2013年8月アーカイブ

  謙信公 家訓

6 「 心に  誤りなき時
         人を 畏れず 」  その3



 私たちが、いつも、いつも、
お天道さまと共に、生きれて、
また、自分以外の方々を悪く思わず、
自分の利益中心でなくても生きれる、いい境遇に
生活できたらよいですが、

 自分を守り助け協力してもらい、さらに教えてもらい
訓練してもらい鍛錬してもらえるような、いい環境、
家族、親族、地域、町村、社会、国家、世界に
生まれ、育てられたら、
私たち人間は、どんなに幸福でしょうか?

 現代日本社会は、どうにか土台は達成できた
ような気がいたしますが、問題、課題は山積みです。

 世界は、もう大変です。

     でございますから、
  自然に、お天道さまと共に生きれず、
清廉潔白にもなれず、我利我利で苦しみに
生きてしまいがちで、ございます。
  つまり、
「  誤ってしまい、人を畏れ、  」
  人間が、「 ひねくれ  曲がってしまう 」。

  つまり、 その3 でいう

「 素直 」 「 率直 」 「 正直 」に、なれず、
苦しんでしまいがちです。



   あやまりやすい人間を、
   人をおそれやすい人間を、
   ひねくれ曲がる人間を、


   どんな状況であろうと、
  曲がることなく、直( ちょく )に
たもって もらおうと  しているのが、
もろもろの、宗教のような気がいたします。


   そして、仏教の中の< 観音さま >は、

 別名 『  施無畏  ( せむい )  』
といい、(  おそれが無い 状態を  ほどこす  )
菩薩( ぼさつ )さまと、いわれてございます。


           つづき   ます

  駄弁ながら、< 直 >をたもつために。

                  残月    合掌


<  一日  しあわせで ございますよう  >

< 苦しみ 悲しみの  消滅を  すこしでも >

< 不平 不服 不満  の前に 一工夫  >

< 一日一善   人知れず、損をする
           ゴミひろいの時間は、損?
           損にして、損にあらず(笑) >

<  ただ、尽くす。
   尽くせる何かが、無いのであれば、
   何もしない事に、尽くす。

          坐禅・念仏・題目・・・
      行いを捨てることに尽くすー坐禅
      思いを捨てることに尽くすー念仏
      、、、、、、、、、、   >


  走りながら     失礼いたします。



      ある言葉
    謙信公の家訓( かくん  家の教え )

6 「 心に  誤りなき時 ( あやまり )
      人を  畏れず ( おそれず ) 」


  私たちは、あまりに、
自分のためだけに、生きていると。
自分以外の他の方々も、
そのように生きている、物事を見ていると思い、
自分を守ろうと、必死になったりします。

  他の人々より< 損したら、大変だ  >(笑)
と、キョロキョロして落ち着きませんし( 笑 )、
終いには、不安、不信そして対人恐怖みたいに
なったりもします。
  まさに「 人を  恐れて、畏れてしまいます 」


  そうしますと、昨日の『 三直 』( 笑 )
「 素直 」 「 卒直 」 「 正直 」
「 すなお 」「 そっちょく 」「 しょうじき 」
という、

私たちの( 善さ )が、失われがちになり易いと
どなたも、御感じになられる事でしょう。

  そのようになりますると、
人生、生きにくいので、やはり、
 ( おそれ )を、持たないようにしたい
もので、ございます。
  < あまり >持たないように、( 笑 )
精進努力したいものでございます。



  そのためには、
 「 どのように したらよいの でしょうか? 」

 「 自分中心を、やめる事 でしょうか? 」
 「 何を、中心にしたら、いいのだろうか? 」

 「 家族中心 ? 」
 「 社会中心 ? 」
 「 仕事中心 ? 」
 「 国家中心 ? 」
 「 お金中心 ? 」
 「 地位中心 ? 」
 「 彼 中心 ? 」
 「 彼女中心 ? 」
 「 趣味中心 ? 」
   、
   、
   、
   、
   、
 「 神様中心 ? 」
 「 仏様中心 ? 」
 「 信仰中心 ? 」
 「 礼拝読経中心  ? 」
 「 坐禅 念仏 題目 中心 ? 」
 「 来世中心 ? 」
 「 10年後中心 ? 」
 「 30年後中心 ? 」
 「 過去中心  ? 」
 「 前世中心  ? 」

 「 住宅中心  ? 」
 「 土地中心  ? 」
 「 u  F o   中心  ? 」( 笑 )
 「 お月さま 中心  ? 」( 笑 )
 「 お日さま 中心  ? 」( その通りです )

   、
   、
   、
   、
 「 中心が無いことを、 中心に ? 」
   そんな、バカな。

   中心あればこそ、でも、
そくばく、されたくない。 そんな中心はないのか?
  都合よすぎるぞ( 大笑 )


  しかし、般若心経でいってる事は、
              勧めている事は、
              教えている事は、
   、、、、、、、
   、、、、、、、

          つづき ます

 駄弁ながら、強く自由にやさしく生きるために

             残月     合掌


< 一日  しあわせで  ありますように >

< 悲しみ 苦しみよ  、、、、、  >

< 一日一善  ( 損を してみよう )笑
          ( 人に 知られず )笑  >

< 一日十全 の一つ  
          ( 何もしない事に
          ( 心と身を 尽くす。
          ( 悪か?
          ( 善か? )   >


< 御病気の( なかま )の
       一日でも お早い  ご回復を >


   走りながら   失礼いたします。
      

  謙信公の御言葉で家訓でございます。


6 「 心に  誤りなき時 ( あやまりなき時 )
      人を  畏れず ( おそれず )  」


  私たちは、よく< 間ちがい >
          < 手ちがい >
          < 勘ちがい >を、しでかします。
  小生も、よく、しでかしてしまい、( 笑 )
 急いで、訂正に追われたりします。
皆さまは、いかがでしょうか? 
なるべく、≪  ちがい  ≫を少なくしたいものですが。
  それが、なかなか、むずかしい。 ( 大笑 )

  失敗したら、反省して、努力精進あるのみです。
くじけず、くさらず、人を悪く言わず、歩くのみです。
一歩一歩 また 一歩です。 



  ここの 『 あやまり 』 は
いまの ≪  ちがい  ≫とは、異なると存じます。
 間ちがえ ないで 下さいませ。(笑)



  『  あやまりが  ない時  』とは、

つまり、
『  天地( てんち )に 恥じる事がない時 』
と、とらえたいと存じます。

また、
『 清廉 潔白 ( せいれん けっぱく )の心根 』を
もってる時と。

そして、
『 我利我利亡者( がりがり もうじゃ )でない生活 』
でない時と、考えてみたいと存じます。 ( 笑 )

今風ですと、
『 自分中心で、エゴイスト、己(おのれ)だけよければ 』
という気持ちがない時とも、いえます。 ( 大笑 )



  このような『 あやまりが  ない時  』は
 「  人を  畏れず ( おそれず ) 」でございます。



    『  人を  おそれない  』という事は、
  とても、とても、とても、大切で、重要な事です。

    尊敬のあまり、畏れるではございません。
    尊崇のあまりの、( おそれ )ではないです。

    『  人を  おそれて しまう 』と、
      人間のいい性質である
  『  素直  』 『  卒直  』 『  正直  』
  が、うすれ、かくれて、しまいがちです。 
    面白い事です、≪  直  ≫が三つとも。( 笑 )


              つづき  ます。


  <  観音菩薩さまは、この『 おそれ 』を
    取り除いてくださると、数千年、
    うまず、たゆまず、あきらめず、
      愚かながらも、可愛いらしい私たちを、(笑)
        どうにかして やりたいと、
         語りかけてくださっています。
               ( ホントウ です )(笑)

            般若心経、観音経です。 >


    駄弁ながら        残月   合掌



 <  一日一善、
    一日十全( 全力を 尽くしたい )
          ( 自分を 尽くしたい )
          ( 己 を  尽くしたい )
          ( 心 を  尽くしたい )

       くすぶるな、もえつくせ、 静かに。

       昨日も、明日も、無い。
       、、、、、、、、も、無い。
       、、、、、、、、も、無い。
       、、、、、、、、も、無い。    >


   走りながら  失礼いたします。

      追伸    「 何に、尽くすのか? 」

             「  不識 ( ふしき )
                しらないよ、、、、 」
         
               ( 爆笑 )( 笑えない )。


「  天地( あめつち )へ
    返すさだめの 身と心
       日々の ホコリを   払い清めん  」

「  この世にて
     手足、目耳と  ありがたし
        使い活かせと  何や ささやく  」

「  心あり  どんな意味かと  人とわば
    命の世界  縦横無尽( じゅうおう むじん )」


「    世の中の  真善美をば  ふやさんと
       心をつかい  全てを活かせ   」


「   悲しさよ  この苦しみよ  いつの日か
       消えてしまえよ   皆のチカラで   」


「   間ちがいを  手ちがいをして  しかられる
       この世はよきか   見捨てはしない  」


「  ありがたさ  うれしい気持ち  満ち満ちて
        己がつとめを   この日 はげめや  」


「  人に会う  目が合い心  話す時
      天地( てんち )の味を   ともに喜べ  」


「  月あかり  この世を照らす  兄弟さ
            静かに見てる  やさしい姉妹  」





        厚顔無恥の残月です。
 お日さまが、近いと散文が書けないようです。
 心の働きが、早朝と違うようです。( 反省します )



    駄歌です、心をこめて、祈りとともに


              残月    大合掌

   遅くなっております。
 ちょつとバタバタです。
夏バテは、大分回復いたしました。( 笑 )



  「 夏バテは  長き眠りと  坐禅かな
  永久( とわ )の眠りの  まねをしてみる 」
                    

  「 坐禅とは いかなる事を  いうのやら
      心を捨てよ   体を捨てよ  」

  「 心をば  捨ててみるには  いかがする
      丸めて一つに  できぬものかわ 」

  「 体をば  捨ててみるには  いかがする
      蚊が血を吸うも  何のことやら  」
  
  「 心捨て  体を捨てて  ある時は
      やすらぎ世界  グーと広がる  」

  「 坐禅会  言葉使わぬ  語らいは
      清き風ふく   嵐山かな     」

  「 オレが死ぬ  心と体  捨てること 
      御世話になりし  この世とともに 」

  「 捨てるとは  おそれおおき  言葉なり
      身を縮ませて  神仏おそる   」


         厚顔無恥の残月です 

 


       駄歌で、すみません。

                残月  大合掌


< 今日一日が  しあわせで
       ありますように    >

< 悲しみ  苦しみが
      少しでも  へりますように >

< 御病気・御ケガの( なかま )の
      一日でも  お早い  回復を  >



    走りながら  失礼いたします。


  
  さっそく、助言をいただきました。
ありがとうございました。いいお考えです。

 日曜日 13時に、参加できない人のために
土曜日の夜 7時からも、開催するのはどうか?

