2014年2月アーカイブ

よく分からない、と
言われました。

そうです。
わかりにくい。

「赤ちゃん」が「純」、
「おとな」が「熟」と
考えられます。

赤ちゃん大人。
ふむ ?
奇妙 ?

青年の理想を
持ち続ける
実社会人。
なるほど。

人を悪いように
考えたくない人。
自分を悪いように
考えたくない人。
そのために、
いいように理解しよう
と、努める人。
結局、
人は、
神の子
仏の子
大自然の子
宇宙の子
このように、
人を考えられたら
自分を
考えられたら幸福かも
しれません。
(考えれるような
生活・生存・生命
をもつ、ように
したいもので
ございます。)

『 純な心 』とは?
人を
悪く思えない
悪く思いたくない
憎めない
憎みたくない。
つまり
信じたい
愛したい
大切に思いたい
ケンカしたくない
意見がちがっても共存
(心は、同じだから)
握手と笑顔で、共存
(抱擁しなくても、
いい。微笑 )
甘え過ぎない共存
求め過ぎない共存。


『 熟した心 』とは?

私たちの
もとめるべき心とは?
理想の心とは
    精神とは
 物の見方とは?
 人の見方とは?
 事の見方とは?
 事の進め方とは?
、、、、、、

各々おのおの方さま
どうか、
御考えください
智恵をしぼってください
共に、
考えたく存じます。

また駄弁です
 でも、
敬と愛をこめて
   残月  合掌


<  春の雨
  桜の前の
   骨休め

  (嵐山 残月)>

失礼いたします。



昨日、久しぶりに
純熟( じゅんじゅく )
を語る。

愚僧は、ただ、
「 清閑 」と
「 純熟 」を
人にすすめたいのかも
しれません。
そして、そのために
「 閑坐して数息 」
を実行すれば、
天地と一体に
なったような
「 歓喜 」を味合い。
生んでいただき
育てていただいた事を
心の底から
感謝できるように
なりますと、
語ってきたような気が
いたします。


幸福になるために
生活し生存し
生命をたもって
いるのですから、

ほんとうは、
上記の事が、簡単で
単純で、あまり経費も
かからず( 笑 ) 
一番よいと
感じられますが、
いざ、実行するとなると
むずかしくて
できない、ようです。


禅僧ですら、道場に
何年いても、むずかしい
ので、、しかし
心がまえ次第で
簡単だと存じます。
どこに、いようと
どこで、仕事をしようと
どんな、仕事であろうと
お仕事をしながら
というのが、
道場でも実社会でも
大切です。

通貨のやり取り
価値の交換とか
いう、意味でなく、
心( 精神 )と
体( 身体 )を
環境・外界に働きかけ
ながら、という事が
つまり、人間の仕事が
重要ということです。

心の成熟をはたしたり
心の純粋さを、
いつまでも、保つ事の
「 よろこび 」は、

山の中で、
一人では、
なしとげ、られない
気がいたします。
( いらっしゃる
  かも、しれない。
  でも、
  仏教で
  ないかも
しれません。 )


駄弁ながら
 敬と愛をこめて
  残月  合掌

< 昨日の短歌を
  もう、一度。

 純になれ
 複雑怪奇
 うそ世界
 山は山なり
 海は海なり 

 さてここで
 純とはなんぞ
 何だろう
 愛を感じる
 やさしい心

 熟すなり
 時の流れに
 さからわず
 純をたもつぞ
 いとむずかしや

 今朝

 きめこまず
 かんがえこまず
 ながされず
 ただ仏(ほとけ)のみ
 しんじてあいす

 あいすべし
 どのようなこと
 いうのやら
 すききらいなく
 大事なこの世  >

飛びつつ
失礼いたします。    

2月26日(水) 言葉から 2

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みかえりを
もとめぬあいを
かんじてぞ
あんしんさとり
よろこびみちる


かんかくを
じゅんなるままで
たもつべし
ひのひかりをも
いただきうけよ



よろこびは
どこからくるの
かなしみは
どこからくるの
そのどこをしれ


しごせかい
しんだらどこへ
いくのやら
わたしはきえる
みんなはのこる


死後世界
無我世界とは
どこちがう
無我にて生きりゃ
あの世と同じ


純になれ
複雑怪奇
うそ世界
山は山なり
海は海なり


さてここで
純とは何ぞ
なんだろう
愛を感じる
やさしき心


純熟(じゅんじゅく)の
大切さをば
語ります
臨済禅や
おそろしきかな


熟すなり
時の流れに
さからわず
純をたもつぞ
いとむずかしや



駄歌なれど
敬と愛を
こめて

残月 合掌

< 清き光よ
 神の光よ
 仏の光よ
 愛の光よ

 全てを
 つつみ
 まもるべし >

失礼
いたします。




2月25日(火) 言葉から

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昨日は、ミスいたしました
申し訳ございません。

一番よくない「 あせり 」
のためでございます。
反省いたします。

今日が25日であり
昨日は24日でした。
本日は、
京都・北野の
天満宮は「 梅花祭 」
です。

受験シーズンであり
連日多くの若者・御家族
のみなさまの
合格祈願お参りが
ひっきりなしで
ございます。
今日は、縁日であり
よりいっそうの
人で出ございます
でしょう。


全員合格とならないのが
まさに、人生の「 妙 」
でございます。

合格しても、
合格しなくても、
人生は、続きます。

不合格の方は
つらい事でしょう、が、
まさに人生色々です。

芸術の世界とか、
あまりに早く、世の中に
認められない方が
いいと、いったりします。

宗教の世界も、
きっとそうでしょう。
認められる訳がない
( 微笑 )

昨日のミスのもう
一つは、和歌です。
一字、ぬけていました。
失礼いたしました。

『  はるちかし
   はなみずすする
   あらしやま
  かわをながめて
  ひとりほほえむ  』 
 

以前< 言葉から >
では
『 旅人は死なない 』
を考えたことがありました
『 空の立場で
 無我にて
 神仏に
生かされながら
慈悲の光をあび
慈悲の光をはっして
行く時、
そこには、
一般的な<死>は
ないというお話
でした。   』 

  続きます

駄弁ながら
 敬と愛をこめて
   残月 合掌

< 今日の言葉
は、ありふれたものです。
宗教の世界では。
( 笑 )
でも、なかなか、
実行できない。

『 見返りを求めぬ
愛があれば、
人は必ず
立ち直れるです。 』

このような
『 愛 』の実践を
なしたいもので
ございます。


もうひとつ
『 怠惰( たいだ )な
  多忙( たぼう )』
反省させられます。

時間を、
快楽・刺激のために
多忙にしがちである。
今も昔も。

人生の本質を
考えるべきである、と。
よき、老後のために。

死ぬ前には
『 円熟 』すべき
である、という
言葉でした。
愚僧(なるほど)と
感じいりました


  若僧が
恥もしらずに、
失礼いたしました。>

飛びながら
( まただ )
失礼いたします。


2月25日(月) 質問箱 5

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おはようございます。

「 質問 5っ目 」
というわけでは
ございません。(笑)

悩み苦しむ
参詣の方々も
多いので、
あいまいな、
内容で申し訳ございま
せん。

ただ、
「 生活 」
「 生存 」
「 生命 」
の、調和・バランスが
くずれやすい
現代日本社会の
ような気がしてなりま
せん。

このバランス・平衡
( へいこう )を
どう獲得するか ?

