
わかりません、
本当で
ございます。

 保津川下りと
嵐山大悲閣
千光寺は、
一つでございます。>

失礼いたします、
今日も一日、
精進いたしたく
存じます。
先人に、負けぬように。

3月10日(月)  闇に坐る

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ただ坐る
暗闇に 坐す
ただ、すわる


5分
10分
15分
20分
25分
30分
35分
40分
45分すぎた。


会など、作らない。
愚僧とともに
坐るだけ。

時間と場所
を、表示しなくては。


駄弁です、
 敬と愛を
   こめて。
  残月  合掌

< 清き光が
満ち満ちますように

 悲しみ
苦しみが減ります
ように

 不平不満不服
をこえて、
生き抜けますように

 御病気・おケガが
少しでも早く
回復しますように

 おもいちがい
かんちがい
まちがいを
あまりしません
ように

 せめあうより
たすけあい
どりょくしあい
みとめあい
はげましあい
 のできる
人間になりたい >

失礼いたします。



3月9日(日) 400年前 その2

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昨日が、あったので
明日の事を、
思い・考えしまうように

100年前があったので
100年後を、考え
予想し対策を練る事は
悪い事、つまり、
「今ここに、生きない」
「なりきらない」
中途半端な事
では、ないようです。

でございますから、

400年前があったので
400年後を、考え
予想し対策を練る事も
いい事かもしれません

千光寺が
800年前に創建
されたのであれば
800年後を、考え
予想し対策を練る事も
空想夢想とばかり
いえないかも
しれません。

個人は、
今日は赤ちゃんでも、
100年後は、ほとんど
存在しないでしょう、
100歳を越えられる
方々もいらっしゃられる
でしょうが( 微笑 )。
でございますから、
『 死 』を
十分に、考え
対策を練る事は
大切なような気が
いたします。

国家・民族は、
おそらく、
個人・社会形式と違い
消滅しないので、

1000年
単位で、考えたいもの
でございます。
むずかしい事で
ございますが。


駄弁でございます。
  敬と愛をこめて。
   残月 合掌

<  私たち
個人の事も、きちんと
考え対策を練らなけ
れば、ならないの
でしょう。

一時間後
午後
明日・三日後
一週間後
一か月後
3年後
5年後
、、、、、、
、、、、、、
ほんとうは、
十分注意しても
午後の
自分自身の「 命 」
「 心 」「 気 」
「 魂 」「 霊 」
の存在すら、定か
ではない。
( きちんと
 定義したい
もので、ございます )
( 微笑 )
、、、、、、、
、、、、、、
「 死 」も
「 死後 」も
考え対策を練らなく
てはなりません。
『 はい 』( 私 )
むずかしです。(微笑)
精進いたします。>

失礼いたします。


3月8日(土) 400年前

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来週から、午前中、
遠来の客をお迎え
いたします。

嵐山大悲閣
千光寺
創建 400年
として、
ありがたい事で
ございます。

1614年の建立です。
初代住職は、
嵯峨 二尊院 19世
『 道空 了椿 』
和上さま、ございます。

当時の二尊院は
学問寺院で
四宗兼学
つまり
天台宗・真言宗・
浄土宗・律宗を
修行する道場だった
そうです。

200年前、
荒廃した千光寺を
中興するに当たって
宇治黄檗の万福寺の
末寺になったとの
ことです。

現在は、約30年ほど前
先代住職が、
宗派から独立し、
『 単立(たんりつ) 』
寺院といたしました。

細かい歴史を
調べていますが
本堂が老朽化で、
解体されている今、
書類も散逸いたしており
よくわかりません。

歴代住職のお名前すら
探している現状で、
ございます。

そして、
400年前の
角倉 了以翁の
創建は、本当は
中興でございました。

京都嵯峨の中院に
ありました、
後嵯峨天皇の勅願寺
『 千光寺 』の
移転だったそうです。
鎌倉時代の創建時は
臨済禅宗である
鎌倉 建長寺の
『 ごっ庵 普寧 』
禅師の流れだったそう
です。

今、また、臨済禅系
に、戻っています。
不思議でございます。
宗派に、こだわらない
寺院ですが、
面白く感じています。


まさに駄弁と
 なりました。
    残月 合掌

< 長い事
誤解していました。
数年前に、知りました。
 「 住職 」とは
寺院に、住む僧侶と
簡単に考えていました
ちがって、いたのでした。

反省・驚きました。

 仏教の真理
仏法を体得し
( 求道し得道した )
まさに住持(じゅうじ)
している僧侶をいう
ようです。
 そして
布教( 伝道 )
するための建物と
しての寺院が
存在する。

なるほど、うなずき
大反省でございます。>

飛びつつ
  失礼いたします。

3月7日(金) 100年前 4

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石川 啄木
歌集より。

有名な歌を
忘れていました。

『 はたらけど
 はたらけど
 猶(なお)
 わが生活(くらし)
 楽にならざり
 じっと手を見る 』

今だと、暗い歌と
言われるかも
知れません。

でも、このような状況
に、共感できなければ
人生さびしいものの
ように感じます。

先人は、おっしゃつて
ます。
「 涙を流しながら、
 ご飯・パンを
 食べた事ない人とは
 ともに、人生を
 語れない。 」と。

2014年の地球上の
人類で、
どれだけの方々が
涙とともにご飯を
だべてる事でしょうか?

