2013年6月アーカイブ

6月30日(日)  素庵さま <9>

| コメント(0) | トラックバック(0)
    僧侶・仏教者の小生が、何故、儒教を話すのか?
  と質問されました。   疑問を投げかけられました。(笑)

    ごもっともです。  でも、真の仏教は、ただ、
 「 般若の智慧で、慈悲の実践 」ですから、


 < 般若の智慧から観ると、全ては、『 仏のあらわれ 』
                       『 仏の光 』 なのです。
 < また、慈悲の実践のとき、全ては、『 師 』であり、
                           『 友 』なのです。


      小生は、このブログをとうして、

   「  よりよい人間になりたいという< こころ >を、
           気づき・守り・育てあっていきたく思います。
      よりよい社会をつくりたいという< ねがい >も、
           気づき・守り・育てあっていきたいと存知ます。

       この< こころ >
       この< ねがい >は、みんな・みんな、
          人種・民族・国家・言語に関係なく、
            もっています。( 確信 )( 笑 )( 笑えない )

     そして、ひとり・一人・個個・各々・おのおの・
          日常生活の中から< しあわせ >を
          かんじとって、いただきたい、という気持ちです。

     若輩であり( もう、言えないか )( 笑 )、
          暗愚ですから( 笑 )、
       小生の想像もできない、苦しみ・悲しみの中に、
        いらっしゃられる方々も、
          今、苦悩・苦痛の方々も、
             いらっしゃられる事でしょう、が、、、、、、。

           愚僧は、少しでも、お役に立ちたく願っています。

      ただ、そのための、方法・智慧・教え・・・・は、
    もう、すべて明らかと、小生は存じています。
    もう、10万年の人類の歴史で探究されている
                気がいたしております。
      ( こころ・精神の世界ですが、、、、、)



      実践です。  実行です。
      ただ、 実践・実行です。

         そのためには、どうすべきなのか?
     <  きっかけ・機会・チャンス・タイミング  >が大切。

   そのためには、どうすべきか? ( チャンスをつかむためには )
            <  思い、実践したいという思いを
               より強くしなくては、ならない。
               ( 純粋さ を高める  )
               ( 純度をあげる )事が大切です。

            このために、やはり、
        天地のもと、 閑坐・数息・正心が、必要なのか?
        師友とともに、閑坐・数息・正心が、必要なのか?
          ( こころ・おもい・からだ を 一つにしていく事 )
              


      古人、曰く ( いわく )
   <   (  善をなし   悪をなさない )という事
     3歳の童子も知る、されども、80歳になっても、できない。  >
               
                ガーン、 なぐられた、感じです。


       皆さま、
    あらゆる物・事・人・から、学び、実践していこうでは
           ございませんか。

                                       」



      駄弁です。
       素庵さま、すみません。    残月   合掌


  <  どのようなときでも
         こうふくを  かんじきれますように   >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ   ますように >
  <  苦しみ  悲しさが  すこしでも  へりますように >

  <  あらゆる存在が  粗末に  されませんように  >
  <  おさなきもの  よわきものを  大切に   >


  <  まちがい  てちがい  かんちがいを、
        あまりしないように   導きくださいませ  >
  <   不平・不満・不服のまえに、ひと工夫を   
            できますように、 深呼吸     >
  <  人を せめないように。  みな師・みな友ぞ  >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を   >

           今朝はゆっくり、失礼いたします。








       愚僧は、素庵さまに、私たち人間の理想の
     ありかたを、見ているのかもしれません。
    裕福なお家の子供という意味ではございません。( 笑 )


     < たくましく生きる >
     < よく 生きる   >
     の、バランスがとれている、という事です。


     < たくましく生きる >事に疲れたり、
     <  よく  生きる>事にあきたりしたら、

     <  ただ  生きる >事も、
     大切・重要に、なってきます。
     忘れては、ならない事柄です。



     いつの時代も、
     おそらく、どのような社会でも、
    < 子供の  養育  >
    < 子供の  教育  >は、

     <  たくましく生きる  ><  よく 生きる  >を、
     一所懸命に、教えている事でしょう。
     社会・集団の、つとめ・役割・義務の、
     重要な要素でしょう。

    でも、<  ただ  生きる  >を忘れて、
    社会・集団そして、家庭も個人も、
    「 奇妙 」 になってしまう事がございます。

   <  もとめすぎる  >という事です。
   「 外 ( そと ) 」にも、
   「 内 ( うち ) 」にも、
   ( 自分 )に対しても、
   ( 自分以外 )に対しても、でございます。


     <  もとめない  >という事の、
   意味・価値・( 役割 )を、忘れてはいけませんね。
   < たくましく >< よく >生き抜くためにもで、
   ございます。
      この、「 矛盾 」「 葛藤 」を
    < 忍耐 >・< 超越 >・< 突破 >する事こそ、
  私たち人間の<  心の仕事  >といえる気がします。


    さて、長くなりましたが、
  この問題・< 心の仕事 >を、
 どのように、  素庵さまは、成し遂げられたのでしょうか。
   気になるところでございます。
   今のところ、よくわかっていない。

   でも、< 心の仕事 >なさられてられることは確かです。



< ただ  生きる  >の根本・極地である、
    「  長生  」  仙人の道
    「  無生  」  解脱の道
    に関する書物の
    貸し借りを、なさっていらっしゃるでは、ございませんか。
       このことを知りました愚僧は、
       天にも昇る、気持ちでした。
           やはり、、、、、、、。

                        つづく




     駄弁ながら、敬意をこめて       残月   合掌


<   どのようなときでも   しあわせを
        かんじきれます   ように    >




<  御病気・御ケガの( なかま )の
          お早い   ご回復を     >


       走りながら失礼いたします。












     素庵さまは、以前<  三蘇庵   さんそあん  >という
  名前だったとか、ある本で読んだ気がいたします。

     三回死にかけて、三回蘇生( そせい )( 生き返った )
  と、言う事のようです。   このような体験をなさるぐらい、
  危険な、あぶない仕事もなさられていらしたようです。




   「  川を、知る者は、 山を知る者  」

    川の源流は、山である。
    川をよく見て、知ることで、源( みなもと )の山の成り立ちが、
    分かるそうです。

   人間と社会に、必要な大切な「 鉱石 」を、探す仕事も
   なさっています。  険しい山の中を歩き回られた事でしょう。

   山中からの、「 大木 」の切り出しもなさられています。
   愚僧も、嵐山で体験いたしましたが、一瞬も気が抜けない
   仕事です。

   山梨県の山奥に<  吉沢( よしざわ )の滝  >が、
   あるという事を、了以直孫の方に教えていただきました。
   本当の名前は、
   <  与一( よいち )さま の 滝 >だそうです。
    素庵さまの、本名は「 与一 」ですから、
    まさに、この山奥にまで、その足跡が後世に伝わるほど、
    ご活躍なさられたようです。

      ( 正しい、文字に変えなくてなりませんね。
          このことも、私たち人間のよくなす< まちがい >
          ですね。   注意・反省。  )



  以上は、 昨日の ( つづき ) でした。( 笑 )

     その主旨は、 <  よく生きる  >ためには、
    そのことを支える、  <  たくましく生きる  >という事が、
    大切だ、必要であるという事です。

         理屈でない<  生命力  >です。
         川を、さかのぼって行く < 力 >です。
         樹齢三〇〇年の大木に対峙する < 心 >です。

      私たちは、時には、山に入り、
    <  生命力 >・この< 力 >・この< 心 >を、
     何回でも、蘇生( そせい )( 生き返らせる )させなければ
     ならないと存じます。




      駄弁ですが、敬意をこめて        残月    合掌


  <   どのようなときでも
          しあわせを  かんじとれますように   >



  <   御病気・御ケガの( なかま )の
          一日でも早い    ご回復を       >



            走りながら、失礼いたします。




     






6月27日(木)  素庵さま <6>

| コメント(0) | トラックバック(0)
       素庵さまは、江戸時代の初め、
    日本に、儒学・儒教を、伝え広めた方々の一人です。


      仏教もすばらしですが、儒教もすばらしい、
    どなたも、学ばなければ、ならない事の一つです。

      「 学ぶ 」といえば、
    いつの時代でも、
    中国大陸でも・朝鮮半島でも・日本列島でも、
    おそらく、現代でも、
    おそらく、世界中でも、

  < 立身  出世  ( りっしん  しゅつせ  ) >のためでしょう。
おそらく、たぶん、おおかた、
   それは、おそらく、私たち人間として当然な事と存じます。

    でも、その過程から、時々、

   大人物としか、
   奇人としてか( 笑 )、
   変人としてか( 笑 )、
   100年に一人の人物としてか( 笑 )、
   体制・秩序破壊者としてか( 笑 )、
   隠者としてか( 笑 )、
   遁世者としてか( 笑 )、
   ひねくれ者としてか( 笑 )、
   革命家としてか( 笑 )、
   落ちこぼれとしてか( 笑 )、
   、、、、、、、、

  色々な面白い人物がでてきます。


   「 学ぶ 」 ために 「 学ぶ 」人々です。
 他の人、世の中の  < 評価 >から、
別な次元で、生きています。 おもしろい。

   失敗もしやすい、
   間違いも犯しやすい、
   怠惰・怠慢・なまけの世界に入りやすい、
   独善の世界になりやすい、
   一人よがりの世界になりやすい、
  、、、、、、、、、