あらゆる人間の
問題のように
思えてなりません。


愚僧の考え・言葉では

『  どう 一
を、獲得し、

一で、生きながら
つまり、2345678
9 10 100 
10000、、、、、

世界( 現実 )
で、
発生する苦悩・問題を
どう解決し
どう解消し
かつ、
よき世界( 現実 )を
作っていけるか ?

大問題です。

愚僧の1つの
解答が、

一 である私が

いかに、一を支える
〇( ゼロ )に気づき

この〇( ゼロ )が
世界現実を貫き
∞( 無限 )に
つながっていると
確信・自覚できたら

安心し 幸福感を
味会うことが
できるような気がして
なりません。

そのために、
「 生命 」そのものに
なりきる
『 行( ぎょう ) 』が
  あるような気が
してなりません。

どなた様も
実行されたら、
より「 幸福 」になれ
ると存じてますが
いかがでしょうか ?

一、ゼロ、無限、という
言葉・概念(がいねん)
から、
「 仏 」「 悟り 」
「 修行 」「 菩薩 」
なども
説明できる
気がいたします。


まさに駄弁になりました
御許しを、
  されど、ささやかな
 敬 と 愛 を
   こめて。

  残月  合掌

< はるちかし
  はみずすする
  あらしやま
  かわをながめて
  ひとりほほえむ

  よのなかよ
  にんげんたちよ
  しょうせいよ
  たぼうにまけて
  かんしゃわするな

  ひえいざん
  ただあるだけの
  やまやまよ
  われらがごうを
  みちびきたまえ

      残月  >

失礼いたします。


2月23日(日) 質問箱  4

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子どもの頃
小学時代、
先生に
「 お前は ピエロ か 」
と、いわれたという。
今でいう、
『 いじめ 』に
あっていた、からの
ようです。

彼は、今、
必死に 『 安心 』を
もとめている。

もう、数十年だと
存じます。
つらい、日々の連続
のようです。

しかし、
『 苦 』を 『 苦 』と
して、味会っているから
味会えるので、
必ず、
『 苦 』が、無い
状態になれると
存じます。

しかし、つらい事でしょう。
一生けん命、『 行 』を
しています。
どうか、
十方( あらゆる方向)
三世(過去現在未来)
の神さま
の仏さま
の先人さま
彼を どうかどうか
おまもり
お導きたまえ、
何卒、御願申し上げます。


昔 昔 その昔
の、事でございます。

中国大陸の
ある洞窟で、黙黙と
ただ 坐り つづけて
いる人がいたそうです。

はるかインドから、
伝道に来てくださった
仏教僧侶だったそうです

人間本来の『 心 』を
指し示すため
だけに長い旅を
されてこられています。

もう、お気づきでしょう
「 だるま大師 」さま
のことです。

七転び八起き の
「 だるま人形 」の
ダルマさん です。

お弟子が、数人います。

お一人の事を
お話いたします。

中国人です。
もう、すでに、四〇歳
くらいだったといいます。
長い間、
『 道 』をもとめて
いました。
「 どう生きるべきか?」
疑問のかたまりで
迷いに苦しみ
不安で たまらなかった
そうです。

「 安心 」しきって
天と地の間に
どっしりと
大樹のように根を
はり、坐している。
ダルマさまが
いらっしゃる事を
どこかで耳に
したのでしょう。

「 教え 」を、こいます。
簡単には、教えません。
いい事でも、
受けとる準備がなければ
かえって
害・毒の場合も
おうおうに
ございますようで。

言い伝えだから
さだかでは
ございません。
が、
「 道 ( 真理 )
をもとめるのなら
命がけでなければ
なりませんぞ 」

彼は態度・行為で 
示したそうです。

そして、質問( 入門 )
を、許されます。

ダルマさまは、
言いました。

『 どうしたのか ? 』

『 不安でたまりません、
どうしたら、
いいのでしょうか ? 』

『 そうか
  そうなのか

  では、

  その不安な( 心 )
を出してごらん。  』

『  、、、、、、、、、
  、、、、、、、、、、 』


この質問に
答え、安心を得るまで、
その日から
何日、何十日
何年たったかしれません。

関心がおありの方々は
どうぞ、
考えてみて下さいませ。

ただ、このようにして
禅仏教は、続いて
来たみたいです。
この弟子が、二代目と
なられています。


また、
次のお弟子さま
(三代目)の
質問も、考え
させられます。
またの、機会に
いたします。

駄弁・蛇足ながら
  敬と愛を
    こめて
  残月  合掌

< 清き光が
  あふれますよう。

悲しみ・苦しみが
少しでも、
へりますように。

あらゆるものが
粗末にされる事なく
大切にされます
ように。

大自然の中で
ゆっくり
深呼吸できます
ように。

小さいことに
気をとられ
ませんように。

御病気・御ケガの
なかまの
一早い御回復を。

世界の紛争よ
なくなって
ください、
今日も
子どもたちが
泣いている
のでしょう。
ああ、、、、  >

失礼いたします。

2月22日(土) 質問箱  3

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何故、
名号・題目・真言に徹する
ことが、
無我・無常
空・慈悲
であるのか ?

人は、感じ
そして、思うものである。

この「 感じ 」「 思い 」
を、捨てて、
『 自分 』を
投げ捨てる、
投げ入れ、
名号・題目・真言
坐禅、諸 修行にで
ございます。

ある意味、
「 無 」になり、
「 今・ここ 」に
徹し、

今・ここ の
目前 の
当面 の




、、、、、

自分の
「 感じ 」「 思い 」に
左右・振り回されず

絶対でなくても、
今・ここ での
最善を
なそう、と
覚悟を きめる。
「 行為 」する。
うだうだ
ぐずぐず、しない。
( 反省 )( 笑 )

好き嫌い・損得
快不快・善悪
などに、支配されず
従属せず、

自分の「感じ」「思い」
から、
『 自由 』になれる、
なんという
「 しあわせ 」。

さきほどの
名号・題目・真言
坐禅・・・・
の真の修行に
徹するば、
「 自由 」 のための
「 独立 」を、獲得
できます。

社会現象でなく
個人の内面精神世界
で、ございますが、
「 生命 」そのものには
一番重要です。

「 生活・生存 」の事も
大切ですが、
個人の最終目的は、
この「 独立 」です。

なぜならば、
人間・人類は存続しても
個人は、「 消える 」
からです。
個人には、
「 死 」があり、
「 死 」を
むかえるからです。
( この問題は
  後日   )

あらゆる環境からの
「 独立 」です。
環境に、「 支配 」
されず、
環境の「 奴隷 」に
ならず、「 自由 」に
「 幸福 」を
味合い・満喫しつつ、

環境に、参加するのです
「 行為 」
「 こうい 」
「 おこない 」です。

できるだけ、
よい環境を
創造するという、
仕事でもあり
芸術であり
真の遊びです。

本来の人間の仕事を
なすことができます。
( かみさま
  ほとけさま
  うちゅうの
  だいしぜんの
  れきしの
仕事かも知れません。

こんな、楽しい事は
おそらく ないでしょう。
( 微笑 )
あこがれます。
そのように、
なりたいもので
ございます。

人間に生れてきた以上、
「自分」「 我 」を
意識して、しまった
「 生命 」として。


範囲・規模は関係なく
このように、なれた
方々を
『 人生の成功者 』と
よんでいるような
気がいたします。


失敗してしまおうと
誤解をまねき、
誹謗・中傷されようと

周りの、一切・全ての
ために、進めることが
できるかも
しれません。

謙虚で・素直で
あれば、
色々な
人が
物が
事が
助けてくれる、
気がいたします。


長くなりました、
すみません、
  つづき ます。

駄弁ながら、
  敬と愛をこめて

  残月  合掌

<  ある人に
質問されました、

「 山寺の
 復興とう
困難で
面倒な事を
よくしてますね ?
何故 ?