 いいですね。 遠くからも、参加できます。
9時くらいから、修行してもいいし、寝てもいい、
山中清談なら、何時まででもいい。

 朝は、清掃・読経・粥( おかゆ と 梅干し )。
寺院も、美しくなる。 

<  山中清談  >が大切です。
下記のこの一線は、譲りません。( 笑 )
  
  1   禁酒
  2   禁煙
  3   禁肉食
      ( 酒、煙草を
        欲しくなりやすい )

  
 里町でも、できる事は、山中では、
しない。  山中の意味がないから。( 笑 )

 <  水をのんで  楽しめる  >人間に
なりたい人のための、菩薩会です。( 笑 )
 ここで、大切なのは、
< 水を飲む >ことが、
< 貧困 >の象徴にならない事です。

< 水を飲む >という事が、言葉が、
あんまり、簡単に、
≪ 欲 ≫ に振り回されない、
という象徴にしたい、ものです。( 笑 )

≪ 菩薩の 誇り ≫としたいものです。
< 自分中心のみ >、では生きない、
できるだけ、< 自分以外の人 >の役に、
立ちたいという方々、
( 内面の平安 )をもとめる方々、

火に焼けず
水にとけず
盗難にあわない
金剛( ダイヤモンド )のような
( 内面の平安 )を、
(心の奥)から、願い求める方々を、

≪ 菩薩 ≫と お呼びしたい。


 現実は、
「  錦( にしき )着て、憂う人あり
    水を飲んで  楽しむ人あり  」

の世界です。
 ≪  錦  ≫を着たい方は、
楽しまれて当然です、経済も発展するかも
しれません、 < 憂い >こそ
文化文明の源かもしれません、
≪  錦を着て、憂いを持てることこそが、
    幸福の極みである  ≫
かもしれません。

  現代日本人は、もう、意外に、
味会っているかもしれません。
もう、≪  錦  ≫は、いい、
あんまり必要じゃないと、
思ってられる方々の
 < 嵐山  観音菩薩会 >
で、ございます。

  完全に、いらない、でなく、
あんまり、いらない、でいいと存知ます。
ガチガチに、考えてよくないのは、
皆さまも、よく御存じの事と思います。

 また、一年間無料パス< 5000円 >
の助言もいただきました。
これを、会員券としても、いいですね。( 笑 )
御意見、御助言を、
お願い申し上げます。


             つづき  ます


  面白くもない、駄弁です
             残月    合掌


追伸、 ここ2、3日 夏ばて です。
     坐禅を、きちんと、しなくては。( 笑 )


< 一日 しあわせを 感じられますように >

< 清き光よ  この世に  満ち満ちよ  >

< まちがい  てちがい  かんちがい
     を  あまり  しません ように  >

< 御病気・御ケガの( なかま )の、
     一日でも  お早い
         ご回復を   >


  遅くなりました、失礼いたします。


 メールの問い合わせからです。
個人的にも、御答へいたしますが、
寺院・愚僧に、とりましても大切なので、
また、拙ブログの基底でありますので、
語らせていただきます。


 京都・嵐山大悲閣・千光寺という
仏教寺院を< 活かしたい >という
気持ちです。  また、愚僧が、青春時代
から苦悩しながら人生を模索してきた事を
も< 活かしたい >という思いから、
「  嵐山心学  」
「  嵐山 観音菩薩会  」
の、旗揚げを、致したく存じています。

( 以前のブログで、御話していました )
( 御関心をいただき、ありがとうございます )
( まだ、進んでいませんのです )
( このブログと、
( 第一日曜日、13時からの読経・法話です )
(今秋は、9月1日 10月6日 11月3日です)


 おそらく、京都でも何百の会があり、
全国では、何千何万の会が、ある事で
しょう。
 いい精神修養団体も、数えたらきりが
ないです。( 笑 )

 しかし、寺院の役割・僧侶の使命として
現代世界社会において、< 発奮 >
( はっぷん )( 覚悟をもって、気合いを
こめて )( 命がけの情熱・熱意 )
しなければ、ならないと、思いつつ精進
しているつもりですが、     まだまだ
日常に、おわれてしまっています。( 反省 )
( 大反省 )( しかし、御盆がおわった
ばかりです。  笑  )

 また、このことが、寺院の存在意義を
高め、寺院存続のための経済基盤の確立
になることは、明白でございます。


 多くの方々の、お役に立ててこそ、
寺院・僧侶の役割・意味はあるので
より真剣に、精進努力いたす所存に
ございます。

  どうか、皆さま、御協力お願い
申し上げます。 明日、内容について、
お話したく存じます。  どうか、御意見、
アドバイスございましたら、平に御指導
のほど、お願い申し上げます。


        つづき ます。

  駄弁ながら     残月   合掌



< 一日  しあわせで  ございますよう >

< 清き光が  満ち満ち溢れ  ますよう  >

< 悲しみ 苦しみが  へりますように  >

< すべて、粗末にされません、ように  >

< 心も体も  健康でありますように  >
< 社会も 世界も  健康でありますように >

<  病気になっても  よく休養し
       治療して 回復しますように  >

< つとめを、きちんと、はたせますように >

<  残暑に  負けませぬように  >


    走りつつ 失礼いたします。

8月24日(土)  ある言葉  6

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  京都は雨です。全国的に雨でしょうか?
いつの間にか、蝉の声が聞こえてこなくなりました。
夕方も早まりましたが、夜間は涼しいとはならない
という苦しさ辛さでは、ございませんか? ( 笑 )



8  「 心に  貪り( むさぼり )なき時

       人に  へつらうこと なし 。  」


  ( むさぼり )とは、いったい何なのでしょうか?
 
  必要以上に、( もとめる )こと。 どこまでが、

  必要なのか?  この、見極めが、むずかしい。

 <  ブログ 無について  >に語りました、
 『  楽しみ  』  です。

  味噌汁なのか
  スープなのか
  コーヒーなのか
  紅茶なのか
  抹茶なのか
  酒なのか
  ビールなのか
  水道水なのか
  天然水なのか
  水なのか
  、、、、、、、
  、、、、、、、
  、、、、、、、

  何で、満足できるのか? この私。( 笑 )
  で、ございます。 むずかしいものです。
  ≪  純  ≫にならなければ、
  自分が、何をもとめているか、わかりにくい。

  <  刺激( しげき )  >に反応する事は、
  生物原理であり、
  <  社会的刺激  >に反応するから人間
  でもございます。


  (  へつらい  )とは、何なのでしょうか?
  いい人間関係ではなく、 損得利害中心の
  さびしい関係かもしれません。
  自分の心、本心に反していて、とても、
  つらい事かもしれません。
  つかれる事かもしれません。
  仕事だからと、いつも、必要とは、限らない
  かもしれません。  でも、つらい事でしょう。


  今、ここの自分に、必要な物を、見極めたい
  ですね。  すると、やはり「 閑坐・数息 」
  が、でてきますか。
  <  欲望以前の世界  >を観なければ、
 < 欲望 の世界 >に振り回されてしまいそう。
  ( 笑 )( 大笑 )( 爆笑 )
  ( 微笑 )( 苦笑 )。


 また、 「 信 」の確立か?
      「 覚悟 」の成立か?
      「 自分 」の見極めたのか?
 「 死ぬまでに、何をするのか 」
    決める事ができたのか?
 「  個人的人間の目的を、
    あきらめず、さがしえたのか? 
 「  世間でいう、神・仏にたいして
      きちんと、理解できたのか?
      仮に、否定するとしても。

                つづきます


  駄弁ながら、共に生きるために

           残月   合掌

<  一日 しあわせで ございますよう  >

< 清き光が 満ち満ち溢れ ますよう  >

< 悲しみ 苦しみが  この世から
    少しでも  へりますように   >

< あらゆる存在・生命が、
      粗末に  粗末に
         されませんように  >

< おさなきもの  おとしめされた方方が
     大切に されますように  >

< この世から、病院・刑務所の
    役割が なくなりますように  >

<  心の健康   身体の健康こそ
     また、社会の健康( 健全 )こそ、
        私たちの 目的ではないのか?  
     スピード アップではない。
         ( 目的地を 知らずして )
     もう、大量生産ではない。
         ( 病気までして、、、)
         、、、、、、
         、、、、、、、        >

<  大宇宙と 小宇宙の 調和こそ。
     小宇宙とは、 人間。
     小天地とは、 人間。
     ここを、よく自覚・意識すること。

    さあ、< 欲 >とは何ものか?  >


    多弁反省、多謝。   失礼いたします。


  

8月23日(金)  ある言葉 5

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     非常に暑い毎日です。
  京都だから、なのでしょうか?
 海の底に、いるような気がいたします。
 それ位、湿度も高いです。

  もう、日本は< 温帯 >ではなく、
 < 亜熱帯 >と捉えたら、いいかも
 しれません。 すると、マラリアという
 蚊が媒介する病気が広がり始める
 と言う事でしょうか。
  とにかく、天気気侯にたいする見方を
 変えてかからなければ、
 負けてしまいそうです。

   
   8月10日・17日のつづきです。

 7  「 心に 邪見なき時
              人を 育つる  」


     なんでも、疑う事なく、
     やさしい眼差しで、
     見守ってくださる方が
     身近に、御側に、
     いましたら、
     私たちは、どのような人間に
     なるでしょうか。
     どのような、人間に育つでしょうか。


     物事を、バカみたいに
     信じたり、決して悪く
     考えない。
     とにかく、
     なんでも、いいように
     とらえる。
     愚僧も、そうかも( 笑 )
     いや、まだ、徹していない。( 大笑 )

    皆さん< 妙好人 みょうこうにん >
    を、お調べください。
    浄土真宗で、信心安心を得た方々の
    生活・言行は、すばらしいですよ。
    禅宗で、我を捨てきれたみたいな、
    じつに、妙で面白く、考えさせられる
    人々です。

   でも、 
   「 振り込み詐欺 」には、まきこまれ
   ないような気がいたします。
  < 本当に、心配することでしょう >
  < 電話を、かけてきた、話している人へも >
  < だから、御金で、すぐ解決できると
       思はないような気がします >
  < 心配して、心配して、
       その場で、倒れてしまうかも、、>

    先日、知人のメールにも、関しますが、
   「  嘘を、言わざるおえない人の、
       心を、悲しい心を、信じる  」
   のです。

   「  むずかしい事ですが、
         行為・言動を信じるのでなく
         存在を信じてしまう事  」
   が、大切です。

    利害のある仕事関係では
   ありません。( 大笑 )


    バカみたいな、いい人が、
    この世に、増えたらいいなー。
    小生も、愚僧も、
    バカなこと、やってると、
    いわれてきたなー。
    今でも、いわれてるなー。
    という気が、いたします。( 笑 )



   駄弁・多弁です、愛をこめて

            残月    合掌



  追伸、  先日、知人の携帯から
       このブログを見せてもらいました。
     文章の切れ目が、パソコンと違い
    読みにくい気がしたので、昨日と
    今日は、このようにしています。
     どうでしょうか?