   でも、こんな人々が多い社会を、
  < 豊かな 社会  >と いえるかも しれません。


   とにかく、

『  いい人間に、なるために、
     いい社会を、つくるために、 学ぼう    』 
   
          では、 ございませんか。

   この気持ちを、しっかり持つ事です。
  覚悟を、決めることです。

 <  よりよい人間  ・   よりよい社会・    よりよい世界   >を、

     もとめる、希望した、人物として
    「  素庵さま  」を、 とらえたく存じます。



   駄弁ながら、覚悟を新たにして
                         残月    合掌


  <  どんなときでも   しあわせを
         感じきれます  ように    >


  <  清き光が  悲しみ  苦しみ  多い
         この世の中へ
              満ち満ち溢れ
                  ますように   >


  <  御病気の( なかま )の  ご回復を  >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を  >


        小走りにて   失礼いたします。











       素庵さまの木碑・行状を読む。

     「 鶴林 玉露( かくりん ぎょくろ ) 」( 中国の書物 )
       を談じ、< 理 >と< 心 >と通ずればすなわち、
       節をうち歎賞す。




       若き日、
     < 聖人の道 >とは何か?と、
      寝ても覚めても
       苦悩する。

       先生いわく、
      「 心を正しうするの外(ほか)、別に余法なし 」。



       御最後の日々、
      最後の最後まで、
      若き日の師匠の教えを守り、
       儒学の根本である
      <  正心 >を、追究なさられている事、
         つまり、
      <  理  ( り )( 真理 )( 正しさ ) >と
      <  心  ( こころ )( 自分 )( 我 ) >を、
         通ずる事( 一つに成る事 )を、
         体全体で、賞賛・歓喜されている事の
            なんという、すばらしさ、でしょうか。

         『 老苦 ( ろうく )( 老いていく苦しみ ) 』
         『 病苦 ( びょうく )( 病気の苦しみ ) 』
           の中においてで、
             ございます。

            せまりくる『 死 』を感じながら、
               < 苦しみ >の中で、
               < 正心 >をもとめ続けられたという、
                      すばらしさ、
                      精神の強さを、




             一求道者として、感嘆せざるおえません。


           後世の私たちも、学ぼうではございませんか。
             社会的にいくらご活躍なさられても、
          「 老 」 「 病 」 「 死 」は、さけられないのですから。




     敬意と愛をこめて         残月    合掌


   < どんなときでも   しあわせで   ございますように  >

                 失礼いたします。






      
     おはようございます。
  今週で、今年も半分おわりでございます。
  本当に、月・日がたつのは、早いですね。
こんな、感じで人生も、終わってしまうのでしょうね。
   「  ご用心 ・  ご用心  」です。


   人生の最後の日が、
  今日かも知れない、
  明日かもしれない、
   「  ご用心  」です。

  何を、用心するのか?
  どういう事なのか?


    人生の最後の日と、
   「 自覚( じかく ) 」できるか、どうか?
   「  これから < 死ぬ >ぞ  」と思えるか、どうか?

 < わけがわからぬ中(うち)に、この世に、生まれくる >
  そして、
 < わけがわからぬ中(うち)に、この世から、死んでいく >
  だけなのか?

     色々な<  死  >がございます。
   <  自殺  >
   <  他殺  >
   <  病死  >
   <  事故死 >
       ・
       ・
       ・
       ・
     自分が、どのような< 死  >に、なるのか?
          どのような< 死 >を、むかえるのか?
          どのような< 死 >に、であうのか?
          どのような< 死 >を、よぶのだろうか?



       なかなか、わからない。
     他人まかせ、
     なりゆき次第、
     運命 宿命さ、
     自分の思いどうりに、なるわけない


        以前のブログ、
   「 言葉から 」、 「 <  旅人  >は死なない  」で、
   ごいっしょに考えましたね。
   <  死  >の問題は、人間の根本なので、
    何度でも、考えたく存じます。


      了以翁・素庵様の時代
    つまり、
      信長公・秀吉公・家康公の同時代に生き抜いた、

     ある武将< 軍師 >は、
    「  何月何日、午前8時に死ぬ  」といい、
      そのように、した、なったという。

    「  あっぱれ、すごい、  
      かくのごとく、なりたい。」( 愚僧 )( 笑 )
       午前8時 ( かの武将の、生まれた時間のような・・ )


  皆さん、何時が、いいのでしょうか? ( バカな事、いうな。)(おしかり)
                         ( お許しくださいませ )
       午前8時
     「  なるほど、さすが、天下一の軍師  」( 愚僧 )
       現代では、午前九時?




       素庵様の最後の日々を、語らせていただくつもりが、
    このように、なってしまいました。 明日に、いたしたく存じます。


       駄弁です、されど、されど、愛をこめて。
                   残月     合掌



   <  しあわせな  一日で  ございますように   >
   <  清き光が  この世に  溢れますように  >
   <  悲しさ  苦しみ  辛さ が
             すこしでも   へりますように   >



   <  御病気の( なかま )の   御回復を  >
   <  御ケガの( なかま )の   御回復を   >

          小走りで   失礼いたします。



















         
    了以さまの業績・行状( おこない )は、
        嵐山 大悲閣の境内に、< 石碑 >がございます。
        木像と共に、有名で、その碑文は、重要な資料です。
        愚僧が入寺時、破損していました。
        ( 本堂解体時の事故とか )
         御一族と自治体のおかげで修復できました。
        どなたも、ご覧いただけます。
        大きく、 立派な石碑でございます。


    素庵さまの業績・行状( おこない )は、
         < 木碑( もくひ ) >がございます。
        すばらしい、立派なものでございます。
        東南アジア産の、チーク材の一枚板に、
        その業績は、刻みこまれています。

        現在、仮本堂に収納しています。
        昨年の客殿大改修の時、移動いたしました。
        400年記念絵画制作もおわりましたので、
        7月からは、客殿において、ご覧いただけます。
        
        また、同時に、
        素庵さまと< 珠算・和算 >関係の事も、
        説明できるように、いたす所存にございます。
        以前、<  そろばん寺  >とよばれ、
        複雑で葛藤矛盾が多いこの世において、
        ご活躍した、古くなった< そろばん >を
        御供養していたそうです。
        ( 先代、四海 信孝 和尚 )

        これらの事も、徐々に再興いたしたく存じますので、
        皆さま方、御協力御願申し上げます。


    
   了以さまの< 碑文 >
   素庵さまの< 碑文 >
      いつでも、皆さまに、御説明できるようにいたしたく存じます。




      ご説明させていただきました。     残月     合掌


  <  今日 一日が   しあわせで  ございますように  >
  <  清き光が   満ち満ち溢れますように    >
  <  苦しみ   悲しみが  すこしでも  へりますように   >

  <  まちがい  てちがい  かんちがい  を
            あまり  しませんように     >
  <  あらゆる 存在が   粗末に されませんように   >


  <  御病気の( なかま )の  ご回復を    >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を    >


             小走りにて  失礼いたします。

6月23日(日) 素庵さま  <2>

| コメント(0) | トラックバック(0)
    昨日に、ひきつづき
  嵐山大悲閣  千光寺 を 創建された
角倉 了以翁そして子息 素庵さまについて、
語らせていただきたく存知ます。


    それにしても、
  「   この世の中、いい人間関係が、
     すべてを生み出す   」ことは、
  真実だな
  という気がいたします。
 
    身近に、典型( モデル )がございました。
 < 了以・素庵 >という、  <  父と息子 >です。
   私たちには、想像もできない、御苦悩・葛藤も、
  おそらく、山の如くおありの事とだったと拝察いたします。
   でも、数々の事業をお二人で、成し遂げてこられています。
    (  千人万人の協力のもと、ございますでしょうが、  )


    いい人間関係を、もつために、
         どうしたら、いいのでしょうか?

     < 純 ( じゅん ) >でなければ、
   そのために、どのように、したらいいのであろうか?

      バラバラな< 自分 >を、
      色々な< 自分 >を、
      わけがわからない< 自分 >を、
      何をもとめているのか知らない< 自分 >を、
      何が好きか、誰が好きか分からない< 自分 >を、


      複雑怪奇な< 人間 >< 自分 >自身を、
     やはり、整理しなくては、ならないですね。
   整理・整頓しても、そう<  単純  >にはならないですが( 笑 )。
   バラバラ・色々な< 思い >を、<  一  ( ひとつ ) >
          にする事は、至難でございます。

       でも、東洋では、仏教では、とくに< 禅 >においては、
    <  一  >の大切さを、語り続けています。


       < 純 >< 一 >になるための方法を、
    皆さんと、考えたく存じます。 
      人類10000年の歴史から、学びたく存じます。

      そして、  よりいい人間関係を  築き、
     この苦しみ悲しみ多い世の中を、共に、生きぬくことにより、
       個個の人間成長と、よりよき人間社会形成に、
     少しでも、役に立とうでは、ございませんか。


      横道に、それすぎました。(大笑)



  林屋  辰三郎  先生の著作からの、引用です。

  『  その光り輝く仕事とは、

        一つは、 朱印船による海外雄飛や
    高瀬舟による河川疎通だが、 父了以の名声が
    素庵の実務的功積を蔽いかくしてしまった。

        二つには、朱子学の研鑽だが、当代の二大碩儒
    惺窩( せいか )羅山( らざん )の名声が、その学統
    の形成に果たした素庵の決定的役割を忘れさせている。