 小さいですが
弱小ですが
愚劣ですが

どうにか
ちいさな「独立」
「自由」「幸福」
「歓喜」を
感じているからです。

できる、できない。
という思いは
皆目、一切ない。
ただ、しているだけ。
個人的には
もう十二分満たされて
いるので
世間でいう
自己実現の仕事でない。

自分勝手
独善
自画自賛
自惚れ
アホ・ばか
なのかもしれません
でも、この、
「 幸福 感 」は
消えない。

心の底で
感じているから。

困難だけど
困難でない、
面倒だけど
面倒でない、
つらい事あれど
それは、無い、
かなしい事あれど
それは、無い。

できる範囲で
少しずつ
批判をあびながらも、

沢山の人々に助けて
いただき、
かつ、
好意・善意・
友情・愛情
慈悲心
に、包まれている事を
ひしひしと、感じて
いる 小生・愚僧
なので
ございます。

長くなりました
自分のことに
なりました。
すみません。


このごろ歌心を
忘れています。
( 大笑 )   >

失礼いたします。
今から、犬族と
散歩、なんという
「 しあわせ 」
( 微笑 ) 。

2月21日(金) 質問箱 2

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今日は、弘法大師
空海和尚の縁日です。

全国、津々浦々で
「 南無大師
  遍照金剛。

  なむ たいし
へんじょう こんごう。」
が、
響き渡り、
こだますことでしょう。


『 南無阿弥陀仏
 なむあみだぶつ 』

『 南無妙法連華経 
なむみょうほうれん
げきょう 』

名号・題目・真言
に、
徹する。

無我・無常
の体得・実行
そのもの

空の体得・実行
そのもの

慈悲の体得・実行
そのもの

この、
名号・題目・真言
に、
徹する、
ことでもあります。

生命そのもの
だと、存じます。
生活の困難さ
生存の苦悩を
ぶっこえた
生命だと
思います。

忙しい
24時間の中で
30分の
坐禅も
生活・生存を離れた
生命そのものです。

生命は、全宇宙です。
宇宙の法則そのもの
です。
それは、「 誠 」
「 まこと 」
「 真心 」
「 純心 」
「 そぼく 」
「 せいじつ 」
「 すなお 」
、、、、、、、、
、、、、、、、
生活・生存を
純化していく事のみが
複雑な世を生き抜く
根源的 力・方法
エネルギー だと
存じます。

全宇宙は、
全てを守護する。

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
    残月  合掌

< 経営の神様はいう。

「 一万回の祈りを
  捧げることや、
 大事業を
成し遂げようと
思うならば。  」

祈り・覚悟・誓願
の、大切を
おっしゃられています。

 さすがで
ございます。
ありがとうございます。 >

  失礼いたします。

2月20日(木)  質問箱より

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般若心経 の ここは
どうなのか ?

以無所得故

「無所得であるから」

菩提サッタ
依 般若波羅密多 故

「さとり をもとめる
 衆生( しゅじょう )は

はんにゃ、はらみた 
に、よるが ゆえに 」

心無ケイゲ

「 こころ に
  こだわり
  ひっかかりなく
  おおいなく  」


・ 依 般若波羅密多 の
 『 依 』 は どういう
 事なのか ?

・ 真言 を となえる
  事なのか ?
  ギヤティ  ギャティ 
  、、、、、、、、

・ 『 智恵の完成 』
  に、依る(よる)

・ 『 智恵の完成 』
  とは、どういう事
  なのか ?

・ 無常と無我を
  体得。
 ( と実行 )

・ 空 の体得。
 ( と実行 )

・ 自分自身が
どれだけ、完成に
近づいているのか?

  どれだけ
慈悲ぶかく
やさしく
あたたかく
  なれて
いるのか ?

で、感じられそうです。
( 微笑 )( 笑 )
( 大笑 )
( 笑えない )

駄弁ながら、
 勝手ながら、
  恥かしながら、
    敬と愛をこめて

      残月   合掌

< 体得・実行 ?

自分自身の「 苦 」
を、減らし無くしつつ
自分以外の「 苦 」
を、減らし無くし
て行くことが
できる事 かも?。

一つの人間の
理想の在り方では
ないでしょうか ?  >

飛びながらで
 スミマセン
  このごろいつも、
  失礼いたします。

2月19日(水) 涅槃会 その5

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何が、
どういう事が、

理想の 心境なのか?
幸福を 感じるのか ?
健康な精神なのか ?
最終目的なのか ?

このような疑問以前に
私たちは、生きている
事が、多い。

日常に、追われている。
生活に、フラフラである。

酒のんで、寝るだけさ。
ゲームで、楽しむさ。
どう この衣装は ?

勝ち・負けを、楽しむさ。
美貌を、競いましょう、
どちらが、美しい ?
どう これ ?
財産を、競いましょう
さあ どれ ?

競い合う事で、
この世・社会は
国家は・世界は発展
するのでしょうか ?

個人も、
競い合うことで、
成長するのでしょうか?

おそらく、
そうなのでしょう。
今、オリンピックも開催
中です。

競い合わないで、
成長・発展・繁栄
できないでしょうか ?

「 競い争い合う 」
ことだけが、
成長の『 源 』
「 みなもと・ちから 」
「 エネルギー 」
でしょうか ?

このような疑問を
持った場合、

『 道( みち ) 』
の人と、
いえるかと存じます。

どのように
考えて、
どのように
信じて、
どのように
行うのか ?

そうすると、
「 涅槃 ネハン 」
は、興味深い事と
思われてくる気が
いたします。


駄弁ながら、
   敬と愛を こめて。
      残月 合掌

< 教会の前に
  よく張っている
  ポスター
  言葉が
  ございます。
  すごいなー
  寺院も、
  これくらい
  語りかけたいなー
  と、いつも
  思っています。

  「疲れている人
   重い荷物を
  背負っている人は
  私の前に
  来なさい。
  休ませて
   あげよう。 」

嵐山 大悲閣
千光寺 でも
もっと、積極的に
なさねば。

観音経を
実践しなくては。
大反省。。   >

飛びつつ
失礼いたします。

2月18日(火) 涅槃会 その4

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だんだん、仏教そのものの
お話になってきました。
( 笑 )
 涅槃会に、的しぼらなけ
ればなりません。せっかく
の機会でございます。
 お話しやすい、
機会でございます。

次の、御話が面白い
です。 考えてみてください
ませ。

お弟子の中で、なかなか
「 さとり 」を、開けない
体得できない人が
いました。
いつも、釈尊の側にいて
よく、たくさん御言葉を
耳にされた方でした。

この弟子は、
釈尊が亡くなられて、
「 さとり 」 に気づきま
した。

さて、どうしてなの
でしょうか ?