       試行錯誤、おゆるしください。

         失礼いたします。







8月22日(木)  ある言葉 4

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      8月17日( 土 )の、続きです。

    先日、この「 こころ 」のプリント( 謙信公 家訓 )の
    意味が分からない所があると、登山してくれた若者が
    いたそうです。  
      留守していて、申し訳ありません。
    住職が確実にいる、日時を毎週、掲示するように
    したいと存じます。 「 住職は、いなくてもいい 」
    も、多いですが。( 笑 )
    「 いないほうが、いい 」( 大笑 )、とも。

      「 住職が居ない方が、タバコが吸えていい 」
    とか。  こまったものです。
    もっと、きびしくいたします。 まことに、申し訳ご
    ざいません。  御不快の点、おわび申し上げます。

      このごろ、病院に、禁煙外来があるそうですが、
    大悲閣は< 禁煙道場 >にしようかな。
      愚僧が、
    < やめたくて やめられない方 >を、
    合掌礼拝の後、
    警策( けいさく )6打。
    坐禅( 無意識 ・ 潜在意識界へ、覚悟を )( 笑 )
    心からの、禁煙誓願( 笑 )
    警策6打。
    繰り返し。
    何度でも。
    何日でも。

      愚僧も、苦労して止めました。

          生理現象でしょう
          でも、
          心理現象でも、ございます。
      『  人生の 見通しを  持てると、
          だいぶ  ちがう  』 とか?

      、、、、、、、、、、
      、、、、、、、、、、
      、、、、、、、、、、
    

      

    
   4  心に  私( わたくし )なき時  疑ふことなし。


       日常生活においても、身近な方を、
       < 疑うこと無い >はとても、とても、
       大切です。

       まず、< 信じる事 >
           < 信頼する事 >が、第一です。

       ここでの、注意点は、
           < 正しい >< まちがい >は、
       関係無いという事。
      
       物事は、人は、すべて、
       受け入れる事から、始まり、進む。
       疑う人は、
       よき協力者をえれない。

       協力なくして、
       人生、楽しくない。
       人生、何もできない。

       < 私 >を、捨てよ。
       < 天 >が、守る。

       < 私 >から、離れよ。
       < 神 >が、導く( みちびく )。

       < 私 >を、忘れよ。
       < 仏 >に、成り、人を助けよ。


       < 私 >とは、何か?

             この感覚?
             この感想?
             この意志?
             この意識?

             先入観?

             先入観なし。
             空、からっほ。

        < 私 >は、 それ。
        < 私 >は、 あれ。
        < 私 >は、 かれ。
        < 私 >は、あなた。


        まねる。 まなぶ。( 学ぶ )
        そのための、基本・原理・根本です。

        < 正しい >< まちがい >別問題です。



                     つづき ます。

    駄弁です        残月     合掌


  <  しあわせで  ございますように   >

     走りつつ    失礼いたします。
           

8月21日(水)  弘法大師  空海

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       21日という数字を見ると、
    どうしても、弘法大師 空海和尚さまの事を思い出してしまいます。
    2・3度ブログで、お話させていただきました。
    大師さまに、関する書物・講演・寺院・僧侶の方々は、沢山です。
    さすが、御盛況です。 さすが、真言宗。 さすが、密教でございます。
      昨日の、本願寺の浄土真宗も、すばらしい御盛況でした。

      京都の各宗派の本山・大本山は、一様にすばらしい。
    全国津々浦々の末寺・檀家信者の、みなさまのおかげです。


      また、 「  現世利益を 強調し  町衆・町人に支持されました 」
     法華・日蓮宗の、各御本山もすばらしいものでございます。


      京都の町を散歩しながら、
    仏教の歴史のお話をしたいものです。
    いえ、山のように、催し、カルチャセンターはありますね。( 大笑 )



       故郷、長崎県 五島列島は、大師さま信仰が盛んです。
    子供の頃、よく聞いていたお話です。
    母は、よくお参りに行ってました。寺院でも、僧尼様でも
    ございませんでした。
      「  あの方は、弘法大師を信仰して、御病気が
       よくなったそうよ。  それからというもの、
       毎夜、大師が枕もとに現われて( 高野山へ来い、
       高野山へ来い、高野山へ来い 。  修行して、
       今度は、 人を助けろ、人を助けろ。 )と
         おしゃられたそうよ。  」 と。


                  また、いつか。
              次の、21日に。( 笑 )


         駄弁です              残月     合掌


  <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >

  <  まちがい  てちがい   かんちがい
        を あまり しでかさ ないように

            お守りください ませ      >

  <   敬天  愛人  ( けいてん  あいじん )

         天を敬い、( てん を  うやまい )
         人を愛する。( ひと を  あいする )

             考え方・心の持ち方の土台     >



         走りつつ   失礼いたします。

8月20日(火)  本願寺

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      今朝、急用で、西本願寺・龍谷大学あたりへ行ってきました。
     なんという、壮大な伽藍でしょうか。 言葉を失ってしまいます。
   境内の、横に張ったイチョウの大木もすばらしい。400年は経つという。
   普通は、上へ上へグングン伸びていくのに、人の手によって、
   人の心によって、このように変容するのですね。  人の心の働きの
   象徴みたいな存在のような気がいたします。

      「  本願を信じ、 念仏をもうさば、 仏になる  」

    このような< 教え >が、日本にある事はすばらしい。
  ありがたい。  また、この< 教え >が、インド・中国と伝達発展して
  また、日本でより深まりかつ高まり、広がったという事実は、人間の
  根源的・本質的すばらしさを、証明しているような気がいたします。
    大学という教育機関をもち、研究・教育の歴史も古く長い、
  大したものにございます。


     日清・日露戦争のころ、日本の西の端の五島列島から来た
  僧侶が、本山・真宗のために奮闘奔走し尽力なさられたらしい。
  愚僧の父と年がだいぶ離れた従兄だったみたいで、小生の現状を
  思えば、妙な気がいたします。 立場は全然ちがいますが。( 大笑 )


     とにかく、幅広く仏教を、学び修していきたいものでございます。
     とにかく、幅広く宗教を、学び修していきたいものでございます。


   「  仏に なる  」と、 「  強い心  」と
                  「 自由な魂 」をもち、
                  「 やさしい愛の人 」
                  になる事が、同じと思っている愚僧は、
                  あやまって、いるのだろうか? ( 笑 )


               菩薩( ぼさつ )についても、考えたいです。

                          つづきます


   駄弁ながら、ご報告            残月      合掌




  <   現実の世界において、
         神仏の光が、わすれられませんように。
            私たちの日常において、
               心が、あまり乱れませんように   >

  <   自暴自棄( じぼう じき )
       自縄自縛( じじょう じばく )
            しませんように    >

       走りながら失礼いたします。
        おはようございます。
  今から、兵庫県西宮市へ行ってきます。
< 同じ釜の飯を食った >友人がいるからです。そして、
彼は< 同期の桜 >です。

  どういう事かと、申しますと、
京都の臨済禅宗の「 専門道場 」に、同年( 同日でもございます )
入門して、数年ともに過ごした仲間ということです。 辛苦を共にした、
ともいえます。( 笑 ) 
 
  住み込みの内弟子教育でもあり、昔の住み込みの丁稚奉公
みたいな感じでもございます。  また、旧大日本帝国の軍隊の
新兵訓練所みたいかも知れません。 ( 経験はございませんが
身分、上下関係が厳しい世界だったと、聞きます。 )


  今から思えば、「 辛くも楽しい日々だったのかな 」とも
感じます。 しかし、< 同じ釜の飯を食った仲間 >が居る事は
人間の短い人生において、しあわせを感じます。
  家族もそうなのでしょうが、( 内弟子 )( 丁稚 )( 新兵 )という
組織の最底辺を、味会う、味会わされる、24時間の監視つき( 笑 )、
など、非常に、きつかったですが、そこで共に生活した仲間の
存在は、心から、「 よかった 」「 ありがたい 」と存じます。


  現在は、僧侶養成機関とも申せまた、卵の人工孵化器とも
いわれたりしますが、 心から畏れ敬う禅の師匠と寝起きを共に
させていただき御指導いただける、まことに尊ぶべき世界、
まさに道場でございます。


  伝統的には「 選仏場 ( せんぶつじょう ) 」と言われます。
わたくしたち、の禅堂には 「 獅子窟 」( ライオンの部屋 )という
額がかかっていました。 ( 笑 )( おそろしや )( 笑えない )


        今日は、仲間の御寺のお手伝いです
     また、いつか、つづきをお話いたします。
     でも、山ほど世間には、本が出ていて、
     何一つ、語る必要はないかもしれません。( 笑 )

        さて、さて、懐かしいお顔拝見へ



    駄弁ながら、私事ながら。       残月    合掌



<    清き光が 満ち満ち溢れ  ますように   >

<    この世から   悲しみ  苦しみが
         早く  少しでも   減って行きますように  >

      走りながら、失礼いたします。

8月18日(日)  無について  6

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       無といって、人を まどわし
       有といって、人を こまらせ
       空といって、人を すくい
       仏といって、人を たのしませる

       人は、たのしみたいですね。

       スープを のみ
       味噌汁を のみ
       酒を のみ
       ビールを のみ
       コーヒーを のみ
       お茶を のみ
       紅茶を のみ
       水道水を のみ
       水を のみ。

       無といって、人を まどわし
       有といって、人を こまらせ
       空といって、人を すくい
       仏といって、人を たのしませる。



   駄弁です  時には短く ( 笑 )
                         残月   合掌


  <  楽しみは  朝にめざめて
        昼うごき  夜はスヤスヤ  ねむることなり  >

  <  楽しみは  この世に我を  意識して
        無我の喜び    あじあう月日    >

  <  楽しみは  つらく悲しい  物事が
        日ごとに日ごとに   消えゆくすがた  >

  <  楽しみは  痛み感じる   この私
          のどの渇きも  したたる汗も     >

  <  楽しみは  子犬がかける  野原かな
          縄文人と  いっしょの遊び       >


            失礼いたします。

8月17日(土)  ある言葉  3

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        8月11日(日)の、つづき です。
      上杉  謙信公  の御言葉、御家訓です。

    不必要な解説、つまり、 おじさんの老婆心です。( 笑 )


      1   心に  物なき時  心ひろく  体やすらかなり。

             まさに、人間の事です。
            < 物 思い >は、わたしたちです。
            < 物を 思いすぎて 疲れます >

             どなたも、おっしゃいます。
            < 頭の中を  空っぽ( から )に したい >
             でも、なかなか、できません。( 大笑 )

            < 物 なき時 >心ひろく  体やすらかなり。
            つまり、
            < 物 ある時 >心せまく  体は重くしんどい。

            ですから、自分を ( 心が せまく 小さい )と感じたら、
            < 物を考えすぎ >
            < よけいな事を、思いすぎ >
            < 物事を  気にしすぎ  >
            では、ないだろうか?  と思ったらいいような気がします。

          また、( 体が 重く しんどい つらい  きつい )と感じたら、
          < 物事を  考えすぎ  思いすぎ  気にしすぎ >
          かも しれません。( 笑 )


         現実世界の仕事は、( 生きるために必要な仕事は )
        < 物事 >の問題、不都合、不調和、過不足、均衡、秩序の
        解決、調整、統合、、、、、とも、表現できるので、
        人生にとって、当然、必然な事かも しれません。 ( 笑 )

          とことん考えて、決断し、実行し、協力して、解決できたら、
         なんという喜びでしょうか。 生きがい、働きがいも、
          うまれてきます。  すばらしい。

       < 仕事 >は、限りがない。 無限です。( 人間社会 )(人間界)
        私の< 仕事 >は、私の< 仕事 >です。
        どうにか、≪  頭を  からっぽに  できそう  ≫


            日常、家庭、友人、知人、地域、、、、、、、、、など、
          仕事以外が、自分の頭の中を≪ からっぽ ≫にする事を
          むずかしくする。  本当ですね。 ( 笑 )

             面白いことに、東洋の≪ 修行 ≫は、
         まさに、≪ 頭の中を  空っぽに するため ≫に、
         あるような気がいたします。


             別世界に、遊べる方々は、いいですが
             御趣味を、お持ちの方々は、いいですが
             気分転換が よくできる方々、いいですが
             文化芸術は、そのためでしょうか


             どのようにして、≪ 空っぽ ≫に
             したら、いいのでしょうか?
             どのようにして、< 思い >を たつ、絶つ、断つ、
             断絶できないのでしょうか?
             まとわりつく< 思い >を。
             簡単に、できないのでしょうか?