        三つには、嵯峨本の刊行を中心とした芸術活動だが、
       恩師本阿弥光悦の名声のために、
     その値打ちもかきけされがちである。

        いわば蔭にかくれる人なのである。
      しかしどれ一つをとらえても、
      素庵なしには成立たない大きな歴史的業績であった。
        素庵はその点でまことに意志と情熱の人であるが、
      そのしごとの成果を誇示するのではなく、
      父であれ師であれ友であれ、
        その協力者の蔭にあって、充分なよろこびを
       感じていたといえよう。

        わたくしはこのあたりで、   
      素庵の真価を明確にしたいという強い欲求に
      かられるのである。  
                                      』


         引用は、ここまで、です。
        先生、ありがとうがざいました。


    素庵さまのために、 私たちが、よく生きぬくために。

                   残月    合掌

  <  しあわせな  一日で  ございますように  >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >
  <  苦しみ  悲しみが  すこしでも  へりますように  >

  <  まちがい  てちがい   かんちがい
           あまりしません  ように     >

  <  御病気の( なかま )の   ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の   ご回復を   >



           小走りにて   失礼いたします。
















   本年、400年忌をお迎えした、
  角倉 了以( すみのくら  りょうい )の息子が、
<  素庵  >様で、ございます。

  了以翁10代の御子様で、そう年が変わらなく、
お二人で、仕事をなさられています。
了以翁の偉業には、素庵様の支えがあって、
成就されたと、いわれています。

   徳川幕府との交渉事は、
素庵様をとうして、ほとんどなさられています。

  来週、京都東山の南禅寺 金地院( こんち いん )
へ、了以翁 15代直孫の御方とお参りいたしますが、
  まさに、徳川家と吉田・角倉家の関係を
調査・確認したいとの事でございます。


    林屋 辰三郎 先生の
著書 「  角倉  素庵  」  朝日新聞社
         朝日評伝選  19
             昭和53年3月30日 発行
   すばらしい本です。
  吉田・角倉家研究の基本図書でございます。

  引用させていただきます。

「  近世初頭の京都に生を享け、
  抜群の実務的才腕に恵まれ、
  最高の教養と研究活動を積み重ね、

   とくに書芸と出版事業に秀でたしごとを
  のこした素庵は、まさに桃山・寛永文化の
  一翼をになった人物だが、必ずしも一般に
  著名とはいえない。

   彼自身、嵯峨野の月のように、
  その仕事は光り輝いて、人柄は
  つつましく ひかえ目なのだ。
  
    わたしはそのような人に、強く惹かれる。


   その光り輝く仕事とは、一つ
                 二つ
                 三つ

                            」


    今日、京都 仁和寺の会館で、
  
   「  角倉  了以・素庵  の こころ  」という
   講演会が開催されます。
         京福電車 主催


      < 大角倉 父子 >様の御恩は
    愚僧にとりましても、 はかり知れません。
    立派な僧侶になり、御恩がえししなくてはならないと、
    覚悟いたしておる次第でございます。


       
        ご報告・ご案内     残月   合掌

  <  しあわせな  一日で  ございますように   >
  <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >
  <  悲しさ  苦しみが  すこしでも  へりますように  >




  <  御病気の( なかま )の  ご回復を    >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を    >


        小走りにて   失礼いたします
   







                       
     <000 したい >という人間の欲望
 願望・希望・切望・あこがれ・理想・目的・志(こころざし)が、
 大切だということは明白です。 本能でしょう。



     願望の実現の過程で、
苦しみ・悲しみに、さんざん出会うのが、人間であり、
この事により、成長・発達・改革・変身(笑)していければ、
何もいうことは、ございませんね。  ところが、どっこい、
色々な事柄により、
  私たちは、精神的にも、肉体的にも、病んでしまう。



愚僧の< 祈祷( きとう ) >(笑)(笑えない)の
一つに、
  「  刑務所 ・  病院  の役割が無くなりますように  」
が、ございますのは、
< 刑務所 >< 病院 >の苦しみ・悲しみが、あまりにも、
世間・社会・家庭に、満ちているからで、ございます。



   不平・不満・不服のレベルではなく、
もっと、もっと、深刻な事と存じます。でも、
この個人的レベルが、基本・土台ですから、重要です。
日々の、愚僧の願い< 祈祷 >にございますように、
まずは、( 自分自身 )の智慧・工夫・精進で、
克服したいものでございます。

   そして、
小生が、僧侶として、語らせてもらっている事は、

ただ、ひとつ、

  「  もとめて  もとめて   もとめて
   当然、良い事ですが、
     <  苦しみ  >
     <  悲しみ  >
     <  あらそい  >
     <  たたかい  >
     <  殺し合い  >・・を
   生みださないように、しなくては、
   ならない。
      そのための、

      『  閑坐  』  かんざ
      『  数息  』  すうそく
      『  正心  』  せいしん
      『  実践  』  じつせん


      などが、必要でないだろうか?

   <  もとめている ( 自分 )  >
   <  もとめられてる( 自分以外 )の 何か  >
   この、二つから
   独立・自由になってこそ、
   安心して、  <  もとめる事  >ができる、
   のでは、ないだろうか? ( 笑 )( 大笑い )
                ( あほ な )
                ( できるか ? )
                ( できる )
           師匠いわく  ( やれ )  

       ということです。

                     つづき ます


     駄弁ですが、愛をこめて      残月   合掌


 <  この一日が  しあわせで   ございますように  >
 <  清き光が  満ち満ち溢れます  ように  >
 <  悲しみ  苦しみが   少しでも  へりますように  >

 <  あらゆる存在が  粗末にされません  ように  >
 <  まちがい てちがい かんちがいを
        あまり  しでかさないように  御注意(笑) >
 <  工夫し、精進して、己( おのれ )を
        尽くして ごらんなさい    >

 <  笑顔は、貴重です。   和顔( わがん )
 <  やさしい、言葉はうれしい。  愛語( あいご )
 <  二つとも、 現実執着( げんじつ しゅうちゃく )を
        超越・解脱( ちょうえつ  げだつ  )してこそ、
            執着?  自己愛?


 <  御病気の( なかま )の  御回復を  >
 <  御ケガの( なかま )の  御回復を  >


             失礼いたします
 <





   人間の魂( たましい )の叫び声

      <  写経 したい  >
      <  坐禅 したい  >
      <  読経 したい  >

      <  自分を  変えたい  >
      <  自分を  捨てたい  >
      <  自分を  消したい  >
      <  自分を  無くしたい >

      <  神に   なりたい  >
      <  仏に   なりたい  >
      <  菩薩に  なりたい  >
      <  立派に  なりたい  >

      <  さとり   を えたい  >
      <  解脱( げだつ )したい >
      <  安心   を えたい  >
      <  自由   を えたい  >

      <  自分を  好きになりたい  >
      <  自分を  愛せるように なりたい  >

      <  自分以外を  愛したい  >
      <  自分以外を  大切に したい  >
      <  自分以外を  守りたい   >




           色々な、<  願い  >があります。
          上記の事柄は、おおまかな事です。
        様々でしょう、まさに、千差万別です。
         <  命  >
         <  心  >の数だけです。



      <  億万長者( 変化しない )に  なりたい  >( 物 )
      <  金 ( 変化しない )が  ほしい  >( 色 )
      <  ダイヤモンド( 変化しない )が ほしい  >( かたい )
         
         より たしかな 「 物 事 人 心 真 善 美 聖 」
       を、もとめ 続けているのが、
       人間
       個人
       組織
       社会
       国家
       世界
       存在
       生物
       鉱物
       なのでしょう。 (  歴史的に、明白ですね  )


       人間・個人が、
    苦しまず・悲しまず・傷つけあわず・殺しあわなければ、
  努力・精進・工夫・智慧をだしあって、いけば、すばらしいですね。





       道玉上人いわく、 < 祈祷は  低俗 なのでしょうか ?  >

 <  祈祷( きとう ) >こそ、< 慈悲( じひ ) >の極み( きわみ )です。
ですから、<  上人の徹夜の読経  >には、ただただ、ありがたく、
ありがたく、頭が下がります。  ありがたい。   もったいない思いです。 


  ただ、< 金銭のやり取りが、入りやすい  >ことも事実です。
    ( 現実的にも、歴史的にも、明白です  )
    金銭がかかわらぬ< 祈祷  >は、一番すばらしいのでは。
    歴史上では、< マイナスの 祈祷  >もありましたね。
    多いかも、しれない?