考えて、みてください。
是非、
考えて、みてください。

教え・御言葉・師匠の
御側に いつもいたのに
にで、ございます。

「 さとり 」 そのものが
わからない、のに、
そんな、疑問とは、、、
『 安心 』 と
いいかえましょう。

やっと、やっと、
『 安心 』をえた。
なぜ ?
御側に、いたときでなく、
涅槃の後に ? ?


駄弁ながら
   敬と愛をこめて
     残月  合掌

<  昨日、仏教の
 弱点が、出てました。
人生を「苦」といいすぎる。

 1 長生( 長我 )
 2 無生( 無我 )
 3 活生( 活我 )

 1 が 道教
 2 が 仏教
 3 が 儒教

   神道
   キリスト教
   イスラム教
   、、、、、、、
も とりいれますが。

1、 ながいき したい
2、 やすらぎたい
3、 命・我を
   いかしたい。

3番は、今日はじめて
文字にしました。
活生( 活我 )

1・2・3・を
バランスよく、
いこうぜーーが、

『 嵐山 心学 』 で
ございます。( 大笑 )
言葉は、なんでも
いいですが、、、、、
( 微笑 )    >

飛びつつ
   失礼いたします。

2月17日(月) 涅槃会、 その3

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釈尊が、しめされた
理想の、
心の状態を、
精神の在り様を
「 さとり 」
という
言葉を使ったり
しています。
般若心経では
『 あのくたら
  さんみゃく
  さんぼだい 』
と、
古代インドの言葉
そのもので、
伝えています。
『解脱( げだつ )』
『菩提( ぼだい )』
という言葉もあります。

とにかく、
< 苦しみ >を
感じ悩む人を
助ける
救う
導く
教えでございます。

しかし、ながら
「 人生 」を
「 人間存在 」を
「 自分がある事 」を
< 苦しみ >とは、
思わない。

たのしい。
すばらしい。
実際にそうです。

しかし、ながら、
< 苦しみ >に
出会った時が
ございます。

そのために、
教えはあると
申せます。

< 苦しみ >を
知らない、いい人生も
多いことでしょう。
社会もよくなって
きています。

しかし、どうしても
さけれない
< 苦しみ >が
あります。
その解決方法を
教えてくださった
お釈迦さまで
ございました。

お亡くなりになられた
命日が、
「涅槃会(ねはんえ)」
です。

   つづき ます

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
   残月 合掌

< 我
  自分中心
  から、
  離れる事。
  苦からの
  解放(かいほう)
  解脱(げだつ)。

我の反対語は ?
無我 です。
仏 です。

我は、我執
( がしゅう )か ?
自分に執着すること
でしょうか ?
そのように、
うながす現代社会
でも、ございます。

愛、恋、あこがれ、
尊敬、したうこと、
< 我執 >を
のがれたい、
人間の本性でしょう。

慈悲・慈愛・博愛
献身・貢献・
自己犠牲、、、
と 発展するものかも
しれません。

  つづき ます  >

妙な構成ですみません
実験です、御許しを。

飛びつつ 失礼
     いたします。




 
涅槃図では、ありとあらゆ
る生き物が、横になられて
釈尊を取り囲んでいます。

御別れを、悲しみ
嘆いてられます。

弟子のみならず、
動物たち、
昆虫に、蛇に、
ミミズまで、
集まって来ています。

天界から、
お母様が飛んでこようと
している事も
描かれた絵画も
あるそうです。
臨終に間に合うそうでな
く、空中から薬の瓶びん
を投げてるそうです。
( なんと、微笑ましい )

先日初めて知りましたが
あまりに、弟子たち、
衆生たちが、
悲しみ・嘆くので、
釈尊が、生きかえり、
「 死 」 の意味
「 涅槃 」 の意味を
語り、そう悲しむな、と
さとしている絵画も
あるそうです。
( すばらしい。
( このような絵画を
( 思い立ち、描くという
( 私たち人間の
( すばらしさよ、で
( ございます。

言葉として、のこされた
のは、
『  もう、私を
   たよっては
   ならない。

   真理に、
   たよりなさい。
   ( 法燈明 )

   自分自身を
   たよりなさい。
   ( 自燈明 )

   ( 燈明
   ( とうみょう
   ( あかり
   ( ひかり
   ( ねつ
( 闇、迷い、苦悩
( による混乱混迷し
( 道が見えない。
( 道が分からない。
( どうしたら、
( よいのか ?

   真理に
   したがいなさい。
   真理を体得
   しなさい。
   ( たよれる
   ( 自分を
   ( 育てなさい
   ( 教育しなさい
   ( 作りなさい。

   45年間、真理を
   お話し実践してき
   たではないか。

   悲しんでは
   ならない。   』

真理とは、何か ?

『  無常( むじょう ) 』
『  無我( むが )  』
『  皆苦( かいく ) 』
『  涅槃( ねはん ) 』


「  諸行無常
   諸法無我
   一切皆苦
   涅槃寂静  」

この真理は、
言葉で、知っても
理解できても、
体得は、困難である。
だから、「 修行 」
「 訓練・鍛錬 」が
必要になるのでしょう。
「 道場 」も大切
になります。
「 家を 出る 」事も
大切になる場合も
あるでしょう。
実社会の職業生活
人の欲望家庭生活を
離れることも
いい場合もございます。

ふつうは、
特に若い時は、
『 一切皆(楽)(らく)』
でしょうし、
『 楽 』 をもとめて
当然です。

『 苦 』を強調しすぎる

「 命の歓喜 」
「 心の光輝 」
「 生の甘美 」

否定しすぎてしまう。

   つづき ます

駄弁ながら
   敬と愛を
     こめて
   残月  合掌

<  理想の
  心の状態
  精神の在り方
  の存在を
  証明した
  御方だから、
  尊ばれて
  きたのでしょう。

  その
  さししめした
  真理
  生き方を
  頭を下げ
  額を床につけて
  学び、
  背骨を
  天地に立てて
  体得した
  人人が、
  「 命の歓喜
    心の光輝
    生の甘美 」
  を 味わい。
  感謝の思い、
  恩を感じ、
  恩がえし、したい
  という思いが、
  仏教の歴史と
  仏教の寺院と
  仏教の僧侶と
  か、
  自然と生み出して
  いるような気が
  いたします。

  別の側面も
  ございますが、。
  ( 微笑 )

     ここも
    つづき ます  >

飛びつつ
   失礼いたします。
  

今日は、涅槃会(ねはんえ)
で、ございます。
仏教の教祖であられる、
釈尊(釈迦族しゃかぞくの
とうとき人)が、
亡くなられた命日でござい
ます。

涅槃は、ニルバーナと
いわれ、ニルは 無い
バーナは、炎(ほのお)で
でございます。

ニヒリストの ニヒです。
 ( 無い という意味です
 (あらゆる価値を認めない
 (虚無主義、理想なし。
 (刹那主義、未来なし。

 (快楽主義、楽がすべて
        食がすべて
        性がすべて
 (拝金主義、金がすべて
 (耽美主義、美がすべて
 (の人になりやすい)