             嵐山 大悲閣の ≪  絶景  ≫こそが、
                   < 思い >を、消し無くせるか?
                         ( バカ な ) ( 爆笑 )


                    つづきます   ねむくなりました。( 笑 )



        駄弁です                 残月    合掌


   <   清き光が  この世に
                 満ち満ち溢れますように   >
   <   光とは、真空なり、
            不二なり。
               とどまらない、
                  流れる、
                    変化しつづける、
             形はあるのだろうか?
                形をささえる?
                   形をこわす
                      形をつくる。    >

   <   はす池や   今年の夏の    白と赤
          一つになりて   御仏(みほとけ) 楽し    >
          

                  走りながら  失礼いたします。




        100歳の老人の方が、
    食事のたびに、大感謝し、一口ごとに全身で感動されている。
    反省させられます。
       「  こんなに  美味しいものが  この世に
             あったのか、  うまい おいしい  」

      <  命の よろこび  >
      <  心の かがやき  >。

      <  物心 一如  >( ぶつしん  いちにょ )の世界です。
       ( 物 )全て、( 全存在 )に、おいての、真理だと存じます。
       ≪  一如   ≫( いちにょ )(  一つになる事  )
                  (  ばらばら  が まとまる。 「 一 」  )
                  (  そして、新しい、ばらばら、新 「 一 」 )
                  (  、、、、、、、、
                  (  、、、、、、、、
                       成長・発展・繁栄・、、、、、

       
       食(物)の場合が、一番わかりやすいですね。
      < 自他 一如 >
      < 物心 一如 >
      < 身心 一如 >
      < 身土 一如 >


           一如・融合・和合・大和には、以前お話しましたように、
       ≪  純  ≫ で なければ  ならない と存じます。

       100歳のお方が、毎食ごと、いえ、ちがいます、
         一口ごとに、感動・歓喜できるのは、何故か?
           ≪  純  ≫ だから、でしょう。
               当人が、「 一 」そのもの、である。
                 < 今 >< ここ >に、成りきっている。
                 < 今 >< ここ >に、有りきっている。
                 < 今 >< ここ >に、撤している。

             100歳の人という、気持ちも無ければ、思いも無く、
               ただ、ただ、食物をいただいて いるのでしょう。

                  < 口 >があるからでしょう。( 大感謝 )
                  < 舌 >があるからでしょう。( 大感謝 )

             そして、 < 味 >( 一如の世界 )に、感動感激されている。

             当然のことかも、しれません。
             しかし、私たちは、なかなか、できない。
           1  「  過去  」を、ひきずり、
           2  「  未来  」に、とらわれ、
           3  『  他  』 に、しばられて、

                 < 今 >< ここ >に、なれない。
                 ≪  純  ≫に、なれない。

                  1 、  2   、3    を  (  有の世界  )
                     消さなくては、ならない。
                     まさに、「 無 」くさなくてはならない。
                     すると、まさに、≪  純  ≫です。

                    ( 自他の世界 )( 有の世界 )( 苦の世界 )
                     を こえて、
                    <  歓喜一如の世界  >です。

                    また、すぐに、
                    これは( 有 )( 苦 )( 自他 )になりますが( 笑 )、
                    次の、新しい< 一如 >をなしていく、
        
                     めんどう、いえ、これが、
                     命、人生、生活、、、、、では、ないでしょうか。( 大笑 )


       100歳の 人・御方・翁・先生・師は、

                   先生には、  舌は、無い。  だから  舌は、有る。
                            味は、無い。  だから  味は、有る。

                            そして、
                            舌は、有る。  しかし、舌は  無い。
                            味は、有る。  しかし、味は  無い。

                   つまり、
                  < 命 >< 心  >< 身  ><  自他  >の

                  歓喜・感動・感激・万歳・感謝、、、、のために、

                  ≪  無  ≫ は、あるのかも しれません。

                  ≪  有  ≫ の ( 苦しみ )に 負けぬために。

                  そして、
                  <  有無  >に、 しばられず

                       (  強く  )(  自由に  )(  やさしく  )

                              あらゆるものと、存在しあいたい 。
                   
                     有を、無にかえて、≪  純  ≫をたもちながら、
                 まさに、原点、〇 ( ぜろ )を、自覚しながら、
                 まさに、ここに、立ちながら、  

        <  生かされ   生かし   生きぬきたい  > ものでございます。
                                        (困難)( 苦笑 )

                                       つづき    ます




                     駄弁、多弁ながら、愛をこめて ( 笑 )


                                    残月   大合掌



  <   昨日の、彼の( 怒り )は、
                  ( 義憤 )( ぎふん )です。


          現代世界において、
               何故、 この子たちは、
                      ( 貧困 )( 虐待 )、、、、
            によって、
               学校もなければ、栄養不足、過労、、、、、

               であるのか???

                   どうにか、しなくては。
                   どうにか、しなくては。

                大きな仕組み、流れ、に対して
                    心を 燃やしています。



                  自分を、恥ます。
              小さい世界で、うろうろ してます。( 笑 )
         まずは、自分自身の問題、課題、( 義憤 )(笑)から。



          自分、自分以外を、燃やすような( 怒り )では
             ございません。 御安心ください。
                      ( メールにたいして ) 
             まさに、建設的( 怒り )です。
        現状を、今を、
          甘えない、安住しない、認めないという
       ( 願い )( 誓い )( 覚悟 )
                   でも、ないでしょうか。   >

                 
                         失礼いたします。 






       

8月15日(木)  無について  4

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         暑い日々でございます。
      北半球は、30年に一度の、猛暑だそうです。
    暑さに負けないで、生活を、人生を、仕事を、やりとげたい
  もので、ございます。

      1  生活の目的
      2  人生の意味
      3  仕事の理想

      1  生活の意味
      2  人生の理想
      3  仕事の目的

      1  生活の理想
      2  人生の目的
      3  仕事の意味


    言葉の表現は、どのようにでも できます。
  自分の 経験、体験、学習、訓練、、、による、
 今の自分の< 感覚 >に、ぴったりする< 言葉 >を
選んで、< 思考 >したら、いいと存じます。



     上記の、   1、  2、  3、を
            強くもとめる事が、大切です。
          もう、すでに、確立体得なさられてるかもしれません。
        すると、まさに、(  バカ な事を  いってる  )と
       感じられるでしょう。( 大笑 )  すみません。


            人間の幸福を、
         「  強い 心  」
         「  自由な 魂 」 を もち、
         「  やさしい 愛の人 」になる事じゃないか、と
       あえて、以前、この場で考させてもらいました。



   仏教における<  無  >とは、
     まさに、  < 理想 >< 目的 >< 意味 >を
     もとめる事と、もとめざるおえない気持ち、願いと一つです。

     < 人間の幸福 >を、あきらめず、
     つまり、< 自分の幸福 >< 自分以外の幸福 >を
     もとめる事と、もとめざるおえない気持ち、願いと一つです。


     ですから、 たんなる、論理、理論、哲学で、考えることは
     できないと存じます。
        知的遊戯の世界になってしまうでしょう。
      おそらく、<  虚無  >に、なられるかもしれません。

      とにかく、<  燃えるような 熱い心  >と
            <  無  >は、一つだと存知ます。( 笑 )


      眼が無い。
      舌が無い。
      色が無い。
      味が無い。   とは、<  熱い心  >あれば、こそです。
                 でなければ、< 虚無 >に落ちる、かも。( 微笑 )


     以前、お話した、100歳のお方は、
         食物を、一つ、口に入れるたびに、次のように
          感じる、と  おっしゃつてます。

       「  うまい。  おいしい。
           こんな うまく  おいしい物が
            この世に  あったのか  」。

       「  オレは、のみこまない。
            味が 無くなるまで、かむ。

           よく、かむ。
               よく味会う ぞ。 」
               



          <  熱い心 >あれば こそ、
        今夏の、猛暑、灼熱、烈日、、、に、負けないと存じます。

          何故ならば、  ≪  無暑  ≫   を、実感でき、
        これを、生きれるからだと、存知ます。(  大笑  )

             そんな、むずかしい。 (  爆笑  )



                        
                           つづき  ます


          まさに 駄弁ですが         残月    合掌


   <   熱き  思いよ
       熱き  願いよ
       熱き  欲望よ
       熱き  野心よ
       熱き  夢よ
       熱き  恋よ
       熱き  希望よ
       、、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、、、。

          そうだ、昨日のユネスコで過酷な仕事をしている
       やさしい、おとなしそうな、若い日本青年は、
       行動、仕事の原動力は
        なんと、

            『  いかり、 怒り  』 と
    
               おっしゃられてました。

            なんと、 愚僧  反省。   >


                 失礼いたします。
          御無理なされませんように、御自愛ください。
                    ごめんなさい ませ。


          
     

8月14日(水)  無について   3

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         昨日は、バイクで走り回っていました。
       各家様の仏壇へのお参りです。
      < こころ >を捧げます。 御家族の皆さまと。
      < お花 >< お供え物 >
      < 火 ( ご燈明 ) >< 御香 >、、、

     1  御本尊さま    釈迦如来、、、、、、、
     2  故人の方々   御戒名、、、、、、、、
     3  御先祖さま    代代 各各
     4  有縁( うえん )の精霊
     5  無縁( むえん )の精霊
     6  幽霊
     7  餓鬼
     8  、、、
     9  、、、
     、
     、