                       つづく


      駄弁ですが、愛をこめて     残月     合掌



   ・   メールの返信できてなくて、すみません。
          しばし、御待ちくださいませ。



   <   しあわせな  1日で  ございますように  >
   <   清き光が  満ち満ち溢れ   ますように  >
   <   苦しさ  悲しみが  少しでも へりますように  >



   < 御病気の( なかま )の  御回復を   >
   < 御ケガの( なかま )の  御回復を   >


           走りながら失礼します。


      ・  上人さま   具体性はないですが、
            愚僧の< 祈祷 >とも、申せます。

、   先日、2時でなく、どうにか3時に、御仏前にいました。(笑)
  20代の若い青年男性が、山に登って来て、問いました。



    <  坐禅が  したいのですが、できますか  >
    <  いいですよ、 30分は 時間ありますか  >
    <  はい  >
    <  はじめて ですか?  >
    <  はい  >

    <  どなたも  いないから  ちょうどいい  >
    <  いっしょに  坐りましょう  >
    <  5分、坐ってみましょうか >
    <  背筋を  のばします、 ゆったりとした 気分です >
    <  さあ  、いっしょに   >



    <  10分、どうでしょう  >
    <  息を  ゆつくりします  呼吸を意識します  >
    <  はく息、が 大切です  >

    <  目線は ?   ゆつくり  ななめ前方  >
    <  目を  閉じぬように、  大切。 最初の数分はいい >


    <  いいですよ  >

    < ( 今  ここ  で  死んだ )と思えたら、 坐りやすい  >
    <  人がいらしたので、愚僧は 動きます。
    <  貴方は、動かない。  
    <  耳に入る、( 声 )は 流す 。
    <  心に浮かんでくる( 思い )は、 流す。


         ・   「 沈黙の共有 」の
                 すばらしさよ。




           坐禅をしたい  という若者
           昔の、以前の、自分を見ているようです。
           ( その思いを  大切に してやりたい )
           そのような、寺院にしなくては。
           <  写経を したい  >にたいしても。
           


           何故、小生は、修禅者( 禅者・禅僧 )に
           惹かれたのであろうか?
           あこがれたので あろうか?

           精一杯、奮闘・努力していながら、
           何も、もとめていない、御姿なのか?

           絶対的安心  絶対的自由  
           (  社会・国家・歴史・自然からの  )
           (  ふりまわされない、 独立さ  )
           その、安心・自由からくる
           軽妙さか?

           今となっては、よく分からない。( 笑 )

     ・ 理由は問わない。
      修禅者( 坐禅したい人 )を、大切していきたいと存じます。


          

      駄弁です、でも、愛をこめて   残月      合掌


  <  しあわせな  1日で  ございますよう  >
  <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >
  <  苦しみ  悲しみが  すこしでも  へりますように  >
  
  <  あらゆる物人事が  粗末にされませぬ ように  >
  <  まちがい  てちがいを  あまりしないよう努力を >

  <  不平・不満・不服 のまえに 一工夫を  >

  <  御病気の( なかま )の  御回復を  >
  <  御ケガの( なかま )の  御回復を  >

                 失礼いたします












6月18日(火) 観自在菩薩大士様

| コメント(0) | トラックバック(0)
           昨日の絵画展の御案内です。




      第36回   金曜会   日本画展
            6月18日(火)から23日(日)
         10時から 18時まで(最終日は17時まで)
        場所   京都府立 文化芸術会館2階
                 ( 河原町広小路下がる )
               (075) 222 1046

     <  大悲閣客殿からの  (  眺望  )です  >
     <  京都一の ( 絶景 ・ great   view    )     >
     < ( little  earth  ) からの、  平安京です  >

              安村  一男 居士の作品です。

        どうか、御時間ございましたら、
        是非、ご鑑賞くださいませ。  
                     住職   合掌





     ・ 18日は、観音さまの御縁日です。
     全国、津々浦々の御堂で、読経・焼香される事でしょう。
   中国・朝鮮半島・チベット・タイ・ビルマ・そうです台湾は、特に
  熱心のような気がいたします。 縁日は、ちがいますが、信仰は
同じですね。   いつか、お参りにいきたいものです。


   < 嵐山 大悲閣 > つまり < 嵐山  観音堂  >を、
 再建できたら、< アジア の 観音堂 >を、お参りしようかな?
   いえ、< 日本 の 観音堂 >すら、できてないぞ。
       < 百の 観音堂( 寺院 ) >でございますか。


      また、同時に ( 自分自身 )が、
    < 観音菩薩様 >のように、 成長していくことが、
    一番の< 修行 >< 信仰 >
    そして、< 安心 >< 得道 >でございます。


     私たちの、個人・各々・おのおの・の
      個人的な 最高の目的・理想は、
    <  仏( ほとけ )に、なる  >事とももうせます。

      死んでからでなく、( 笑 )、 生きていながらです、( 大笑 )
      いえ いえ 笑うことは  できませぬ。
      大切な事で、ございます。

     ( 小さい事に、ブツブツ、不満・不服・不平をいわぬ事 )
     ( 大きな不満・不服・不平は、
           < 菩薩 >になってからのほうが、
                解消しやすいです。  )


           まずは、< 菩薩 >( ぼさつ )になる、なりたい、と
        ( 思いを、定める )事から、
       始めたいものでございます。


        1・・・・・・懺悔( ざんげ )・反省( はんせい )から、
        2・・・・・・感謝( かんしゃ )・知恩( おんを しる )
        3・・・・・・
        4・・・・・・

                 つづき  ます



        本日は、他の寺院の手伝いため、
      観音日なれど、残念ながら不在です。お許しくださいませ。



        御案内と 駄弁です      残月     合掌

      <  しあわせな  1日で  ございますよう   > 
      <  悲しさ  苦しさが  少なく なりますように >
      <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >

      <  御病気の( なかま )の   御回復を  >
      <  御ケガの( なかま )の   御回復を  >

              小走りにて  失礼いたします。







    安村 一男氏による、
  日本画<  客殿からの、眺望  >の完成。

     題<  だいひかく   うつらうつらに   のぼりきて
            おかのかなたの   みやこをぞみる    
                        会津  八一   >

     昨日、完成いたしました。
   (  了以翁  四〇〇年記念 制作 です。 )
   (  ありがたや  ありがたや  ありがたや  )


 「  おめでとうございます。  」
 「  ありがとうございます。  」
 「  ほんとうに、たいへんでした。 寒い日・暑い日。 」
 「  参詣の皆さま方の御案内を、していただきながら、・・」
 「  根気がいる仕事です、頭が下がります。  」
 「  芸術のすばらしさ  」
 「 < 魂 >こめる、ことの、すごさよ  」
 「  損得ぬきの世界の、たしかさよ   」


 ・ < 宗教 > と < 芸術 >の関係は、
 密接ですね、いえ、一つでしょうか。

 ・ < こころ > と < もの >の関係ですから、
 同じですか。 本来。
   < こころ >と< こころ >は、一つ。
   < こころ >と< もの >は、一つ。
   その実践が、芸術ともいえます。

 ・ < 美しいもの >・< よきもの >・< たしかなもの >
  < すばらしいもの >・< うやまうべきもの >を、
   ( 真 ・ 善 ・ 美 ・ 聖 ・・)

  ( もとめて ・ ほしくて ・ 一つになりたい )と、
   さまようのが、
   人間の< 魂( たましい ) ・ 心 ・精神・ 身体 >です。
   ここから、あらゆるものごとが、うまれてくる、ともいえます。


  < 宗教 >< 芸術 >< 仕事 >< 恋愛 >、
  < 憎悪 >< 対立 >< 競争 >< 戦争 >も、

   <  源( みなもと ) >は、一つ同じです。
    同じなのです。 善も悪も。 この真実。

     私たち人間は、
   <  魂( たましい ) >を、よくみつめて、
   よりよい方向へ、一歩一歩、
   進まなければ、ならない動物です。
   ( 歴史をみれば、明らかです )




         絵画展の御案内は、
        明日、掲示いたします。
       今週から、京都市内です。
         御待ちくださいませ。



       駄弁ですが、感謝をこめて、    残月    合掌


   <   しあわせな  一日で  ございますように  >
   <   清き光が   満ち満ち溢れ   ますように  >
   <   悲しさ  苦しみが すこしでも  へりますように >

   <    まちがい  てちがいを  あまり  しないように >
   <    すべての存在が  粗末にされませんように  >

   <    御病気の( なかま )の  ご回復を   >
   <    御ケガの( なかま )の  ご回復を   >

         
              ちょと走りながら失礼いたします












   






   





  
   繰り返しです、大切なので、また考えたいです。

  仏教では、< 三つの知恵 >を語っています。

    1・・・聞慧( ぶんえ )  聞いて、身につく智慧
    2・・・思慧( しえ )   思いめぐらして、身につく智慧
    3・・・修慧( しゅうえ ) 実行して修(おさ)めて、
                        身につく智慧。

 1・・・聞くという事は、< 書物・本 >を読む事でも、 ございます。  
    ( 自分 )を、空( から )に しないと、本すら受け入れられない。
    ましてや、( 人の御言葉 )を聞けない。
    私たちには、口が1つですが、耳は2つあることを忘れないように
    したいです。
      < 多聞天  たもんてん  >
    まさに、できるだけ、< 多く聞く >の大切さよ。

     ・  我 以外 、 皆 師匠 なり
     ・  新聞は、わたしへの、世界中からのお手紙、
               よく読むように。

2・・・( 思う )( 考える )事の大切さです。
    物事・人・世間・心・金銭・身体・・について、
    よく考えることです。
      < 活かす・生かす・いかす >ために、
      慈悲・やさしさ・愛情を、
      原点とするのです。

   ( 自分 )だけの、「 得(とく)・利(り) 」のためだと、
   人間、あまり、力が出ない。 本来は。

       自分の利得・利益だけを、原点にしないと、
     本来、< 頭は  よく回転する >(笑)(ほんとうか?)
         < 心は 広く深く なる >(笑)(ほんとうか?)

   観る(みる)・・自由自在にみる。 まさに、観自在( かんじざい )
           ( 自分 )( 自分以外 )
           ( いい事 )( わるい事 )
           ( 好き )( 嫌い )も、

               色々な観点から、観る・見る。


 3・・・実行する。  修行する。
       うまくいく。   しつぱいする。
         できない。  できる。
       

         ( 自分以外 )が、いっている事は
         本当だろうか?