バーナは、ガスバーナの
炎です。

ニルバーナ とは、
炎(ほのお)が無くなる事
自分を
自分以外を
燃やす、感情の炎が
無くなる事。

生きている時の
涅槃を経験したり、
涅槃寂静を味わうのが
理想ですが、なかなか
むずかしい。
結局、亡くなった時に
そのようになると
考えられて、「 死 」を
意味するようになって
います。

涅槃図がございます。
釈尊(ゴ―タマ・シッダルタ)
さま、御臨終の場面です。

御覧になられた事
おありでしょうか ?
すばらしい絵画が沢山
残ってます。
ネットでも御覧いただける
時代かもしれません。

お話したい事は、山の
ようにございます。
明日、また、どうしても
お伝えいたしたい事など
御存じかもしれませんが、
お話させていただきたく
存じます。


駄弁ながら、敬と愛を
   こめて。
     残月 合掌

<  京都
   東山
   清水寺の
   住職さまが、
   亡くなられた
   日でもございます。

   100歳こえても
   修行なさられていた
   尊貴なる
   良慶和上です。

   今日、死のうと
   されたのでしょう。

   床から、起きて
   坐ってから、
   涅槃に入られて
   います。

   なんと、
   われらが、御師匠
   さま。

   もっと、もっと
   小生は、
   愚僧ながら
   覚悟をきめねば
   ならない。
   ( 大反省 )  >

  失礼いたします。
   私たちは、ただたんに、
   生存のためだけに、
   生きるのは、
   それは、それで、
   当然いい事でしょうが、

   もし、生存が安定したり
   生活も順調だったりしたら、

   さらなる、安定をもとめる
   より、さらなる順調を
   もとめるより、

   何かに、
   正心誠意、
   命を尽くしたくなるもの
   で、ございます。

   私たち、人間の
   まさに、尊き本性です。
   
   この、本性を
   活かすことが、大切です。
   もし、気づいたら、
   幸運と、思うべきです。

   人間として、命を
   いただいても、
   御存じのように、
   時代・社会・家庭
   国家などにより、

   生存・生活の追われて
   しまいがちです。

   今の現代日本も、複雑で
   苦悩に、満ち満ちあふれて
   います。 しかし、
   しかしでございます、
   覚悟をきめると、
   誓願をもつと、

   尊貴なる、人間の
   命の本性を、発揮しやすい、
   環境であるように、思えます。

   何のために、尽くすのか?
   ? でございます。

   むずかしい。
   とても、むずかしい。
   でも、とても、かんたん。

  「 天地のために、尽くす 」のです。

   それは、どういう事なのか ?

   会社に尽くす
   家庭に尽くす
   自分に尽くす
   お金に尽くす
   国家に尽くす
   学問に尽くす
   子どもに尽くす
   親に尽くす
   先祖に尽くす
   妻に尽くす
   夫につくす
   異性に尽くす
   犬族に尽くす
   猫族に尽くす
   樹木に尽くす
   花に尽くす
   人に尽くす
   心に尽くす
   芸に尽くす
   命に尽くす
   敵に尽くす
   (くるしい)
   悪意に尽くす
   (むずかしい)
   、、、、、、
   、、、、、、、
   、、、、、、、

   以上の全てを
   ひっくるめて、
   『  天地に 尽くす  』
   と、表現したいです。

   一つ一つが、
   むずかしく、苦悩、
   苦渋、葛藤、矛盾、
   複雑怪奇であろうとも、

   『  天地に  尽くしている  』
   という、 自負・自信でもって
   乗り越えたいもので
   ございます。

   そうすば、
   必ず、天の神・地の神が
   つまり、龍神が守護して
   くださいます。

   ありがたい。
   お願い申し上げます。
   なにとぞ、
   お願い申し上げます。


駄弁ながら、敬と愛を
    こめて。  残月 合掌

<  尽くしながら、
   どういう事なのか?
   考える。

   考えるために、
   考えない。

   考えないために
   考えつくす。
   つまり、本気で。

   行動しながら
   考える。

   人間の尊貴なる
   本性を信じる。
   ぶれない。

   ただ、信じる。
   信じきれない場合は、
   本性を、生みだしたで
   あろう、何かを信じる。
   どんな言葉・表現でもいい。 >

飛びながら、失礼いたします。
    西暦 754 年
    天平勝宝 6 年
    ( てんびょうしょうほう )

    旧暦  1月 16日
  < 新暦  2月 12日 >

    中国・唐の僧侶( 高僧 )
    鑑真( がんじん )和上( わじょう )
    来日。
    5度の< 渡海 >( とかい )に
    失敗し失明された。

    日本留学僧の、願い・懇請( こんせい )
    熱意に応じてくださる。

    仏の弟子となるための、戒律( かいりつ )
    ( 何をなし。  何をなすべきでないか。 )
    を、伝える。
    律宗( りつしゅう )の祖。
    漢方薬もたくさん教授する。

    奈良、唐招提寺( とうしょうだい じ )
    建立( こんりゅう )。
    木像が、制作され、祀られている。
    日本仏教大恩人である。

    江戸時代
    松尾 芭蕉翁による、一句がございます。
    愚僧は、この一句により、
    翁を、心から慕うものでございます。

    「  若葉もて  御目のしずく  
                 拭(ぬぐ)わばや  」

    和上さまに対する、思いが尽くされている。
    心からの畏敬( いけい )念が、
    溢れている気がいたします。
    5月の若葉の頃が、
    御命日です。

    愚僧もお参り致したく存じます。


駄弁ながら、敬と愛をこめて
           残月   合掌

 <   江戸時代
      隠元和尚が、御高齢に
      かかわらず、
      渡海に失敗した弟子に
      変わり、
      新しい仏教・仏法を
      伝えてくださる。
      禅と念仏が融合した

      禅淨双修( 坐禅と念仏の
      2つを、修行する )
      ( ぜんじょう そうしゅう )
      である。

      京都 宇治の黄檗に
      万福寺を 建立する。
      幕府の協力による。

      中国風の素晴らしい
      寺院でございます。        >

        失礼いたします。
   おはようございます。
何故、このようにブログを書いているのか?