         身近な御先祖のみならず、
       幅広く、< 無縁 >精霊
            成仏できていない精霊
            苦しんでいる餓鬼、、、、、、に対しての
       読経でもございます。
       できるだけ、御家族の皆様と。
          精神世界の全てに、 対してです。
      なんという凄さ。偉大さ。
      贅沢( ぜいたく )さ。  ありがたさ。 
      うれしさ。  もったいなさ。 (  先人の教えです  )



      お参りが、目的です。
      < 暑い >と、感じますが、
      < 暑い >と、思いますが、
      この( 感じ )
      この( 思い )を、持ち続けるわけにはいけません。
      もったとしても、こだわっては、
      目的が、はたせませんので、
      この( 感じ )( 思い )を、ほっとくほか ございません。
      でも、まとわり ついてくる。
      気にしない。( 笑 )  できない。 ( 大笑 )
      できるわけない。( 爆笑 )
      なさねば  ならない。
      一工夫、ひとくふう、です。

      目的の、さらなる自覚。( 人生・生活・仕事・家族・仲間、、、における )
      < 暑い >とは、どうゆう事なのか?
                 どこから来たのか?( 笑 )
                 < 寒い >どこに有る?( 笑 )


                        つづき  ます。

      駄弁ながら、、、       残月      合掌


  <  仏さまの光明よ
         お願い申し 上げます 
              、、、、、、、、、、、、、、>

           飛び走りながら  失礼いたします。
         1979年 昭和54年4月 から、京都にいます。
      嵯峨・嵐山・花園という 地名の、市内西部のみでございます。
    現在、北西部にあたる、北野も、ささやかな活動の拠点になっています。

       30数年前、
     『  仏の、別表現が<  無  >である。  』 と、
   その当時の高僧といわれる方が、書物に書いてられました。

       20数歳の小生は、
     「  バカ な事を  いっている 。
       言葉 の 遊びじゃ ないかな 。 」

      
       30数年後、50代の中ごろになり、
     『   なるほど   そうなのですか。
       ( うそ ) ( でたらめ )で なかったのですね。

       バカ な事を  思いました。
       申し訳ございません。     』  という気持ちです。



        皆さま方も、
      あきらめないでください。
    「  神とは  何か ?  」
    「  仏とは  何か ?  」
    「  人間とは  何か?  」
    「  人生とは  何か ? 」
    「  死とは   何か ? 」

    「  自分とは  何か ? 」
      (  自分 は 何を のぞんでいるのか ? )
      (  自分 は 何を しているのか ? ) ごまかさない。(笑)
      (  自分 は 何を たべているのか ? ) ごまかさない。( 大笑 )
       、、、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、、、



     駄弁です              残月     大合掌


  <   神仏の光に   つつまれますように
         神仏の光を   感じられ ますように


         先人・他人の光   ありがたし
           古人・先祖の光の  ありがたさ
             一万年の光明の  ありがたさ
               百年の光明の ありがたさ


             父上さま
             母上さま
                 、、、、、、、、、、
                   、、、、、、、、、、、
                     、、、、、、、、、、、。   >


                失礼いたします。

 

8月12日(月)  無について

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      お盆のお参りに行っています。
   昨日は、京都の北東、南西の端のお家です。
   その間に、3家ございました。  合計5家でした。
     数は少ないほうですが、丸1日かかります。
   バイクをよく使いますが、この日は車で移動いたしました。

      ご家庭に、仏壇があり、仏像を中心に安置し、
   お亡くなったご家族の御位牌を、お祀りされておられます。
   なんとすばらしい、文化、民俗、伝統、行事、宗教、、、
   なのでしょうか。   また、神棚もお祀りされ、御子様は
   キリスト教の学校へ通ってられます。
      日本人の融通無礙( ゆうずう むげ )さ、
   自由自在さ、おおらかさ、寛容さを、よく感じます。


      般若心経は、必ず1回は読誦いたします。
    皆さまもご一緒にと、心経をお渡しします。
     ( 各家庭に 段階が ございます  1から、、、、)(微笑です)

           1   黙読
           2   音読 ( 小さい お声 )
           3   音読 ( 大きな お声 )
           4   3回連続
           5   少人数
           6   多人数( 音読、大声、3回  )

        心経の説明は、簡単に、状況に応じて、
           されど、理解していただく事を
             念頭におきながらでございます。

           7   坐禅( 閑坐・数息・安心・祈り )
                  ( 仏壇の前です )
                 昨日、あるご家族( 7人 )に
                   初めて、すすめました。
           8
           9
           、
           、



         説明してますと、当然ながら、質問をいただきます。

       禅宗ですから、『  無 とは、何ですか?  』と
       よく聞かれます。  般若心経に、頻繁に、数多く
       出てきますので、なおのこと、疑問に思われるの
       でしょう。

          私たち人間は、傲慢、慢心もち、つまり
       感謝少なく、ものごとを全て、当然だと思いがちです。
           だから時々、このように思ったらよいのです。

                眼が 無い
                耳が 無い
                鼻が 無い
                舌が 無い
                身が 無い
                意が 無い  ( 以上  心経 )

                手が 無い
                足が 無い
                親が 無い
                子が 無い
                友が 無い

                心が 無い
                老が 無い   (  心経にも  )
                死が 無い   (  心経にも  )


                色が 無い    < うそだ 、見える >
                声が 無い    < うそだ 、聞こえる >
                香が 無い    < うそだ、いい香り >
                味が 無い    < うそだ、おいしい >
                触が 無い    < 肌・皮ありますよ、、、、>
                法が 無い    < 物事人だらけ、うそだ  >

                我が 無い    <  自由?  安心?  >
                生が 無い    <  解脱?  >
                境が 無い    <  さかい が無い。 万物一体?>
                、、、、、、、
                、、、、、、、
                、、、、、、、
                、、、、、、、、
        まさに、   限りが  無い   ( 笑 )( 大笑 )




        皆さま、どの 『  無  』 が一番、心に、感じられますか。
                         
        あなた様を、『  自由  』に、してくれますのは
                     どの 『 無 』 でしょうか?( 笑 )







        長くなってしまいました、( 愛情あるれる道忠くんです  大笑 )

     とにかく、次の事を、お話ししたかったのですが、明日にします。

    駄弁、多弁、  おゆるしくださいませ。       残月     合掌



  <   暑さに  負けない  ように
         嫌ったら、 いやがったら、
            よけい  つらい  です。

       夏です。  ( 夏を味会おう )という気持ちも
                  とても  大切です。    >

               
                   失礼いたします。

8月11日(日)  ある言葉   2

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       そうです、そうなのです、 上杉  謙信 公 
     の  < お言葉 >です。  あえて、パンフレットには記入
   していません。

       私たちが< だれの >、< どなたの >言葉かに、
   ひっかかって、<  いい事 >< 真理 >を、実践実行できなく
 なる事があるからです。 < まねして、自分も、できるように >が、
 一番大切な事です。

      <  真理  >は、あふれている。
   みんな、「 これは、いい事です。 」と、言い合って、
  どなたも、実践実行しない、事も、私たち人間社会( 人間界 )
  には多い気がいたします。 小生、 反省、反省、大反省。( 笑 )


       数日前のブログで、< 心の哲学 >という言葉を
  使いました。 それは、<  行為の哲学  >とも表現でき、
 まさに、  実践実行のための< 生活の哲学  >とも、申せましょう。

       「  知ることは、  語るため
          知ることは、  教えるため
          知ることは、  お金をもらうため
          知ることは、  いばるため
          知ることは、  知らない人の上にたつため
          知ることは、  立身出世のため
          知ることは、  試験に合格するため
                   、、、、、、、、、、、、、
                   、、、、、、、、、、、、    」

          当然の事でしょう、
          試験のために< 知る >をなし、より< 知る >を
          深め、高めるという事が( 試験 )の本質でしょう。

          試験が、すでに終わっている、年長者は、先生は、
          < 本質 >は、御存じでしょうが、
          競争、競争、競争といい
          あおり、扇動し、
          < 知 >は深め高まったとしても、

          人間・社会・国家・世界、、、、、、、のため
          としても、
          <  個人の 幸福  >
          <  人間成長  >
          <  人格形成  >にたいしては、

         「  プライべートな事、 各自で、どうぞ、
            どうぞ  御自由に    
            どうぞ  御勝手に 」てな、感じです。(苦笑)


          仕方ないですかも、しれません。
          先の戦争の後、変容した事柄が多いですね。
          いい面がです。   ここの回復が、私たちの世代の
          務めのような気がいたします。

          小生にとっては、<  修身  >と<天下を 治め、人のため>
          のバランスの確立です。
            よくいわれる、<  見  >のみでなく<  観   >の
          形成、 また<  私  >とともに<   公   >の自覚です。



             小生の周りには、( 確立 )( 形成 )( 自覚 )
         できなくて、<  苦悩  >している方々が、多いような気が
         非常に いたします。  まさに、勝手な思い込みでしょうか?(大笑)

             観音堂再建と同時並行です。(笑)
          できるのか、挑戦です。


             不必要な、< お言葉  第1番  >の説明と
           思いきや、脱線してしまいました。  すみません。
             お盆のお参りへ、行きますので(笑)
                失礼いたします。


     まさに、駄弁なり         残月      合掌

     
         大切な事。

      「   知ることは、  行うこと  」 (  実践実行  )

      「   知ることは、  成ること  」 (  他人事など、ない。 )


          上記、2つの 「 知りこと 」の 限界、限度はあります。
       それを、よく考え考慮、配慮しながら、
       現代、現在に、もっと もっと、活かし広げたいものでございます。

          つまり、ここが、
        <  心の哲学  >
        <  行為の哲学 >
        <  生活の哲学 >です。


         人間が、社会が、おかしくなり、
       苦しみ、悲しむ人が、増える事は、止めなくては
       ならない、ように存じます。  本当です。


               おくれそう、失礼します。
           駄弁、多弁、おゆるしくださいませ。











8月10日(土)   ある言葉

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         大悲閣のパンフレットは、
      次の言葉のコピーを、いっしょにお渡ししています。

   (  ここ数日、御盆のため、時間があまりないので、
    < 反省 >< 復習 >の日々と、致したく存知ます。 )(苦笑)


     1   心に  物なき時  心ひろく 体やすらかなり

     2   心に  慢なき時  愛敬うしなはず   ( うぬぼれ )

     3   心に  欲なき時  義理をおこなふ   ( ぎり )

     4   心に  私なき時  疑ふことなし     ( わたくし )

     5   心に  驕りなき時  人を敬う       ( おごり )

     6   心に  誤りなき時  人を畏れず     ( おそれず )

     7   心に  邪見なき時  人を育つる     ( じゃけん )

     8   心に  貪りなき時  人にへつらふことなし   ( むさぼり )


            半分にいたします。(  全 16  )
        いい言葉です。  なるほど、そのとうり、ばかりです。
      自分自身の人生、生活を反省する、きっかけ、鏡になります。

         20代の学生の時、歴史好きの友人のアパートの部屋で、
      発見しました。  うれしくて、うれしくて、お部屋に落ちていた
     クリーニング店の紙切れに写して、踊るように帰って来ました。
         それから、10年以上の後、小生の秘蔵の宝物を( 大笑 )
      大悲閣の参詣の皆さまの目の触れやすい所に、
    置くようにしたのでした。 どなたも御存じかもしれませんでしたが、
    愚僧にとりまして、大公開でした。( 笑 )


         さすが、上杉 謙信公の お言葉です。

         ゆっくり、考えてくださいませ。
      必要でない説明も、少しずつ、させていただきたく存じます。



        
         よく生きるために        残月    合掌


   <   お天道さまを  見る、 朝日です
          全ての、根源、おおもと、、、、
             でなくして、 何でしょうか?