         まずは、< 疑わず >行う。
         ( ほんとうか? )の確認です。(笑)(笑えない)

         ・< 流されて  生きる  >でなく、
         ・< たくましく  生きる  >< よく生きる >には、
           智慧を身につけたいもので、ございます。

         ( 自分 )が、ゴミを1つ、拾えば、
         世界から、ゴミが1つなくなる。
         小さいこと、でも、できる事から。
         欲を出さない事。 10こ取りたいとか。
         5こ以上じゃないと、しない。(笑)

         ・< 流されて 生きる  >事と、
             禅の修行の< 雲  水 の ように  行う >
               のちがいは、
                  実行しながら、考えてみてください。

         ・ 菩薩( ぼさつ )  修行するひと・ 実践人
                       頭だけでない人
                       心がある人

                 ( 菩提 ぼだい )
                 ( さとり )をもとめる人
               ( 安心 )をもとめる人、(内面に)。
            ( 本当の <安心> )は、< 外 >に無いと、
            気づいた人。
           < 外 >は、無常でないだろうか?と、思う人。
             (「 無常 」  常など無い  全て変化する )
             ( よくも  わるくも   変化する  )
      (  できるだけ  いいように  変化させる事・・・人の仕事  )

           こだわるべき事に、疑問をもった人。
          やさしさ・いとおしさ・わび・さび・・感じやすくなってくる
         (自分)と(自分以外)の、<ちがい>がなくなってくる。
            自然と、やさしくなり、また、やさしくされやすくなる。
               心の奥底から< しあわせ >を感じてくる。

           人は、< ぼさつ >のような< あり方 >を、
              もとめたいもので、ございます。

       人としての< 命  >は、< ぼさつ >になれるから、
           より尊い、より有難いと言はれています。

     ですから、
       「 人の< 命・心 >  」は、 
               「 菩薩 ( ぼさつ ) 」になり、
               「 仏( ほとけ ) 」になるまで、
           くりかえし、くりかえし、生まれてくる、という思想が出てくる。
      愚僧も、このごろ、そのように思えてきつつあります。(笑)
         おのおの、
           「 菩薩の行為 」の種類・範囲・役割はちがえども。
               ( いい意味での、宿命がある  )
      ( やりとげ なければ  ならない、各々の・役割・つとめ・仕事・・ )

          50歳で、残念ながら、亡くなった友人は、
                     他界した友人は、
            また、この世に帰ってくるような気がしてきました。
               お互い、まだ、「 仏 」になってないからね。



      駄弁ながら、< たくましく生きる >ために。
                         残月       合掌

   <  しあわせな  1日で  ございますように   >
   <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >


   < 御病気・御ケガの( なかま )
           1日も  お早い 御回復を    >

          走りながら失礼いたします。




    

6月15日(土)  随想

| コメント(0) | トラックバック(0)

    土曜日は、大恩人・元翁の御家にお参りに行っています。
 朝、8時40分です。 この時間だと、午前でも午後でもなく、
 予定以外として行動できて、ありがたいです。 御子息家には
 御迷惑かもしれしれませんが、愚僧、生きている限り、お参りさせて
 いただく所存・覚悟でございます。
  ( 嵐山 大悲閣 千光寺でのお参りは、当然でございますが )


     知人・年上の友人がおっしやられていました。
  ( 自分で考えながら、仏教を学んでられる尊い御方です )
  ( 大阪からです。 先日、「 無私の人 」という本を貸して
    くれました。  ありがたい。  )

「  ある上人( しょうにん )が、いってましたね。
  自分の親・先祖のためには、読経しない。
  追善供養しない、言っているのでは、
  ないでしょうか。
    なぜ、私たちは、法事をするように、
  すすめられ、また、おこなうので、あろうか?  」

「  教団の運営上の、問題もございますでしょう。( 笑 )

  また、お亡くなりになり、家族・親戚・関係者が、
 一同に御集り、故人を偲ぶ( しのぶ )事の、
 大切さ・重要さは、どなたも、御感じでしょう。

   でも、やはり。
 < 現代人の面倒である・忙しい >という言い訳で、
少なくなってきているのかも、しれません。

   しかしながら、他の寺院での法事を
 させていただいてますと、皆さん懐かしそうに
 されてます。  おじさん・おばさん・おい・めい・
 いとこ・遠方の御親戚、 皆様方、本当に
 うれしそうです。

 <  こんな事がなければ、
    法事がなければ、集まらないよね >と。  」


      とにかく、言葉の世界は、むずかしい。
     ( 言葉だけ、だと、むずかしい。 )
     ( 特に、宗教は実践・体験しながら、でなければ  )

   以前、宗教者・宗教学者のお話を聞いた事がございます。

     <  これは あまり よくないな。
        1から10まで、お話している。
        また、右・左・上・下・裏・表を
        話しているぞ。
          お聞きしている人々が
          混乱してしまう。  >

     <  仮に、物事の理解に、
          10級から1級、
            そして、1段から10段まで、
             あるとしましたら、

           きちんと学ばなければ、
             順序よく学ばなければ、
               水泡に帰す。
                 大変だ。   >

   

        「 『今』の私が、知ることはよくない 」事も
            多々、 ございます。
     順序よく、あせらず、忍耐をもって、学びたいものです。

          また、 本当の意味の先生・師匠が
            必要になってきます。




   駄弁です、愚僧が混乱させては、いけませんね。
       反省 反省   丁寧に  1歩1歩づつ。
                      残月   合掌

   <  しあわせな  一日でございますように  >
   <  清き光が  満ち溢れますように   >
   <  苦しみ  悲しみが  へりますように   >

   <  まちがい  てちがいを あまり  しないように >
   <  あらゆる存在が  粗末に されませんように >

   <  やさしい  まなざし  >

   <  御病気の( なかま )の  ご回復を  >
   <  御ケガの( なかま )の  ご回復を  >


               失礼いたします。



               






     雑感随想がつづいてます。
  すみません、チョット休息の気分です。
  お許し願いたいです。( いつもじゃないか )( 笑 )



    ほんとうは、( ひとり )と( みんな )とか、
 ( ひとり )と( ひとり )とか、( ふたり )の世界とか、

   お松さん、お竹さん、お空さん、
 お梅さんに、ついて、ごいっしょに考えたいのですが、
  つまり、< 区別 >< 平等 >< 区別 即 平等 >
 < 平等 即 区別 >、 < 行為の世界 >< 理想の世界 >
 < 現実の世界 >とか、


   閑坐・数息・正心・
   禅定の諸段階とか、、、、



   道徳の確立
  「 道 」    天と地の間の  ( 自分 )
  「 徳 」    人と人の間の  ( 自分 )とか、
    ・ 現代の道徳哲学
    ・ 新 心学
    ・ 心の たもち方
                 とか、いっしょに考えたいのですが・・



    先日からの、つづき です。
  「  ( ああ 面白かった )  といって  死にたい  」
    そのためには、
   < ( 自分 )の( 好きな事 )をする  >ことかな。
 でも、世間・社会が、ゆるさない事もある。



    友人の御言葉です。

  「  何が、好きなのか、わからない。
     何が、したいのか、わからない。  
     何が、ほしいのか、わからない。  」
   
  のが、 一番、苦しく・つらいのでは、なかろうか?
    なるほど、
   そうですね。
   なるほど、そうなのですね。

      21世紀に生きている私たちは、
    原始時代も、古代も、
    中世も、近世も、
    近代も、
    忘れて、いるのかも知れません。
      ( 教育 )されていないかも、しれません。
    また、<自分>で<自分>を教育していないのかも
    しれません。

                つづく


             昨夜の( 三日月 )の美しさよ

         「  夜を行く   見上げる空や   月ひかる  」

                          残月   合掌

  
  <  一日が  しあわせで  ございますように  >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように  >
  <  苦しさ  悲しみが  すこしでも  なくなりますよう  >
  
  <  まちがい  てちがい を あまり  しませんように  >
  <  愚痴を  いいません ように   >
  <  尽己( じんこ ) 自分を つくす。 その1、なり。  >
  <  敬天( てんを うやまい )・愛人( ひとを あいせよ ) >

  <  ちいさきを  おさなきを   まもりたい   >
  <  粗末にあつかうな、おのが( 心 )を、 >
  <  粗末にあつかうな、おのが( 身 )を、 >

  <  荒野をめざせ   雨風に  打たれろ  >
  <  師匠に、汝が師に、なぐられろ  >

  <  御病気の( なかま )の ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の ご回復を   >

                    失礼いたします。






6月13日(木)  質問箱より

| コメント(0) | トラックバック(0)
    「 仏教では  性同一障害は  どのように とらえるのか? 」

    新聞記事でしか存知ませんので、よくわかりません。  でも、
   「 自分は、男性だけど、女性として生きたい、女性である。 」
   「 自分は、女性だけど、男性として生きたい、男性である。 」と、
   いう主張は、
   尊重されるべきである、と思います。

     昔は、また昔昔は、社会・町・村・から嫌われ排除されてきたかも
    しれません。  世界中では、まだまだ、かもしれない。
     ( 迷信による呪縛・悪習は  残っているいるそうです・・・)

      『  社会の  成長発達  』  つまり
    『  人間の意識・観念・常識の  成長発達   』 と考えるならば、
     日本・欧米では、認められてきているのでは、ないでしょうか。
   また、よく理解されて、社会の中に、受け入れていかれるべきことでしょう。
     < 身体と精神の不調和 >の苦しみは、
      命そのもの破壊に、つながる事でしょうから。