  それは、「 苦悩 」を克服し「 幸福 」
になるためです。 私も、皆さまも、どなたも
皆、みんな、ミンナでございます。

  身近な人だけでなく、
  知人・友人・同級生・
  親戚・一族・同郷人・
  だけでなく、
  皆、みんな、ミンナでございます。

  おこがましい、不遜・僭越・
  傲慢・思い上がり・
  一人相撲、
  かも しれません。

  でも、
  小生・愚僧・
  コツコツと
  一歩一歩と
  進めていきたく存じます。

  町を歩いていたら、寺院の前に
  紙が張っていました。
    『  100 の 理想  より
        1つ の 実行  』
  本当に、そうです。
  < 苦悩をのりこへ幸福に >
  なる一つです。

  でも、愚僧は、<  おこなう  >より
       <  もつ >より
       <  ある >ことに、
       重点をおいた思考でございます。
  つまり、< 生活 >< 生存 >より
  < 生命 >を重視したほうが、幸福に
  近いのではないかと考えています。
  生活・生存を きちんとした上の、
  「  生命  」 でございます。

     自分の人生の中で
     この3つを、きちんと
     分けて整理しながら
     生きていくと、
     楽なような気がいたします。

            つづき  ます

駄弁ながら、敬と愛をこめて
          残月     合掌

<  「 わたしは、死ぬ 」
   「 自分は、消える 」
   「 動けなくなる 」
   「 見えなくなる 」
   「 聞こえなくなる 」
   、、、、、、、、、、、

   ある禅僧の最後の言葉
   『  この世にもう
      必要でなくなったし、
      わしも、
      必要としない。
      はい、
      さようなら。  』     >

   飛びつつ、失礼いたします。
   建国記念日 です。

 寺院 それも、山寺で、それも弱小で
ございます。  また、本堂という、寺として
根幹になるものも無い状態で、困難な
山中での再建に、挑んでいる愚僧と
いたしましては、国家の事を考える余裕
は ございません、と 言いたいところで
ございます。 
  でも、大切な国家の誕生日なので
祝意を表したいです。

   「 日本 」 よ。
 「  誕生日 おめでとうございます。 」
 「  日本人の一人として、
    国家のためにも、
    貢献したいと存じます。  」
 「  弱小寺院の立場からで
    ございますが、そして、
    世界のためにも。  」


   先日、友人に叱られました。
「 もっと、現代日本社会について、
 学び、考え、寺院として
 発言・行動すべきである。 」

「  そのとうり です。  」

「  21世紀を救える、
  仏教でなければ、ならない 」

「  そのとうりで  ございます。 」


   1945年  国家分裂の危機の回避
   1192年  鎌倉幕府の成立
   、、、、、、、、、、 など
   先人・先祖のみなさま
   の おかげでございます。
   もう、国内における、「 武力衝突 」は
   今のところ無い。
   まことに、ありがたい事でございます。

   今は、勉強不足で、
   発言はひかえたいですが、
   「  日本は、権威と権力を、
      分けた統治制度だから、
      安定している。   」
    とう、考えに共感している
    ものでございます。
    ここに、いたるまでの、
    先人の苦悩・血・汗・涙・
    努力精進もがき格闘に
    心から、感謝申し上げます。
    言葉では、だめだ、
    小生、報恩行も
    いたします。

     
 駄弁ながら、先人に、大感謝を
 こめて。      残月   合掌

<   昔、昔、
     異国にありて、
      人も少ない、 町はずれで、
     日本産の 大きなバイクを
      発見した時の
       なんとも言えない
        あの「 喜び 」 。
          忘れられません。 

      おそらく、ちよっと
        さびしかった小生は
           なつかしく
        元気になった気が
          いたしました。    >

 飛びながら、失礼いたします。

     
     厳密には、

  「  感じる  」
  「  考える  」
  「  信じる  」
  「  行う  」
  「  祈る  」

     でしょうか ?

  この、5つを
  きちんと実行したい
  ものでございます。

  どこで ?

  いろいろな所・場所があります。
  範囲の、大きさは多様です。
 『 世界 』と、いっても、一つ意味
  ではありえません。

  般若心経では
 『 世界 』 を  「 色 」( しき )
 という、一文字で表現しています。
 『 人間 』 を  「 受 」( じゅ )
            「 想 」( そう )
            「 行 」( ぎょう )
            「 識 」( しき )
      の、4つにわけて考えています。

 でも、私たちは、4つどころか、
           6、8、10、20、、、、
   と、単純でなく複雑に
   なりやすいものかも、しれません。
   だから、どうするのか ?
   修行とは、どういう意味か ?

                つづき ます

駄弁ながら、蛇足ながら、敬と愛をこめて。
            残月    合掌

<   あるところでは、90年ぶりの
   大雪とか、100年ぶりの、、、、
   1000年ぶりの、、、、
   10000年ぶりの、、、、、
     傲慢・怠慢にならないよう
     日々、十分に注意しながら
     生活したいと存じます。    >

<  清き光が、満ち満ち溢れます
      ように。    

       このような、あまいことば
      しか  かたれません。
    はづかしや、べんきょうぶそくか、
      すみません   >

          失礼いたします。
    鬼 は 外
    福 は 内

    お に は そ と  
    ふ く は う ち

    遠 仁 者 疎 道
    不 苦 者 迂 智


   「 節分 4 」

  < ふ く は う ち >の説明です。

 『  苦 を 感じない人は  智がでない 』

 現状に 満足する人は  智恵が 出ない
 現状に 不満な人は   智恵が 出ない

 現状に  感謝しつつ
       苦を感じ
       克服・改良を求める人には
                 智恵が 出る。

 『 現状に  感謝しつつ  苦を感じる 』とは
      どういう事でしょうか?

       小さい世界だけに、
       安住しないと、いうこと。

      「 生きている 」という事
       だけで、
       奇跡である
       大もうけである
       と、気づく事。

       そして、自分の環境
       まわりを、よく観ること。

       いかに、苦しみ
       悲しみ、いきずまり、
       こんきゅうし、
       つかれはて、
       声すら 出せない方々も
       多い。
       社会役所の申請主義以前
       の問題も 多いと感じ
       られます。

       新聞による
       私たちの世界の現状も
       悲惨な事が まだまだ
       多い。

       自分の事も、
       感謝に立つと、
       なすべき事が多いと 気づく。
       掃除に、整理整頓という基本すら
       できてない( 笑 )( 笑えない )
       問題山積みだ。


     『  苦とは ? 』

       理想 と 現実 の 不一致
       言葉 と 行為 の 不一致
       心  と 身体  の  不一致
       社会 と 仕事  の  不一致
       、、、、、、、、、  の  「 不一致 」
       親 と 子
       夫 と 妻
       彼 と 彼女
       老 と 若
       男 と 女
       
       先生 と 生徒
       先輩 と 後輩
       上司 と 部下
       師匠 と 弟子  の  不和 
       、、、、、、、、、、  の  「 不和 」

       これらの、「 不一致 」
             「 不和 」 を
             みすごすか ?
             きにしないか ?
             にげるか ?
             あきらめるか ?
             たにんまかせか ?
             、、、、、、、、?