           くもり空に  オレンジの太陽
              ありがたい   ありがたい
                 灼熱、猛暑、烈日、
                   されど   ありがたや

                 されども  ありがたい    >


              走りながら  失礼いたします。



         8月16日は、京都 五山の< 送り火 >です。
      大悲閣の客殿からは、すばらしいですよ。
      平安京の東山の< 大文字 >を、西山の嵐山から眺めます。


         おそらく、一番小さく見える< 大 >の字でしょう。
      自然の山々の闇の中に、くっきり、< 大の字 >が、
      浮かんでくるのです。  炎( ほのお )の赤の色が
      何とも言えない美しさでございます。

         
         どうぞ、御時間がお有りの方々は、
      まさに、入山、登山してくださいませ。
      昨日、名古屋の方々の問い合わせメールがございましたので、
      この場にて、御答えいたしています。
         簡単な懐中電灯があれば、より安全です。

         住職の小生、愚僧 残月は、夕方から八時半までは、
      確実にいます。 お会いいたしましょう。


         お亡くなりになった方の、< お精霊 >を
      ここから、大悲閣 客殿から、お見送りしたいという方も
      いつも、いらっしゃいます。

         死後世界の事は、よくわかりませんが、
      < お精霊 ><  お迎え と  送り  >
      < お盆の行事 >
      、、、、、、、、、、  仏教民俗文化の < すばらしさ >は、
               日本民族の土台の一つでございます。

         全国、津々浦々、色々な お盆行事が営まれる事
       でしょう。   皆さま、京都にお出での折には、
       なにかと、教えてくださいませ。 お願い申しあげます。



           駄弁ながら、御案内です

                          残月     合掌


   <  今日 一日  しあわせで  ございますよう  >




   <  御病気・御ケガの( なかま )が
         一日でも お早い   ご回復を    >



           走りながら、 失礼いたします。
         関西では、13日・14日・15日がお盆です。
      お精霊お迎えが、そろそろ始まります。
     京都の「 五山の送り火 」は、まさに( お迎え )した
   お精霊を、あの世へ・お浄土へ・仏さまのもとへ・法界(ほっかい)へ
 無限の世界へ・永遠の世界へ・ある世界へ・無我無心無生の世界へ
光の世界へ・明かりの世界へ・沈黙の世界へ、、、、、、、、、、、、、、、、
   、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

   死後の世界は、よく分からない。
 小生には、愚僧には、よく分からない。

   でも、葬儀いたします。
 何を、しているの、でしょうか?
いったい、どのような事を、なしているのでしょうか?

  「 死後の世界が、よく分からない 」という僧侶が、
まさに、不誠実、うそ、に なっているのでは ないだろうか?

  拙僧の宗派は、禅宗の中の、< 臨済宗 >ですので、
この宗派に、限られた< とらえ方 >< 考え方 >
<思想>にすぎませんが、簡単に説明いたします。
   ( 最初期の ブログ でも 
   (  たくさんの、宗教、宗派が ございます
   (  色々な< とらえ方 >< 考え方 >が、ございます
   (  代代、先祖代々の宗教宗派の方々も、 自己選択でなく


   まさに、僧侶、信者になる
儀式といえましょう。
そう成る事によって、< 生きる ・ 生き続ける >
            < 死ぬ ・ 死んでいく >

   不安、心配、わずらわしさ、悩み、恐怖、おそれ、
 からの、
   解放、すくい、救済、克服、解脱、超越、、、です。

           仏教の三つの  真理、原則、根源

    『   諸行   無常  (  しょぎょう  むじょう )  』
    『   諸法   無我  (  しょほう   むが  )   』
    『   涅槃   寂静  (  ねはん  じゃくじょう )  』


    「   すべては、< 常 >が無い。 変化する。

        こだわる事はできない。 
        こだわるべき事柄は、ありえない。 
        こだわると、真理に反するから、< 苦 >を生む。  」

    「   すべてには、 そのものであるという
                 変化しない< 我 >というものは
                 無い。  ありえない。

        あると思うと、真理に反するから、< 苦 >を生む。  」

    「   無常  無我  という、物事・人に対する
                  < とらえ方 >< 考え方 >をもつと
                   このように理解すると、
                   すべての< 苦しみ >から解放される。
            正確には< 個人の 苦しみ >から、すくわれる。

         < 心の平安 >を、味会える。

      でも、 < 心の混乱 >を、十二分、味会ってからの事です。( 大笑 ) 
      でも、 この世の、人間の< 苦しみ >を、感じ味会えるのも
                     とても、とても 大切、重要なことでございます。
 
          つまり、自分以外の方々の< 苦しみ >を、
              どれだけ、感じる事ができるでしょうか?  
                 ここでも、 感度、純度( 修行 )の、
                     問題がでてまいります。 ( 笑 )( 笑えない ) 」




           とにかく、< 死の苦しみ・不安 >は
                 < 死後の苦しみ・不安 >は、

                  三原則( 三法印 )によって、
                  克服できるということ。

                  この真理の、発見、体得された御方を
                  体得された方々を、
                  敬い信じる。
                  信じ続ける。

                  仏( ほとけ )( 仏身、仏心、仏性、、、、)( 仏力 )
                  理解し信じ、 < 成仏したいと願う >
                  < あらゆる存在の、 成仏を願う  >
                  < あらゆる物人事の  成仏を 願い祈る  >



                                   つづき ます

      駄弁ながら、真心こめて
                           残月     合掌


   <  あらゆる存在、物、人、事、、、、が
           安心できますように
               平安で ありますように

              むずかしくても、
          少しずつ、よき方へ、変化、進んでいきますように

        どうか、どうか、
           目には見えない、
          耳にも聞こえない、、、、、、何か、
          何か、偉大なるもの、、、、、、
             どうか、私たちを、
               お導きくださいませ。

             命として、心として、
                身体として、生活人として、
                   人生を 全うできますように    >


                      失礼いたします。









8月7日(水) 心の働き <妙>2

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       「  身心・命  」のことを

      < 有限 >にして、< 無限 >である。
  また、< 無限 >にして、< 有限 >である。

      まさに、いい加減な、言葉の遊び、ではないか?
      まさに、適当な、   言葉のごまかし、ではないか?

      本当にそうです。

    でも、私たちが、実践実行家の 生活人であるならば、
   言葉の世界に、とどまる訳にはいかない。

    なぜならば、この世は、苦しみ、悲しみ、困っている方々が
   たくさん、多くいらっしゃるからです。
    小生は、いつも、自分自身に、自分以外に、
  苦しみ、悲しみ、困っている友人が、数人、周りにいます。


     御病気に、家族に、仕事に、社会に、生活に、
   苦しみ、悲しみ、困っている方々は、多いです。

     新聞、テレビ、ラジオからの、お話は、
  この世は、問題だらけで、どうにかしなければ、
  ならない事ばかり、伝わってきます。( 楽しい事もございます )( 笑 )

     ですから、言葉の世界に、ゆっくりできないと存じます。
    (  でも、じゅくりと、言葉の世界を、正確に築きあげる事も、
      重要であるという事は、明白です。 大切な学問です。 )


      昔から、実践実行せざるおえない、立場、境遇、気質の人間が、
    行為、行動中心の  言葉でない< 心 >の哲学を作ってるような
    気がいたします。


        中国の儒教の歴史で、 「 陽明学 」の登場、
      中国の仏教の歴史で、「 禅宗 」の発生なども、
    < 身と心 >< 命 >< 生活 >≪ 現場 ≫中心の、
    実践実行家の< 心 >の哲学のような気がいたします。


        <  自分  >のようで<  他人  >
        <  他人  >のようで<  自分  >。

        <  得( とく )  >ようで<  損( そん )  >
        <  損  >のようで<  得  >。 

        これを、 実践実行する。   ( 大困難 )
        これを、 生活する。      ( 笑 )( 笑えない )


      現代日本社会の   人間を中心の≪ 現場 ≫≪ 仕事 ≫に
          おいては、上記の観方、哲学を、きつちり身につけないと
            苦しみ、悲しみに、負けてしまいそうに、なりがちです。
       < 生命の進化、 人間の歴史  、「 私 」の本質 >からの、
     理論をもたない限り、現実に、私たちは負けてしまいそうな
      気が、小生・愚僧はいたしております。

        ≪  労働観  ≫ともうせましょうか、
       心・現場・仕事・命・金銭・・・などの、新しい統一理論でしょうか。
     どうしても必要な気がいたします。 私たちが、ただ、幸福になるため
      でございます。


         <  自分  ><  他人  > の区別を超えた、< 何か >

         <  得  ><  損  > の区別を超えた、< 何か >

         <  有限  ><  無限  > の区別を超えた、< 何か >

          、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


          どうしても、必要になってまいります。

                               つづく



      駄弁です、悲苦をこえるために
                           残月    合掌



   <    今日  一日   しあわせで   ありますように  >

   <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように     >

   <   この世から  悲しさ  苦しみが  少しでも
          減りますように   >

   <   「  知ること  」は 「  行うこと  」である。
                      陽明学
                  ( 知行一致 )     >

   <   「  知ること  」は 「  成ること  」である。
                      禅宗
                  ( 万物一体 )    >


   <   御病気・御ケガの( なかま )の
           一日でもお早い  ご回復を    >



            走りながら   失礼いたします。





        ここ2日、3日を読み返してみました。
      バカな事を、述べています。
    ただ、苦しみと悲しみが多い人生を、
   明るく、さわやかに、共に生きて行きたいという気持ちのみで、
   毎朝、お話させていただいています。
    ( 思い・言葉  だけに ならぬよう  注意したいと存じます  )

     人間の歴史・文化・学問に、学ぶべきことが多く
   ございますので、共に、学び実行・実践していきたいという
  気持ちがいっぱいでございます。
    学ぶ事柄は、学校にも、書店にも、おそらくネットにも、
    溢れている事でしょう。  溢れています。
       でも 「  人生の真理  」は、すでに明らかです。


      私たちは、実行・実践あるのみです。
   ( また、特に、貴重なお時間にお読みいただいて方は、
      もう、言葉におぼれず、共に実践実行の人です )( 微笑 )