     「  みんなちがって  みんないい  」というある詩の言葉が、
   よく引用されています。 戦前の詩ですよね。
     戦前は、「  みんな おなじで   みんないい  」の、
   おそろしい時代だったのでしたね。
   「  おなじでなければ  非国民である  」という時代です。
     このような社会に、もどしては、なりますまい。
    
   < 軍靴の響き(ひびき) >より、
    ( 権力の 横暴 )より、
   < ハイヒールの響き >でいいのですね。( 大笑 )

    精神がしっかりしていなければ、
    価値観をしっかりもたなければ、

  <  何のために  私たちは 生きて行くのか  >を
  個人も社会も、また国家も、さだめていなくては、

     困難・貧困・欠乏・恐怖に
      負けてしまうのが、私たち人間でございます。
         ( 歴史的真実です )

    ここで、本当の意味での宗教が大切に
  なってきます。   < 現実 >にふりまわされない力です。
  < 現実 >を捨て・無視する事ではなく、です。

     社会における、< 教育 >の重要さは、
   人間・大人・おとな・社会構成員の<  意識  >を
  左右するから、強調しても、しきれない気がします。
    また、『  幼児期の環境・保育  』は、よく配慮
  されなくては、ならないでしょう。

     < 知識でなく、意識の問題です >。

                           つづく

    駄弁ですが、よりよい人間になり、
        よりよい社会をつくるために。
                       残月     合掌


 <  しあわせな 一日で  ございますように  >
 <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように  >
 <  悲しさ  苦しみが  すこしでも  へりますように >

 <  まちがい  てちがい  を あまり しないように >
 <  愚痴をいうべからず   最善をつくすように  >

 <  ちいさきもの  よわきものを  まもるべし  >
 <  あらゆるものが  粗末にされぬように  >

 <  荒野をめざせ  雨 風に打たれろ  >
 <  師匠に、汝が師に、 けとばされよ 。 >

 <  御病気の( なかま )の   御回復を  >
 <  御ケガの( なかま )の   御回復を  >

                    失礼いたします。







6月12日(水) 嵐山大悲閣<little earth>

| コメント(0) | トラックバック(0)
        12日は、< 了以忌 >です。
  旧暦 7月12日が、御命日です。「 秋、7月12日 」と
 石碑( 境内にあります )に刻まれています。

    私たち人間は、忘れやすい動物です。
 <大切な事柄>は、石に刻み込んでで後世に伝えようと
 しています。

    私たち人間は、愚かで石碑の存在すらを忘れてしまう。
 東北地方で、「 ここから、下には、住んではならない。 」という
 石碑が見つかっています。

    中国大陸の山の中に、
 < 石経 >とよばれる碑文の一群があるそうです。
 「 仏教でいう真理 」を、刻み込んでいるそうです。
    < 寺院を破壊され・仏像と経本は焼かれ・僧侶は殺される >
 場合・時代もあるわけですから、
   先人・祖師方は必死です。
    奥山の岩肌です。
 < なんという、心・意志・精神よ >でございます。
   「 般若心経 」の親みたいな、「 金剛般若経 」も
 刻み込まれているそうです。( 写真で見ました )
   山の中で、ものすごい労苦だったことでしょう。

    「 金剛般若経 」は、禅宗の基本経典でもございます。
  徹底して、< 個人・個体・個命・個形は、無い ない ナイ >と
  語っています。
    これに気づけば・納得できれば・頷ければ(うなづ)れば・
   これを悟りえたら、
      < 絶対幸福・徹底満足・大歓喜 >という。( 大笑 )
                                 ( 笑えない )
                       古人いわく、 ( ほんとうですぞ )。

   でも、『 仏 』 という ( そのもの )、
   また、『 慈悲 』という ( その、はたらき )
        の< 光 >< 熱 >< 風 >< 水 >・・
        が、  「 この真理の体得 を  助ける 」
        という事を、
        信じることから、( 正しく 受ける )ことから、
       < 正しい道 >が、始まるような気がいたします。



    とりとめのない駄弁です、でも、愛をこめて。
                      残月      合掌

<  今日  一日が  しあわせで  ございますように  >
<  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように  >
<  苦しみ  悲しみが  少しでも  へりますように  >

<  まちがい てちがいを  あまり  しませんように  >
<  勇気をもって、さあ、一歩    >
<  あらゆる存在が  粗末にされません  ように  >

<  不平・不満・不服のまえに   一工夫を   >
<  人を愛せよ  物を愛するな  人を愛せよ  >

<  御病気の( なかま )の  ご回復を   >
<  御ケガの( なかま )の  ご回復を   >



                    失礼いたします。




















           9日(日)ブログ更新が出てなかったので、
  「 急病だろうか? 」と、心配してくださった方々が、
  いらっしゃられ、まことに申し訳ございませんでした。

   ( 心配してくださる方が、いらっしゃるのだ )と、
  存知ました。 改めて、皆さまに感謝申し上げます。

   
    今朝は、
   休息の気分で、とりとめのない事を
  語らせて、いただきます。



    新聞の本の広告です。
  「 ああ < 面白かった >と言って、死にたい 」
    なるほど、
  < これに、つきるな >
  < こう、思えるような、自分にならなくては >。

   「 ( 自分 )の( 好きな事 ) 」を、
  とことん、やった人は、そう思えるのかもしれません。
  恵まれた環境・境遇( きょうぐう )に、いたかもしれない。
  この環境・境遇を、
  命がけで、獲得したのかも、しれません。

    世界は、おそらく、
  「 ( 自分 )の( 嫌いな事 ) 」を、
  無理やりさせられている方々が、
  とても多いだろうと、考えられます。
    困った事です。
  これからの私たちの課題です。

    ただし、この日本などにおいて、
   < 今 >の、
  「 ( 自分 )の( 嫌いな事 ) 」を、
  本気で・ 真剣に・ 己の意志で、
    やる人、とくに若者がいたら
     すばらしい。
     おそらく、いるだろう。
     必ずや、いる。

      ( 自分 )( 自分以外 )を
        変化・成長・発展させる。


    「 ( 自分 )の( 好きな事 ) 」を、
  まわりの人々に、( すみません  ごめんなさい )
  ( ゆるしてください )と、思いわびながら、
  罪( つみ )を意識しながら、
  ( 小生・愚僧も、若い時、迷惑かけてると知りながら、
    好き勝手しています。 < 大笑 >  )
  うちこんだ人が、意外と、
  「 面白かった 」と、言えてるような気がいたします。

     事の、成功・失敗は関係なくです。
     ( 自分 )を、( ささげ・つくす )喜びは、
     人間性の極みのような気がいたします。
      でも< むずかしい >。

      < ささげよ・ つくせよ >という命令もある。
       論外であり、まさに、はねのけよ、です。
       でも< むずかしい >。
       工夫・精進・・・・閑坐・正心です。


     神仏、もしくは< 超越  ちょうえつ >
   現実のみに、しばられては、ならないですね。
   < 真 >< 善 >< 美 >< 聖 >
    いつまでも、普遍的価値の  追究です。
   論外の横暴・暴力に、
    負けぬためでございます。


   < なすべき事・好きな事・つくす事 >
    昔は、「 忠 」と「 孝 」。

       現代日本社会は、
       まさに「 孝 こう  」が大切です。
        親孝行が、人間の基本です。
        ( 御両親いらっしゃらなくても、
            孝の精神の実践です )
           でも<  むずかしい >。

        基本から応用へ。



     とりとめのない駄弁でした。
                  残月     合掌


   <  一日  しあわせで  ございますように  >
   <  清き光が  満ち溢れ  ますように  >
       ・
       ・
       ・
   <  御病気の( なかま )の  御回復を   >
   <  御ケガの( なかま )の  御回復を  >

               走りながら失礼いたします。

          








6月10日   嵐山  大悲閣

| コメント(0) | トラックバック(0)
   10日の午前4時25分です。
 なんと、昨日 9日のブログが、原稿のままでした。
また、ミスしてしまいました。 反省いたします。
いま、公開しました。  何10分後に掲示できるのでしょうか?
  初めてのパターンでした。
 もし、御待ちの御方がいらしてくださっていたら、
  申し訳ございませんでした。

 ( 他の寺院の法事 )と ( 嵐山 大悲閣の事 )
で、頭の中が、混乱していたのかも、しれません。

  今朝は、やっと、書評の原稿を しあげました。
恥ずかしいものに、なりましたが、今の小生はこのような
者なのでしょう。  努力精進あるのみでございます。


  昨日の法事の後、檀家の皆さんと食事をいたしました。
近年は、食事代をいただいておわり、ごいっしょする事が
ほとんど、なくなりましたが、やはり、同じテーブルにつき、
食事をする事は、本当にいい事だなと存じました。

  剣道7段の方がいらっしゃいました。
色々話し合ったり、教えていただいていたら、
  日本 柔道創始者の御言葉を思い出しました。
     その1・・・ 体育
     その2・・・ 修心
     その3・・・ 勝負


   どの世界も、< 勝負 >に走りすぎています。
 その先生いわく、「 勝負は 負けた方が  いい 」と。

   このごろ、
スポーツマンでなく  アスリートとか言ってますね、
 賞金稼ぎの意味でしたか??