        正面から、できる範囲で、
        いどむ時、
        まさに
        苦 を 苦 と 感じ、
        智恵 が 出て来ます。
        先人に 学ぼうとします。

                つづき   ます

 駄弁ながら 敬 と 愛 をこめて
              残月   合掌

<    人を思いやる 「 仁 」 の 心
     人の苦を感じ行う 「 智 」恵 。
      東洋の教え
     「 仁 義 礼 智 信 」
      現代人も
      身につけたいもので
      ございます。      >

<   清き光が 満ち満ち溢れ
       ますように。
         私たちが、
            正しく受れます
              ように。   >

<   思い出しました。生きる力の源。
     ある書物でした。
    「 100% 満足
      100% 不満足 の状態である。 」
    つまり、『 大感謝 と 慈愛・慈悲 』
         が 泉のように 出てくる
         尽きない 力・エネルギー。  >

   道友のみなさま、失礼いたします。


    
     昨日の つづき です。

     今、名所の順位の事を調べてみました。

     ところが、どうでしょう。

     あるブログで、知った順位と違って

     いました。( 笑 )

     クチコミによる、順位ですから
     絶えず変動しているのでしょう。( 苦笑 )

     他者からの評価は、さておき、
     なすべき事を、きちんと、なしていかなくては。

     、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

     3月からの、アメリカの旅行会社との
     交流の準備を、していかなくては
     なりません。

     来週は、会社の社員の方々が訪問して
     くださいます。  ガイドの方々です。

     渡月橋から、船で往来の予定です。
     それで、大雨・増水・暴風による
     通船不可能の時の事も、幹部の
     方と、検討いたしました。

     千光寺の歴史に、ピッタリの
     対策が 考案できました。
     ありがたい事でございます。
     角倉 了以翁 と関連ある
     施設と 連携できそうです。

     今回、初めて考えた事がございます。
     年間の予定表を、いただいて思いました。
     「  健康で なくては  ならないなー 」
     「  風邪ひとつ  引けないぞ  」
     「  急用以外( 葬儀など )
        迷惑を 絶対かけれないぞ  」
     「  代理の僧侶の方を、必要だ。
        快諾していただき ました。
        大悲閣と 一番関係深い御方です。
      長い交流の たまもので ありがたい 」

     とにかく、
    「 病気・ケガ・事故・争い事 など 」を
     発生・出会い・仕出かさないよう、
     十分注意していきたいと存じます。
      避けれない事は、
      正面から、正しく受け止めなくては、
      そして、きちんと、対処しなくては。
      そうすると、また 発展につながります。
      小生の少ない体験でも、
      いやだったけど
      つらかったけど
      、、、、、、精一杯した、
          させていただいた事が
      人間を 少しづつ 大きくして
      くれているような気がいたします。

     小生は、思っています。
     「  なんでも  おこりうる。
        だから、
        いい事 も  わるい事も、
        心を 空( から )にした
        状態で全てに対する。
     
        敬意と感謝と慈悲と
        義( なすべき事 )で
        しか動かない、
        ガンコな あつかいにくい
        小生です。
        ( 利益でも
          権力でも
          権威でも
          好き嫌いでも
          暴力でも
          評価評判でも
          あまり 効果ない
          あまり 影響しない
          人間の つもりです、バカなのか? )
          ( 笑 )( 微笑 )
          ( 苦笑 )( 大笑 )

        利も大切ですが、
        どうにか、
        みなさま方のおかげで、
        『 先義 後利 』を、貫けている
        気がいたします。
        ( 評価は さておき。 苦笑 )

        つまり、ありがたい事に
        利益にはしらず、
        したい事が、なさねばならない事と
        一致する 幸福な状態でございます。
        多くの みなさま方の、
        愛情・支援・御協力のたまもので
        ございます。
        心の奥から、感謝申し上げます。   」

        久しぶりに、時間があり
        長くなりました。
        ありがとうございました。


      駄弁ながら、御知らせです、
           敬 と 愛 を こめて。
                    残月  合掌

       <   寒い日々で
           ございます。
           くれぐれも、
           むちゃなされず、
           元気に ともに
           春を迎えたく
           存じます。    >

       <   世界で、
            苦しみ悲しんでいる
            子供たちが
            いると思うと、
            効果ある何かを
            なさねばならないと
            つくづく存じます。
            やらねば、、、、
            、、、、、、、、、、。 >

        道友のみなさま、失礼いたします。
    
   半月ほど前から、携帯電話で
 小生・愚僧の ブログを 観れるように
いたしました。 今まで、パソコンを前に
できる時間が、あまりございませんでした。
  思いを、伝えることが、精一杯です。
なかなか再読できない、恥ずかしい状況
でございます。

  昨日、昼間に、携帯で
「  和尚日和  」 を 検索し
みました。
  次に、 朝顔 という ブログ記事
があるみたいで、( すみません、
存じませんでした、感謝いたします。 )
  なんと、面白い数字を
のせてくださっているのでは、ございませんか。

  欧米誌 の トリップアドバイザーです。
京都観光地  316 件 で
嵐山  大悲閣  千光寺  が
第何位 で あるのか、 教えていただきました。

  いや、驚きました。
、、、、、、、、、  
明日、お伝えいたします。

 ありがたい事でございます。
10人の 入山参詣者のうち
 7人が 欧米人と 断言できそうな現状
ですから、、、それで、、
という 気持ちです。

  3月から、アメリカ の すばらしい
旅行会社 と 協力関係を結び
人類文化にも、貢献できるように
なるかも、しれません。
 ほぼ、確定です。

   精一杯、
 愚僧ながら、
身を砕き、
骨を粉にして
 対応させてもらう
覚悟でございます。

 みなさま、道友さま、
御協力くださいませ。


  駄弁ながら 御報告です、
     敬 と 愛 をこめて。

           残月   合掌

<   東洋
    仏教
    和敬清寂
    一期一会
    わび
    、、、、、、、、  
       など
      お伝えいたしたく
      ぞんじます。   >

飛びながら、 失礼いたします。

  ありがたや、ありがたや。
無限なる 光よ、
ありがたや、、、、、、、、、、。

『  この世の苦しみを
少しずつでも  減らしたまえ。
  われらも 精一杯 いたします。 』
      「  仁  」  の   心
    まさに、 自分勝手でなく、
          わがままでなく、
          自分の都合だけでなく、

          だれかと、共に
          だれかを、気にかけて
          だれかを、思いやって
    
        みんなの事を、心配しながら
        みんなの事を、気にしながら
        みんなの事を、思いながら
          
     生きていこうとして、こそ
     生活していこうとして、こそ
     生存していこうとして、こそ
     生命をたもとうとして、こそ

      「  道  」( みち ) という、
  まさに、  普遍( ふへん )という、
         だれにでも、あてはまり、
         いつでも、あてはまり
         どこでも、あてはまる、
         < なにか > を

         もとめざるおえなく、なります。

         あれは あれでなく、
         これは これでなく
         あの人は  あの人でなく
         この人は  この人でなく

         『  人  』
         『  時  』
         『  所  』 を ( から )

         ぶっこえた< なにか > を
         超越した< なにか > を
         縛られない< なにか > を
         自由な< なにか > を

         求めざるおえなく、なります。

         この事を、
         『  道 を  求める  』 と
         表現することが、
         できると存じます。


         『  仁  』 と 『  道  』 は
         一つで、ございます。

         やさしさを、自信をもって、
         さわやかに、明るく、実行できる
         ように、なれる事ではなかろうかと
         存知ます。

         『  道  』 をもててこそ、
         人間の理想である、
         愛の人、
         慈愛の人
         慈悲の人
         になれるのでございます。

         みなさま、 共に、
        『 道 』 を 求めていこうでは
         ございませんか ?