    「 0000 は   よい  」
    「 0000 は  すばらしい 」
    「 0000 は  ただしい  」
    「 0000 は  うつくしい 」
    
      と、いう< 思い >を、
          < ことば >だけで、
               おわらせない事が、大切です。
          まねる  のです。
         よく、まねる のです。
       よく、何度も、まねたい  です。
          あのように、そのように、なりたい。 (真心)


      <  真理  >は、00 00 という名前の
                  00歳で、オス または メス の
          ( 犬と暮らしてますので、つい、使います )( 笑 )
      ( でも、この言葉のほうが、< ごまかし >が少ない気がします )(笑)

                  00生まれの、
                  00に、住んでいる
                  0000の、仕事をしている
                  000が、趣味の
                  00の音楽が、好きな
                  0000のアイドルが大好きな
                  00スターに、しびれている( 笑 )
                  000を、食べる事ができない
                  000が、大嫌いな( 笑 )
                  、、、、、、、、、、、、、、、、
                  、、、、、、、、、、、、、、、、

                  な、私が、私たちが、
                  < 真理 >を、味合い
                            実行、実践するのです。

                  ですから、必ず、各自、変化します、
                  変容しない方が、おかしいです。
                  同じ人は、いないのですから。( 笑 )


         でも、<  真理  >とは、何でしたか? ( 大笑いです )

               『   ごまかさない   』
               『   言葉に、負けない  』

               でしょうか?( 笑 )


       小生が、今日のブログを<   心の働き  ( 妙 )   >と
    したのは、まさに、  昨日の内容に、< ごまかし >
      または、< 言葉への  逃げ  >を ちょと  感じたからでした。
        そこを、きちんと表現したいという気持ちで、始めてますが、、、、、。


               『   ごまかさない、  自分を、 自分以外を   』
                  (  誠実とは、、、、、、、)
               『   言葉に、負けない。
                   言葉を、ごまかさない。
                   言葉に、ごまかされない。
                   言葉に、勝つ。( とらわれない )
                            ( 知的誠実とも、いえます )
                            ( 実行実践 あるのみ )   』


                             つづき   ます。


       ある 「 庭園の本 」の書評の見出しです

         <   言葉と意識を はなれる   至福    >

               なるほど、  なるほど で ございます。


       駄弁です、愛をこめて        残月      合掌



  <   今日も  一日  しあわせで  ございますように  >

  <   清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >

  <   この世から   悲しみ 苦しみが
         少しでも   減って行きますように   >

  <   すべての存在が   粗末に されませんように  >

  <   弱いもの、小さきものが  いじめ られませんように  >

  <   まちがい  てちがい  かんちがい  を しないように  >

  <  一瞬に永遠を    一事に万事を
           観じられますように。  >
       ( 迷いをすてる、 覚悟をきめる事 )
       (  日常こそ、全てで ございます )

  <  御病気・御ケガの( なかま )の
          一日でも  お早い  ご回復を    >

 
                        失礼いたします。

               
        お盆の時期に、なってまいりました。
     全国の町、津々浦々、僧侶の方々が走り回り、御家庭の仏壇に
     お参りさせていただいてる ことでしょう。

        大悲閣 千光寺には、墓地も納骨堂もなく、
     世にいう檀家様は、ございません。
     どうしても、という方々の御骨を本堂に預かっています。
     この方々の縁者様が、年に数回、お参りしてくださいます。

        早く納骨堂< 円寂塔 >< 仏心塔 >(仮称)を、
     建立( こんりゅう )しなくては、ならないです。
     そして、平行して本堂< 観音堂 >< 大悲閣 >も、
     勧進( かんじん )建立を、成し遂げなければなりません。
        何も、無くても、いいじゃないか。という声も聞こえて
     きます。  無理だよ。 出来るわけない。 と。
        400年前に、建立され、1978年( 昭和53年 )
     35年前まで、ボロボロでも存在していたのです。
     ≪   嵐山の観音堂は、いらない。  ≫という
    ≪ 思い ≫が、明治時代から強く支配的だったようです。
     縁者の方々、地元の方々、京都の方々、、、、、、、、、
     ご協力は、いただいた事でしょうが、、、≪ 思い ≫は
     弱いままでした。

  
        でも、大丈夫です。
     どうにか、していきます。( 笑 )
     昨年の、まさに、倒壊寸前の客殿が、
     < 元翁 大居士 >をはじめ、多くのみなさま方に
     お助けいただいたように、
     愚僧が≪ 思い ≫を強くいだき、( まだ、弱い )( 反省 )
     人間の< まこころ >< 真心 >そして
     「  神仏を  敬う( うやまう )  < 神心 >< 仏心 > 」
     を、涵養・育て・守り、満たされますように精進いたします。

       また、仏様の慈悲の現われでございます
     「  観音菩薩様  」の <  大悲心  >を
     日常生活に、日常業務に、あらゆる生活の場に
     いかせる人間・人物に、
     共に、成長していける寺院にしていきたいと存知ます。
       その典型・モデルとして、
    「  角倉 了以・素庵  父子  」が、側にいてくださっている
    から、まことに、ありがたい事でございます。
       現在の住職が、確かな< 仏心 >
                 燃える< 大悲心 >をもち、
         行動・実践にうつせる人間でなくてはなりません。
      < 実践家 >に、ならなくては ならないです。 ( 大反省 )
     これが、第一でしょう。  (  道忠  がんばれ ガンバレ )(笑)


       <  有限の身心  >において、
       <  有限の身心  >を、強く思い
       <  有限の身心  >を、自覚しつつ、
       <  有限の身心  >を、粗末にせず、大切にしながら、

       <  無限の身心  >を、生きる事が
       <  無限の身心  >を、もとめ続けることが
       <  無限の身心  >に、なりたいならば、

       ≪  神心  ≫≪  仏心  ≫に、近づき
       ≪  大悲心  ≫を、身につけ、
       人間らしい生き方ができて、
       まさに、( 思いだけなく )( 口だけでなく )、
       < 実践家 >になれるかもしれません。

       (  手、足が、動く 動かない にかかわらず  )
       (  思いやる、気遣う、祈りも、尊き実践です )
       (  笑顔、やさしい眼差し、あたたかな言葉、
            ありがたい、どれだけ人を救う事でしょう )
       (  仏像は、< まなざし >だけでしょうか  )
       (  石、一つ石に感じる方も おいででしょう )(感度いい)(笑)


        ≪  命  ≫があるかぎり、
       < 強い  心 >< 自由な  魂 >をもち、
       < やさしい愛の人 >として、
               生きぬきたいもので ございます。


      駄弁で ございますが、、、、。
                     残月     合掌


   <   暑い 一日です
          お元気に、  つらくとも
              どうにか  していきたいです。

          まづは、感謝したいです。
             どんなに  つらくとも 。

            やはり、反省もしたい。
              わかって くれない相手もいるでしょう。
                   祈りたい、です。


            ゆっくり  してください。
              しずかな   時間  場所  を
                  ネコ みたいに みつけてください。

             ゆっくり    深呼吸です。
                ゆっくり   <   無限   >を
                   ゆっくり   <   永遠  >を

                         感じるのです。

              一人の  あなたが、  この一瞬に。


                   なんどでも、  いいのです、

                       できなくて   いいのです。

               一万回  くりかえす
                     たのしく   くりかえすので
                           ございます。  ( 大笑 )  >




           <   仏教の  三学(  まなぶ事、ならい事  )

            「 戒 ( かい ) 」  静かな時間・空間を、もてるように。
                          整える。 そのために、
                          何を行い、何を行なわないか。
                          すること、やめること。 ( 困難 )(笑)

            「 定 ( じょう ) 」  ゆっくりと  呼吸を。  
                           < 無限 >< 永遠 >
                             感じる。 味会う。( 困難 )(笑)
                             寝てしまう、(笑)。
                             あきらめず、くりかえす。(笑)( 愚僧も )

            「 慧 ( え )  」   智慧、
                           有限に、無限を観る (感知、感得)。  
                     無限を、日常に、活かす。( 大困難 )( 大笑 )
                  おしかりにしたがい、失敗にくじけない。 (笑)( 笑えない ) >
                  謙虚に、教え、指導に したがう。(笑)( 笑えない )

                     あえて、言葉にしました、すみません。
                      
                                          失礼いたします。








       皆さま、< 無限 >< 永遠 >の言葉が、
    嫌になって来てませんか?
       あくまで、
       ≪  強い  心  ≫
       ≪  自由な  魂  ≫
       ≪  やさしい愛の人 ≫に成るの目的です。


      で、ございますから、
       <  有限( 限り が 有る )な 身体  >
       <  有限( かぎり  ある )な  心   >と、
       とらえた方が、
       考えた方が、
       より、
       ≪  強い心  ≫
       ≪  自由な 魂  ≫
       ≪  やさしい愛の人  ≫に成りやすのであれば、

       < 有限な、限りある、
      いつかは、消滅する( 身体と心 ) >と
      覚悟したほうが、より いいと、存じます。
      気合が入る。( 笑 )


       でも、不思議です。

      小生が思うに、
      人間だれしも、
      <  無限の身体  ><  無限の心  >を、
      感知、感得すれば するほど、
      <  有限の身体  ><  有限の心  >を、
      感知、感得しているような気がいたします。

      また、反対に、
      <  有限  >を、感知、感得、すれば するほど、
      <  無限  >を、感知、感得できるような気が
      いたします。


      ここが、人間の心の ≪  妙  ≫( みょう )
      (  すばらしい 働き、特性、本性  )
      かもしれません。


       すると、余談として、
    < 身体 >< 心 >は、
                 < 有限 >か? < 無限 >か?