      お詫びと 駄弁です       
                   残月   合掌


<  今日 一日が  しあわせで  ございますように  >
<  清き光が  満ち溢れますように  >
<  悲しみ  苦しみが  少しでも  なくなりますように >

<   まちがい  てちがい  を あまり  しないように  >
<   小さきもの  よわきものを  たいせつに  >
<   あらゆる存在が  粗末に されませんように  >

<   ( 自分 )を( 自分以外 )に、尽くす・愛する  >

<   御病気の( なかま )の  御回復を    >
<   御ケガの( なかま )の  御回復を   >

               失礼いたします。







6月9日 (日)  嵐山 大悲閣

| コメント(0) | トラックバック(0)
       おはようございます。
    昨日の和歌の訂正を、いたします。
  八一先生・皆さま、申し訳ございませんでした。
  パソコンを、閉じたと同時に、気づきました。
  < みやこ おぞみる・・・・みやこ をぞみる >
  < お >が、< を >に、変更です。


   昨日、道玉上人から提案がございました。
 仏教の経文は、インド古代のサンスクリット語(梵語)なので、
 ( ひらがな写経は、どうだろうか? )と。
    ・ 大悲呪( だいひしゅ )( 千手観音様の功徳を語る )
    ・ 仏頂尊勝陀羅尼( ぶちんそんしん だらに )
               ( 仏さまの頂きからの光の功徳 )

        内容・意味を理解したうえでの、
      真言( 梵語そのもの )の、< ひらがな写経 >は
      いいかも、しれません。

       「 ( 自分 )を捨てる、
        ( 自分 )を捧げる 」いい練習かもしれません。

    人生は、「 ( 自分 )を、< 捨てる >
                    < 捧げる >
                    < 尽くす >ため 」と
        考えられますが、
        むずかしい、
        日常生活においても、
        歴史的社会生活においても、
        非常にむずかしい。

        本当は、簡単かも、・・・・・。

        < 捧げる >< 尽くす >は、むずかしいので、

        < 捨てる >事を中心に考えると、
        「 写経 」また「 坐禅( 閑坐 ・ 数息 ) 」
        が、実行しやすいかもしれません。


     人生は、「 ( 自分 )の、< 好き >な事に、
                うちこむ・没頭・集中するため 」とも、
           表現できます。
         「 この< 好き > 」を、どのように、< 捨てる >
                             < 捧げる >
                              < 尽くす >に
          高めていけるか、変換していけるか、が
       現代日本人の、根本的課題であると存じます。

     どなたも、そのように、感じている気がします。( 独断 偏見)(笑)
    だから、わたしたちは、< どう ある べきか? >
   だから、わたしたちは、< どう なす べきか? >

       このブログの初心が、まさに、ここにございます。
   < 閑坐・数息・正心・・・>
   < 嵐山の 美しき自然 >( きびしさ も )
   < 観音菩薩さま >( 仏教・宗教 )
   < 角倉 了以さま  素庵さま・・・一族の業績>
   < 現代日本人の  幸福・・・  >
   < 人間の幸福 ( 思考と行為の一致 )・・ >
   < 愚僧の( つとめ )( 課題・問題 ) >
   < little  earth  ・・・・・・   >
   ・・・・・・・・・・・・・

         上の8個・・・・・・を、全て同じと、とらえて、
      愚僧は、思考・実践しているつもりです。(笑)
      でも、それでいいのか? ( 大笑 )
      でも、大切だと感じています。( 笑 )( 笑えない )



      初心の確認のような駄弁になりました、お許しください。

                  残月   合掌


    <  今日が  しあわせな  一日でございます ように  >
    <  清き光が  この世に  満ち溢れますように  >
    <  悲しみ  苦しさが  少しでも へりますように >
    <  まちがい  てちがいを  あまり しませんように  >

    <  不平・不満・不服の前に、 深呼吸です  >
    <  あらゆる物人事が  粗末にされませんように >
    <  1歩 踏み込んでいるだろうか あまえるな ハイ >

    <  御病気の( なかま )の  御回復を   >
    <  御ケガの( なかま )の  御回復を   >

                 失礼いたします。










          本日の(土)、午前10時30分から 午後1時まで。
               確実に、千光寺にいます。< 愚僧在寺 >
     明日の(日)、むずかしいです。
             午後2時すぎまで、他の寺院での法要です。
             努力いたします。


       拙僧、< 嵐山 大悲閣 千光寺 >の収入は、すべて、
    復興資金にあてたいので、基本的生活費は、別の寺院で
     いただけるように努力しているつもりです。
  本当に、ありがたい御仕事・仏事法要をさせていただいています。
    そのために、復興活動交渉事以外でも、外出することも多々あり、
  「 住職が、いつもいない寺院は、信用ならない。 」と 批判も
   されていますが、今のところ、どうしようも ございません。 
     しっかりした、留守番の仲間がございます。
    そして、お守りし、御案内させていただいています。


     御年長の御方は、案内のかたわら、絵画の制作中です。
  < 了以翁 400年忌 記念・・・客殿からの眺望です・
                絶景 ・ great view を描かれています >

  < 大作です・・・題が決まったそうです。
            会津 八一 (あいず やいち)先生の和歌です。

      「 だいひかく   うつらうつらに   のぼりきて
          おかの かなたの   みやこをぞみる   」
                   
                    注・ ひらがな文字です

     ここ数日、制作お休みとの事です。



     他の寺院について。
   ここ数年、拙僧を助けていただいています。

     不思議な御縁で、ございます。
   この御寺の墓地に、古くて珍しい墓石がございます。
 ある日、お参りにこられた御子孫の方々に御尋ねいたしました。
すると、次のように、お話なさられるでは ございませんか。
   「 嵐山にある寺院、大悲閣に祀られている
       角倉 了以の子孫です。
         末の娘さんの家系といい伝わっています。  」と。

      愚僧、驚きをこえて、鳥肌が立ってしました。
    < 小生、またしても、了以さまに お守りされている  >
    (  ありがたや   ありがたや   ありがたや  )


      もう一つ、不思議な事がございます。
  小生に、この寺院の仕事を託してくれた僧侶の方は、道場の先輩に
   あたりますが、なんと、角倉家と共に京都で御活躍なさられた
  < 京都所司代の子孫 >であるのでございます、
     なんという巡りあわせ。
 (  ありがたや  ありがたや  ありがたや   )



         長くなりました現状報告の駄弁です
                           残月   合掌



      ・ 本日、京都新聞・市民版に
              昨日の法要の記事が掲載されました。
        新聞社さま、 ありがとうございます。
        いつも、いつも、この小さい寺院を御見守りいただき、
        また、支えていたたきまして
          心より感謝申し上げます。
      (  ありがたや  ありがたや  ありがたや  )




   <  今日一日が  しあわせで  ございますように  >
   <  悲しさ  苦しさが  すこしでも  へりますように >
   <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >

   <  すべてが  大切に  されますように  >
   <  勇気をもち  誠意を  尽くせますように  >

   <  文句をいわず  愚痴をいわず  ただ 実行 >
 <  天を敬い( うやまい )人を愛する 「 敬天 愛人 」 >

   < 御病気の( なかま )の   ご回復を  >
   < 御ケガの( なかま )の   ご回復を  >

                 失礼いたします。







    本日、6月第一金曜日は、
  京都・嵯峨嵐山地区・天竜寺の裏山にあたる亀山公園にございます、
< 了以 像 >の前にて、毎年、法要が営まれます。

   大悲閣千光寺の< 坐像 >400年前制作。
   亀山公園の銅像は< 立像 >であり、戦後再建されました。
         ・ 定朝門の御立派な仏師様の御制作です。
         ・ 高瀬川(京都)の住民の皆さまの発願です。
         ・ 20年以上前から嵐山保勝会・商店会・・皆さまで、
            守られています。
         ・ 自治体の御協力もいただいているようです。


   以前、ある町で< 了以像 >を制作した、という事がございました。
  万民に慕われ尊敬されている< 角倉 了以 >様ですから、
 事実、今までにも上記の如くあり( 高瀬川 瑞泉寺様にも ございます )
 これからも、ありえます。( 富士川の皆さまの思いも、お聞きしています)

   ある町の制作の< 了以像 >には、
「 よくない事である 」と、このおとなしい愚僧は、はじめて怒りました。( 笑 )

   現代人である、わたしたちが、勝手に、想像して、
 < 了以 さま >の御顔を、制作できる訳はない。
 400年間、大切に、多くの方々が守ってきた、
 第一級の資料があるのに、その事をふまえず制作
することは
「 歴史を  冒涜( ぼうとく )する事ではないだろうか? 」
  < 先人をないがしろにし、 子孫を だます事 >では?