食物すら、無い
子どもたちも
多くいる事でしょう。
、、、、、、、
、、、、、、

『 力なく
 病みし頃より
 口すこし
 開きて眠るが
 癖となりにき

  友われに
 飯(めし)を与へき
 その友に
 背(そむ)きし我の
 性(さが)のかなしさ


  いささかの
 銭(ぜに)借りて
 ゆきし
 わが友の
 後姿の肩の雪かな 』

   つづき ます


私たちの
  命と心、
   敬と愛をこめて。
     残月 合掌


< 旅人の
 覚悟もって
 生きるべし
 裸(はだか)にて来て
 裸(はだか)で帰る

  あそんでや
 たのしくあそんで
 かえりましょ
 そのときどきの
 じだいにあわせ

  おもしろき
 なきよを
 おもしろく
 なすは心と
 かれはいうなり


  かなしさと
 くるしみあふる
 このよでも
 げんきをだして
 いっぽふみだそ   

  ( 駄歌です ) >

失礼いたします。 

3月6日(木) 100年前 3

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石川 啄木
たくぼく 歌集より

100年前の
日本人の 命と心

社会・時代は
変化しても、
私たち人間の
生活・生存・生命
そのものは、そう
変化しないような
気がいたします。

共感・共鳴
できる事が、
人間のやさしさ、
人間の大きさを、
表わすような気が
いたします。

明治時代の
「 貧しさ 」
「 病気 」
貧苦・病苦の世界です

現代は、軽減されて
ますが、まだまだ
いっぱいです。
精神的
『 貧しさ 』
『 病気 』は、
かえって、多いかも
しれません。

啄木さんの
「 苦しみ・悲しみ 」
は、人ごとでは
ございません。

『 田も畑も
 売りて酒のみ
 ほろびゆく
 ふるさと人に
 心寄する日

 石をもて
追はるるぎとく
ふるさとを
出でしかなしみ
消ゆる時なし

 
 わがために
なやめる魂(たま)を
しづめよと
讃美歌うたふ
人ありしかな

 雨後の月
ほどよく濡れし
屋根瓦の
そのところどころ
光るかなしさ

 われ餓えて
ある日に細き
尾をふりて
餓えて我を見る
犬の面(つら)よし


 いつしかに
泣くといふこと
忘れたる
我泣かしむる
人のあらじか

 汪然として
 ( おうぜん )
ああ
酒のかなしみぞ
我に来れる
立ちて舞ひなむ


 長く長く
忘れし友に
会ふごとき
よろこびをもて
水の音聴く

   つづく  』

100年前の
 命と心です。
  敬と愛をこめて。

 残月  合掌

< 春雨が
 雪に変われし
 京の町
  旅人みあげ
  空をみわたす

 まだ寒い
九州男児
寒すぎる
空の色すら
重き日々なり
   (駄歌) >

失礼いたします。
  
  

3月5日(水) 100年前 2

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石川 啄木
( たくぼく )
( キツツキ )
( 鳥の名 )

歌集より、その2

『 何すれば
 此処(ここ)に
 我(われ)ありや
 時にかく打驚きて
 部(へや)を眺むる


  わが抱く
 思想はすべて
 金(かね)なきに
 因(いん)するごとし
 秋の風吹く


  何事も
 思ふことなく
 いそがしく
 暮らせし一日
 ( ひとひ )を
 忘れじと思ふ


 何事も
金金とわらひ
すこし経て
またも俄かに
不平つのり来

 
 師も友も
知らで責めにき
謎に似る
わが学業の
おこたりの因(もと)

 不来方(こずかた)の
お城の草に
寝ころびて
空に吸はれし
十五の心


 そのかみの
学校一の
なまけ者
今は真面目に
はたらきて居り

 わがこころ
けふもひそかに
泣かむとす
友みな己が
道をあゆめり


 先んじて
恋のあまさと
かなしさを
知りし我なり
先んじて老ゆ
          』

  つづき ます


百年前の
命と心です。
  敬と愛をこめて。
     残月 合掌

< 啄木といえば
教科書に、よくある
歌を 思い出します。
 いかがでしょうか?