    駄弁ながら 敬 と 愛 をこめて
                 残月   合掌

  <   個人主義
      利己主義
      エゴイズム
      刹那主義
      快楽主義
      虚無主義

      に、 落ちないように
      落ちても、
      はい上がれます。

      ここには、
     「 安心も幸福も 」 無から。
              ( 微笑 )( 苦笑 ) >

   失礼いたします。 バタバタ。( 笑 )
    

    お  に  は  そ  と

    遠  仁  者  疎  道

  「  仁 に 遠いものは  道  に 気づかない 」


    ふ  く  は  う  ち

    不  苦  者  迂  智

  「  苦 せざるものは  智  が  出てこない  」



    ・  『  仁  と   道  』    の関係です

    ・  『  苦  と   智  』    の関係です


     つまり

    ・  他の人の事を   思いやる
                  心配する
                  気にかける、
        という『 仁 』 の 心 について。

    ・  理想と現実
       言葉と行為
       心と身体
       自分と他人
       社会と仕事
       、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、
       あらゆる  不一致を
              不和を
       『  苦  』 と 思うか
                 感じるか
                 悩みきれるか
                 たたかえるか
                 放置しないか
          
       「 苦 」 を 「 苦 」 と
           思えることの
              人生における
                大切さ。

          つづき  ます。


  駄弁ながら、敬 と 愛 をこめて
              残月   合掌

<   昨日 の 訂正です。

    2月4日は、旧1月5日でした。

    申し訳ございませんでした。   

    正月節 を 元旦と勘違い
    いたしました。おゆるしを。     >

<  まちがい  てちがい  かんちがい
      を  あまりしませんように。
          ( 大笑い )( 反省 )   >

    飛びつつ  失礼いたします。
    昨日は、節分でした。

   『  鬼は外  福は内  』



 「  お に は そ と
  遠  仁  者  疎  道  」

 「  ふ く は う ち

  不  苦  者  迂  智  」


   上記の 当て字 は
  どう解釈 したら いいのでしょうか ?

    おもしろい 先人の 言葉・
  知恵で  ございます。
  クイズです  考えてみてください。



 御存じかも知れませんが、
    道友のみなさま方へ、敬と愛をこめて

             残月   合掌


<  本日  2月4日 が
        旧正月、元旦
        正月節

   まさに
        立春大吉

      おめでとうございます

     この文字を読んでくださって
     らっしゃるお方、御仁は、
     尊い 道友で ございます。

     ありがとうございます。

     この、むずかしくも
         とうとい人生を
         ともに、
         さわやかに
         ちからつよく
         やさしく

         生き抜こうでは
         ございませんか。

      尊く ありがたい 道友さま 。   >

            失礼いたします。

『  本当は  風を感じて  祈るだけ
     この世の光   胸にいだきて  』

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


「  疑いを  いだきてこの世  生きれない
     考えつくせ   愛するために   」


「  信じ切る  愛をつくして  信じ切る
     信じる人に  君ボクはない   」


「  ねるおきる  くうにトイレに  あとはなに
     たべものひろう  りょうてでうけよ  」


「  おす と めす  いん と よう なる  このよかな
     おう・とつ むすび  すすみながれる   」


「  老幼を  まもりとうして  人の世ぞ
        愛をつくして  考えつくせ    」


「  病気です  事故に事件に  争いだ
       なかま皆で  助けるよき世    」
         ( こわがるな 人を信ぜよ )


「  世はすすみ   金(きん)をうみだし  はんえいす
      いかしつくせよ  金(きん)の尊さ  」


「  行いは  自他の境( さかい )を   消すことさ
      愛の行い  信の成立   」


「  信あれば   心は静か   うれいなし
      そして明日は  
          考えすすむ  」


                つづき   ます

 駄歌なれど  敬と愛をこめて
              残月     合掌

<   1月で  愚僧にとり
    大きな仕事を ニつ終えたつもりです。
     まだ、懸案の大きいのが、三つ。

     新規も、はじまります。

     懸案事項、御待ちの方々、
     すみませんです。
     仕事が おそいです。
     御許しください。
     独り言です、愚痴なり。( 恥 )
     思い、届かず ( 苦笑 )        >

<  反省ばかりです、おゆるしを    >

<  よき一日で  ございますように  >

    飛びつつ  失礼いたします。


    「  感じる  」 ことも  大切です。
    「  祈る  」 ことも  大切です。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    『   感じること   』

    『   考えること   』

    『   信じること   』

    『   行うこと   』

    『   祈ること   』


1  (  しあわせ  )を 感じたい。、、、
2  考えること、は無い。 工夫のみ、、、
3  信じる 状態。 
      何を、根本を・理想を。
4  行う。 勇気をもって。
5  祈り ます、 ただ。 
     あきらめないために。


 「   感じます 
       あなたの愛を
          感じます
            あなたドンドン
                大きくなるよ    」

 「   考える
        愛をこめつつ
            考える
               疑いなくせ
                 考えつくせ   」
                   

 「   信じます
         ただ信じます
             信じます
                 疑いません
            あなた( すべて )の愛を  」

 「   行うぞ
        ただ行うぞ
           実行だ
              感じるままに
                 信じることを    」

 「   祈ります
        ただ祈ります
             祈ります
                 あなたのために
                     すべてのために 」


                つづき   ます

       ( あなた )と( すべて )の関係です。

  駄弁駄歌なれど、
        つよく・やさしく・さわやかに、
            生き抜く ために。

                  残月   合掌

<   土・日 は だんだん
      行事が 増えてきます
        春 なの でしょうか ?
            ( 微笑 )   >

   飛びながら 失礼いたします
        
        
                  

   映画 「 ハンナ・アーレント 」 の 
 1 から 5 は、
「  考え・信じ・行う  」 の、1 から 5 と
整理して、かんがえを進めて行きたく存じます。


   2月から、春の気配が、感じられますが、
北の方では、雪でございますでしょう。


 『  細胞の初期化による
  病気治療の 可能性   』

 が、すばらしく
 数年前から、話題になっています。


  愚僧は、仏教を、

 『  心  の 初期化による
  苦悩克服の 可能性   』

  とも、表現できるのではないだろうか?
  思ったり しています。
  ( 成熟化 かな ? )

  日常においては、
  まさに 「 初心 、忘るべからず  」で
  ございます。
  このごろ、よく思います。
  「  いくつに なっても はじめての事ばかり  」 と。
  つまり、
  「  いくつに  なっても  びっくり ばかり  」( 笑 )

    ところで、
    昨日の つづき  です。
<  やさしい意識・ やさしい心・やさしい光  >
  に、つつまれて いる、
    まもられて いる、
    何故か しらないけども、
    実感している
    心の 状態 が。

   小生にとっての
   「  仏さま  神さま  を 信じている  」
   ことかも しれません。
   ただ  ありがたや  ありがたや。


   『 存在している事 』 だけで、
   喜びと 感謝の思い で いっぱいになり、

   なにか、全てのために、しなくてはならないと
   いう、思いにかられます。( よけいな事 微笑 )



    ゴメン、「 ぼだいさった 道玉 」 さまへの
    答えでは ございません。(  メール いただいてます )


                    つづき   ます

 駄弁ながら  敬と愛を こめて
                    残月  合掌

 <   「 さとり 」
      「  理想 の 心の状態 」を

      『  すべてを  愛し
         すべてに  愛される気持ち  』

      と、おっしゃられた
      先人が いました。

      おもしろい。
      すばらしい。
      原点と したい、です。   >

  またしても、飛びながら、失礼いたします。

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