     <  有限  >にして<  無限  >、
     <  無限  >にして<  有限  >。( 笑 )

      え え  なんなのだ。( 大笑 )

      上記は、余談です。

      私たちは、とにかく、
      尊く、有難い、大切な、≪ 身体 ≫≪ 心  ≫を、
      使いこなさなければ ならない。  理屈より、です。


      新しい明日を 生きる。
      新しい明日を、つくる。
      この身体、この心、から。 



          駄弁です、新しい明日のために
                        残月      合掌

 <  今日 一日が  しあわせで  ありますように  >

 <  清き光が 満ち満ち溢れ  ますように   >

 <  この世から  苦しみ  悲しみが
        すこしでも  へりますように   >

 <  あらゆる存在が  粗末にされません ように  >

 <  まちがい  てちがい  かんちがい を
       あまり  しでかさないように 、私が。    >

 <  無為自然   なにも しなくて いい のだ、人生。 
                      そのとうり。  >
 <  天地万物と一体    しあわせ、 歓喜、安心、万歳。
                      そのとうり。  >

 <  御病気、御ケガの( なかま )の、
          一日でも  お早い  ご回復を    >


               失礼いたします。
     
        

       真夏かな   全身全霊    蝉の声   
                                    ( 残月 )



    < 無限の身体 >< 無限の心 >
    < 永遠の身体 >< 永遠の心 >
    
    < 無限の 命  >
    < 永遠の 命  >
     を、

    少しでも、
    感じたり
    触れたり
    見たり
    聞いたり
    できたら、

    私たちは、
    喜び、幸せを、感じ
    安心、満足を、得ることができるのかも、知れません。

    あらゆる存在は、
    私たちに、
    喜び、幸せを感じさせ、
    安心、満足を、得れるように、
    存在しているのかも、知れません。

    でも、現実には、
    あらゆる存在が、( 苦しみ )( 悲しみ )の原因になる事も
    多いのも、事実です。
    だから、 「 人生は  大変だ  」と、感じたりします。


    でも、< 無限なる  身体と心  >
       < 永遠なる  身体と心  >
       < 無限なる 命  >
       < 永遠なる 命  >だけでなく、

    つまり、
       (  身体  )(  心  )(  命  )だけでなく、

       <  無限である、 何か   >
       <  永遠である、 何か   >で、いいのかも、
       知れません。


    皆さま方も、お気づきの事でしょう。
    あらゆる 文化、芸術も、
    < 無限 >< 永遠 >を、求めた証( あかし )
    < 無限 >< 永遠 >の、一つの証明( しょうめい )
    かも、知れません。

    あらゆる 社会制度も、文化の一つと とらえますと、
    まだまだ 未完成であったり、未成熟であったり
    してるかも知れませんが、
    先祖・先人が、 汗と知恵と涙と血と喜び、、、、、、、でもって
    築いてこられたものである事は、 明白な事でございます。


       私は、
      <  無限なる 「 何か 」 >
      <  永遠なる 「 何か 」 >を、
      求めている、
      根本的、原点的、究極的には、求めているのでは
      ないだろうか? と、考えると
      複雑怪奇( ふくざつ かいき )な自分の頭の中に、
      自分自身を燃やす、
      願望、欲望の炎( ほのお )の世界に、

      < すずしい風 >が吹きぬけ(  大笑  )、
      ちよっと、さっぱりするかも、知れません。( 笑 )
      炎が、 ちよっと 小さく なるかも、知れません。( 大笑 )



      「  人生は  大変である  」
         でも   「  人生は  面白い  」。


      「  この世は  悲しみ 苦しみに あふれている  」
         でも   「 少しでも  へらす事が できる 」。


                         つづき  ます。


       駄弁です、< 無限 >を求めて。

                       残月   合掌


  <  今日  一日が  しあわせで  ございますように  >

  <  清き光が  満ち満ちあふれ  ますように   >

  <  この世から  悲しみ  苦しみが
         少しでも  減りますように    >

  <  あらゆる存在が  粗末に されませんように  >

  <  まちがい  てちがい   かんちがい  を
         あまり  しでかしませんように     >

  <  不満、不服、不平をいう前に  一工夫を  >

  <  御病気・御ケガの( なかま )の
            一日でも お早い  ご回復を   >

                  失礼いたします。

      追伸

  <  一瞬に 永遠を  感じられます ように  
  <  一物に 全てを  感じられます ように
  <  一事に 万事を  感じられます ように
  <  一人に 無限を  感じられます ように
  <  一恵に 慈愛を  感じられます ように
  <  一命に 神仏を  感じられます ように  
                   感度を 高めたい (笑) 
                   純度を 高めたい (笑) >


<  一心に、一心を  感じられます ように  > ( 大笑 )


            つまらない事で  すみません。
                    
              
           
     

    
  
        もう、30年以上前の学生時代の事です。
    あるロシアの小説家の作品 「 未成年 」の映画が、
  上映されました。  そのため、ややこしい作品を熱心に
  読みました。   さて、その映画は、どのようなセリフで
  始まったでしょう。

   なんと、次のようなセリフではございませんか?

    『  人は、< 永遠の命 >を、
         持たないかぎり、
           他の人を、
             愛する事は、できない。  』

    ガーン、ときました。
   キリスト教的表現としましては、
  一般的なのかも知れませんが、
  仏教的世界・生活を、してきた者にとって、
  まことに、衝撃的な、セリフ・ことば・世界との
  出会いで、ございました。

    つまり、
 「  他の人を、愛する・大切にする・理解する・認める・
          共に生きる・非難しない事は、

     私が、私自身が、
         < 永遠の命 >を獲得しない限り、
            できは しない、のでは
               ないだろうか?
         という問いかけでした。

            普通の愛は、
         愛とは申せ、< 自己愛 >にすぎず、
            < 人を 愛する >とは言えないの
            では、ないだろうか?   とも。    」




     今の小生・愚僧は、『 人間は 自分しか愛せない 』と
   考えています。  ただ、 < 自分 >を  どのように
   とらえるか?  理解しているのか?  認めているのか?

     どのような自分を、< 自分 >と思っているのか?
  の次第で、度合いで、範囲で、段階で、
      <  自分を 愛せるように、
           ( 自分以外 )の ( 他の人 )を
              心から、 愛し大切にできる。 >
                 と、考えています。
                 と、確信しています。
     で、ございますから、

    「 自己中心的な、 わがままな 、
     自分勝手な( 個人 )という人間の在り方 」は、
     克服できると、考えています。

     ( 個人 )であるかぎり、
     人間の苦しみは、無くならないように思います。
     ですから、「 ( 個人 )の克服  」
           「 エゴからの解放 」
           「  我利我利亡者の救い 」
           「 ( 悪の苦しみ )の消滅 」
            は、 できる、可能だと存知ます。


       < 自分 >自身を、
           より 大きく
           より 小さく
            無限に大きく
            無限に小さく
         そして、、、、、、、、
              、、、、、、、、
               空( くう )とか、
               零( ぜろ れい 〇 )も
                  視野に、はいってきます。



       日本人としての< 自分 >
       アジア人として
       人間として
       生物として
       動物として
       オスとして
       メスとして
       命として
       物として
       
       000出身としての< 自分 >
       00色の目を 持つ者として
       00色の肌を 持つ者として
       000?の身長の人として
       00?の体重の人として

       000を、できる・できない人として
       000の地位の人として
       000の代表の人として
       000の責任のある人として
       000の 子供として
       000の 学生・生徒として
       000の 門下・弟子として

       000の病気の人として
       000のケガの人として

       、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、、
       、、、、、、、、、、、

          まさに、限りが無い ( 無限 )

          そういえば、
       一つ細胞の、集まりとしての<自分>
       60兆個の集積が、私たち人間でしたか。


          視野を広くもって、
        <  無限  >< 永遠 >を
        感知・感得・獲得して、
        
        <   強い 心   >
        <   自由な  魂  >
         を もつ
        <  やさしい 愛の人 >
         に なりたい もので ございます。

    そして、どなたでも、みんなが みんな、
        人間として生まれてきた、
         人間として、今、存在している喜びを
           味合い、味会い、
             幸福・しあわせ を
               実感したいもので
                  ございます。


     駄弁でした、祈りとともに。         残月     合掌



<  今日  一日が  しあわせで  ありますように  >

<  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >
<  辛い思いが  満ち満ち溢れ  ませんように  >

<  この世から  悲しみ 苦しみ がすこしでも  へりますよう  >

<  あらゆる存在が  粗末に されません  ように  >

<  不平・不服・不満をいうまえに、一工夫を   >

<  御病気・御ケガの( なかま )の  ご回復を  >


          小走りにて    失礼いたします。



     < 無限の身体 >< 無限の心 >の、別表現は何でしょうか?

     やはり、≪  永遠の命  ≫でしょうか?

     とは申せ、≪  不死身  ≫の身体になったり、

     ある文明のような<  ミイラ  >になったり、

     する事とは、別の事のような気がいたします。



     以前のブログで、

     禅の師匠が、また、その御師匠さまが、またその先生方が、

     「  オレは   死なないよ  」

     「  生き通しです 」

     「  生も死も  ありは しない  」 と、

     おっしゃつて います。

     もう、すでに、身体は、無くなっていますが。( 笑 )

     でも、小生・愚僧には

     ≪  永遠の命  ≫に、なってられる気がいたします。




     また、ここで 大切な事は、

     『  死 は  無い  』と、同時に、

     『  生 は  無い  』と、いっている事です。

     つまり、

     「 生 」が有る限り、 「 死 」が有る、という事です。

     つまり、

     「 生 」が無ければ、「 死 」は無い、といっています。

     さて、

     この ≪  「 生 」が無い  ≫ とは、どういう事なのか?( 笑 )




    仏教は、三つの言葉が、大切・重要・根本です。

    皆さま、よくご存知です。

    『   無常   』   全ては、常( つね )無し。 変化する。

    『   無我   』   変化しない、我( われ )は無い。

    『   涅槃   』   ( ねはん )、炎( ほのお )が消えた。
                  自分と 自分以外を  燃やす。
                  安らぎ( やすらぎ )
                  安心  そして、休息。
                  大休息  ( 大笑 )。

           
          四つ目もございました、『  皆苦  』( かいく )です。
                       「 全て、苦しい・つらい事である。」と、
                       でも、私たちは、そう、感じられないと、
                       いわれています。
                       このことも、重要です。 後日。

    そして、今回、 五つ目として、
           
  『   無生  』    (  むしょう  )を入れたいと存じます。
                  私たちは、反省したり、感謝したり、
                  あやまったり、しかられたり、しながら、
                  日々の( つとめ )を、果たしながら、
                  どなたも生きています。

                  ( この身体 )( この心 )を、
                  保つのが、根本的( つとめ )ですから、
                  生きている限り、
                  ( つとめ )の無い人はいません。( 笑 )
                     「 無 」が好きな禅宗からみても、
                     「 無職 」という表現は好きになれません(笑)

                  しかしながら、
                  生きるのが、つらくなったり、苦しくなったり、
                          悲しくなったりするので、
                  時には、
                  「  私は、 もう  死んでいるのだ  
                     私は、 もう  生きていないのだ。 」と、
                  思ったら、いいような気がいたします。


                  まさに、この夏、< 猛暑 >の中の、
                    すずしい風< 涼風 >でございます。


                 この暑さの中、< 俺は、生きてないぞ >
                          <   私は、風よ   >

                      と、  暑さを いやがらず、
                          暑さから、にげず
                          暑さを、だきしめたい。( 笑 )



                              つづく



       駄弁ながら、心をこめて。         残月     合掌

    追伸   <  八月四日  法話   お盆のため、お休みです。
               申し訳ございません。  九月からでございます。
                現在は、読経中心です、よき事です。
               皆さま方、是非、御参加くださいませ。   >


   <  今日 一日   しあわせで  ございますように   >

   <  清き光が  満ち満ち溢れ   ますように   >

   <  苦しみ   悲しみ  が少しでも  へりますように  >

   <  あらゆる存在が   粗末に されませんように   >

   <  不平・不満・不服のまえに、一工夫です  >

   <  他の方に、 感謝・尊敬をもとめる、はずかしさ  >

   <  まちがい・かんちがい を、 あまり しでかしませんように  >

   <  御病気・御ケガの( なかま )の、  御回復を    >



                      失礼いたします。









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