『 ふるさとの
訛(なまり)なつかし
停車場の
人ごみの中に
そを聴きにゆく 』

 ふるさとや
 はるかとおくの
 しまじまよ
 むねにだきたる
 あおきうなばら   >

失礼いたします。
  

3月4日(火)  100年前

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明治時代
若き人
歌います
悲し苦しと
心のままに


道端で
昔の人に
出会う時
あらためて知る
人の悲しみ


生まれ来て
育てられたる
ありがたさ
されど啄木(たくぼく)
悲しく歌う


・ 昨日、
古紙に出してる
本を拾う。
 一番上にある
「 石川 啄木 」
でした。
以下、歌集より。

『 東海の
 小島の磯の
 白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる

  いのちなき
 砂のかなしさよ
 さらさらと
 握れば指の
 あひだより落つ

  たはむれに
 母を背負いて
 そのあまり
 軽きに泣きて
 三歩あゆまず

  かなしきは
 飽くなき利己の
 一念を
 持てあましたり
 男にありけり

  こころよく
 人を讃めてみたく
 なりにけり
 利己の心に
 倦めるさびしさ

  友がみな
 われよりえらく
 見ゆる日よ
 花を買ひ来て
 妻としたしむ


   つづき ます 』


御存じかもしれません
でも、ごいっしょに
 ( 微笑 )
    残月 合掌

<  ことばにて
  こころつたえて
   なにかしら
  かなしみうする
  ここちこそすれ

  なすべきに
 おわれる日々の
  ちょとつらさ
 されど人生
 されど 楽しく
      (駄歌)>

 飛びつつ
 失礼いたします。

3月3日(月)  美しき旅人

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わが命
宇宙の中を
旅をする
今は東洋
日本人なり


わが心
万物の中
旅をする
今は人なり
次は知らない


わが息は
宇宙のひびき
そのもので
旅人ここで
静かに休む



人と人
旅人どうし
楽しけり
今ここにして
出会うよろこび


無常無我
( むじょうむが )
空(くう)を旅する
人々よ
その美しさ
かぎり無しなり


空にして
この世を旅す
人々は
涙の海を
呑みほせ心


駄歌なり
敬と愛をこめて
   残月 合掌

< いまここぞ
  心静かに
  味会えよ
  天地旅する
  おのれの事ぞ>

< 春雨や
  旅人を思う
  傘の下  >

失礼いたします

3月2日(日)  春の雨

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春雨や
双龍泳ぐ
あらし山

春の雨
旅人をまつ
あらし山

春がくる
鳥のさえずり
ひびく朝

おひさまよ
われらをおねがい
たのみます
このよの悲惨
けしてください


旅人と
心を澄ます
あらし山
海山こえて
ようこそここえ


旅人や
甘さと苦み
味会いて
無味の感覚
無限なり


旅人の
背筋と共に
坐ります
天地の間(あいだ)
息するわれら


駄歌句ながら
 敬と愛をこめて
    残月 合掌

< 3月より
  12月まで、
  「 旅人 」の
  予定が入りました

なんと、ありがたい事
でしょう。
この、弱小山寺にとり
「 光明 」です。
歴代住職さま、
どうか、お守り
下さいませ。
何卒。

心と身体でもって
お迎えいたしたく
存じます。

『 一期一会 』
( いちご いちえ )
( 最初で最後の覚悟 )

『 和敬清寂 』
( わけいせいじゃく )
( うやまう事、何を )
( それを ? )

『 無 』(無常無我)
( 和と敬の
  根底。
  
『 数息 』
( しずかに、坐る )
( 息を 思う ) >

飛びつつ
  失礼いたします。

3月1日(土)  20年間

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昨日、修行させていただ
本山旧道場に行きました

本年、先代師匠・先先代
師匠の法要が修されます
ので、出席の返信を
締め切り当日に、持参い
たしました。( 笑 )

20年前に、出た道場です
本当に、よく変化して
いました。道場そのものは
数百メートル離れたところ
に移転新築されており、
旧道場の禅堂・本堂その
周辺の変わりようは、

「 全ては、変化する 」
という、真理を実感すると
ともに、
「 普遍的精神・
      理念・真理 」
だけ、
失うことがなければ、
社会時代とともに
変化して、当然であると
つくづく感じた事でした。


この
『  普遍的精神
       理念・真理 』
を、伝えて
いかなくてはならないの
でしょう。

そのための、
「 時間・空間 」
「 形式・型 」
を、
残さなければ
ならない。

それを、
受け継ぎやすい
「 時間・空間 」
「 形式・型  」
結局
のところ
「 土地 」「 建物 」
「 作法・行事・・・」
新しい人間が、
発見でもいいですが
より、受け継ぎやすい
より、発見しやすい
「 歴史・伝統・形式 」
を残すことが
現存者・現代人の務め
のような気がいたします。

道場にかぎらず、
大悲閣千光寺も
いろいろな
団体・組織も国家も
では、ないでしょうか ?

そして
「 形・型・形式 」は
こわされるためにある
と、認識したうえで、
更新されると、
認識したうえで、

『 形式をまもり
  形式をつくり
  形式をつたえ。

形式をこえた世界に
 時には、
  遊べますように。
    ( 微笑 ) 』

 春雨や
   双龍泳ぐ
     あらし山
        ( 残月 )


駄弁です、
 おゆるしを。
     残月 合掌

<  明治時代
   の、戒岳和尚
お会いしたことありません
平成の大悲閣
心配してる、だろうな。

先先代和尚も
お会いしたことは
ありません。
今の客殿を創建して
くださいました。

100年前の
建立目的を、
この3月から始めます。

どうか、
お守りくださいませ。
なにとぞ、
宜しくお願い申し
上げます。   >

失礼いたします。 

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