   怒らない僧侶が、怒ったのでした。( 笑 )
 もう、終わった事です。
  私たちも、十分注意したいと存知ます。
   拙僧は、特に、なんでもよく、皆さま方の
 御意見を、いただけるような、真摯さ・謙虚さを持たねば
ならぬと、反省いたしてございます。

    因みに、亀山公園の< 御像 >は、
 大悲閣の了以様< 坐像 >が、まさに立ってられるような、
 雄姿( ゆうし )の< 立像 >でございます。
   すばらし御像でございます。
       ここに、嵐山の中腹にたたずむ、
        了以翁の貴重な史跡・
        大悲閣の説明案内板があれば、    
       より親切な京都市・京都府なのになー
        と、20年間、思いつづけています。( 笑 )


 
           昨夜、 月齢  27・1   ( 月華殿 )


     
         駄弁です        残月    合掌

<  しあわせな  一日で ございますように  >
<  清き光が  満ち満ち溢れ ますように  >
<  苦しみ  悲しみが  少しでも へりますように >

<  まちがい かんちがいを  あまり しませんように >
<  あらゆるものが  軽んじられません ように  >
<  工夫したいものです、壁にむかいて  >
<  努力するかぎり  迷うもの  おそれないで  >
<  日々の( つとめ )を  しっかりと したいものです  >

< 御病気の( なかま )の  ご回復を  >
< 御ケガの( なかま )の  ご回復を  >

            失礼いたします。









     < 現在 >  午後2時には、大悲閣 観音菩薩様の御前に
             坐し読誦するように、つとめています。
               御参詣の皆さま方と、御話できるようにも、
             なりたいものにございます。
                でも、昨日は、< 山の水 >が、
           止まっていたので、( 読誦 )より( 労働 )です。
       ( 肉体労働を 尊重する )禅宗は、現代人には、
     特に、大切な< 心のありよう >を示してくれるような気がします。
              その1・・・・人に たよるな。 ( あまえるな )


        (新聞に) 東日本大震災地からの、修学旅行生の
      言葉が載っていました。
    「 どこの御寺に行っても、御坊さんがいません。
     姉の御骨を、持ってきています。 供養してもらいたい。 」
        あるお寺に、預けて帰ったそうです。 住所も伝えず。
    「 御預かりして、供養してます。 いつでも、余裕ができたら、
     連絡してください。  」という記事でした。
    ( 愚僧、できるかぎり、寺にいなくては ならない )(笑)(笑えない)


      ( 昨日 の  客殿  )
    隣町、保津川の上流の亀岡市の大学生が大勢、
  お参りしてくれました。 ゴミ拾いをしながら、川下りを体験し、
 最後に、400年前の開削者であられる< 角倉 了以翁 >を
おまいりするという、いい授業です。
  
  高校生にも、他の大学生にも、体験していただきたく存知ます。
    私たちは、歴史に学びつづけなければ、ならないですね。
  生きている( 現代 )は、いい面も、わるい面も、過去の先人の
 <行為の積み重ね>である事は、歴然たる事実ですから。


    ( 了以翁がこの場所を選び、寺院にした )この事実。
  その動機・精神・心・魂は、( わからない )。
 でも、「 すばらしい場所だ 」「 天然 勝境 」だ、
    と明治時代の禅僧が< 死守 >した気持ちが、
   わかるような気がいたします。

   ( 松尾大社さまから、お譲りいただいたようです。 )




       御報告と駄弁です
                     残月    合掌


    <  しあわせな 一日で ございますように  >
    <  悲しみ  苦しみが  すこしでも  へりますように  >
    <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように  >

    <  まちがい  てちがい  かんちがいを  しないように  >
    <  あらゆる物人事が  粗末にされない ように  >

    <  不平・不満・不服のまえに、 一工夫を   >
    <  誠・真・まこと   で  今日、1日をすごしたい >

    <  御病気の( なかま )の  ご回復を  >
    <  御ケガの( なかま )の  ご回復を  >

                   失礼いたします














    おはようございます。

  今、< ひとり >と< みんな >と書いてみて、
 < ひとり >も< みんな >の、とらえ方も、考え方も、

 個個各各ちがうでしょうし、厳密に思考すれば、
 定義もできず、雲散霧消( 雲のように散り、霧のように消える )
する曖昧の極みの言葉・概念かもしれないなーと、感じました。
  このような事を、考え表現していいのだろうか?と。

  でも、小生は、
「  人間の< 苦しみ >< 悲しみ >の克服  」という観点でのみ、
考えていますので。( 笑 )  このようにしか考えられないので。( 大笑 )
学問的でなく、歴史的でないと存じますが、許されるかもしれないなーと。(笑)

    人間の、<  だれでも思う、疑問を  >、
    現代社会において、
    無謀であろうと、
    < 自分 >で、< 解答 >をさがしたい。
    当然、過去・他者に、謙虚に学びつつでございますが。(笑)



    ・  「 角倉 了以の世界 」  宮田 章 ( 大成出版 )
          (2013) 平成25年 4月1日  発行  2500円

       いい御本です。
     <  民間資本による公共事業として >の観点からの考察です。
    < 投資と利益と公共のバランス >など、普遍的問題も、
    現代日本社会の元官僚として、熟考されていて、すばらしい。
       古代日本でもなされた、僧侶による
     < 利他行としての土木 >に、身を正し、縮めるものにございます。

      書評を頼まれてて、あせっています。 (笑)




         駄弁です       残月     合掌

      <  しあわせな  一日で  ございますように  >
      <  清い光が  満ち満ち溢れ  ますように  >
      <  苦しさ  悲しみが  少しでも  なくなりますように  >
      <  あらゆる存在が  大切に  されますように  >

       <  不平・不満・不服のまえに  ひと工夫を  >
       <  心の( つとめ )を  わすれぬように、
               忘恩は、はづかし。
             まづ知恩、そして、報恩できたらいいなー>
       <  まちがい てちがい  かんちがい を少なく  >


       <  御病気の( なかま )の  御回復を   >
       <  御ケガの( なかま )の  御回復を   >

                       失礼いたします。
<  

   
     < ひとり >
     < みんな >。

     そして、 < ひとり >と< ひとり >
     つまり、 < ふたり >の世界も、大切ですね。
   < ひとり >+< ひとり >=< ふたり >

     < ふたり >の世界は、
    親子・男女・師弟・・・・さまざまな形がございます。
      皆さん、考えていてくださいませ。
     どうあるのか?   どうあるべきか?
     ・・・・・・・
     ・・・・・・・


      本筋にもどります。 昨日の、続きです。

   < ひとり >と< みんな >の世界・心境において、

 「 絶対的 ( 区別 ) 」の観方(みかた)、
 「 絶対的 ( 平等 ) 」の観方(みかた)、
   という、2つ観方を、調和的に、平衡(へいこう)的に、
              バランスよく、保てるか?
     ここが、1番、重要です。

   本当に、むずかしい事と存じます。
  でも、やりとげないと、「  世間に 負けた  」事になります。( 笑 )
  「 人生が、人間関係のみで、終わってしまう 。
     この世で、したい事、すきな事、なすべき事、・・・・
    に、「 ( 心 )を 向けれなくなってしまう。 」
    つまり、
    「 ( こころ ざし )を 失い、 
        世間に流されてしまう 」( 笑 )( 笑えない )

    ・  「 欲望に、振り回されない( 自分 )が、ほしい。
            どうしたら よいのでしょう 。
          教えてください。   」  入口の質問箱から。

       この御質問が、まさに、
      「 世間に、振り回されたくない 」と、同じのように感じます。
      そして、「 世間に、流されたくない 」
           「 世間に、負けたくない 」
           「 欲望に、流され・負けたくない 」という、
        < 人間の真心 >の表われのような気がいたします。

  このことは、「 何かを ( 欲しい・為したい )という( 思い・願い )を
         きちんと、コントロールしたい。 」と、いうことでもないでしょうか。
      私たち皆、悩み考える事ですね。

      私たち人間に、とって、大切な問題です。
     さあ、どのように したらよいのでしょうか?




     世間( 社会 )は、< 区別 >が基本だと存じます。
   根底には、< 平等 >が存在する事は、歴然としていますが、
  どうしても、「 < 区別 >が、( 暴走 ) 」 してしまい、
  世間( 社会 )を 乱し、人間を苦しめてしまう。

    昨日の、( 困難 )より( 安易 )へ  向かってしまいやすさ
   の克服をどのように したらよいのか?

     また、「 絶対的 ( 平等 ) 」の観方を、
      どう、修得するか?

            つづく    皆さまも 御考えくださいませ。

        お松さん・お竹さん・お空さん・お梅さんが
     まだ登場してません。( 笑 )  お椿は、どちら?

   
     饒舌になった、駄弁です・・。
                       残月    合掌

   
  <  しあわせな  一日で  ございますように  >
  <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >
  <  苦しさ  悲しさが  少しでも  へりますように >
  <  まちがい  てちがい  かんちがい  しないように >
  <  不平・不満・不服のまえに  ひと工夫  >

  <  人をせめては  ならない  >
  <  全てを  粗末にしないように  >
  <  病院・刑務所の役割が、無くなりますように >

  < ( うそ )がへり、純になり、
         いい出会い(化合)がありますように  >

  < 御病気の( なかま )の  ご回復を   >
  < 御ケガの( なかま )の  ご回復を   >


                   失礼いたします。









                  



















     
    5月24日・・・< ひとり >と< みんな > 5
      22日・・・< ひとり >と< みんな >4・  松竹空  その7




  お松さん・・・・・平等な世界・心境
  お竹さん・・・・・区別の世界・心境
  お空さん・・・・・平等すなわち区別・ 区別すなわち平等の世界・心境


      一番、簡単な事から、考えたく存じます。

     10人の方々が、います。
    年齢が、全員ちがいます。
    10人の方々の、年齢による< 区別 >は、絶対です。
    また、1人・1人の人間( 心・命 )の< 平等 >は、絶対です。

 この10人で、共同で仕事をすると、します。
 この10人で、話し合いをすると、します。
    色々な( 役割 )が出てくるでしょう。
    < 区別 >が生じます。 当然です。
    すでに、( 年齢 )による< 区別 >も認識されてます。

    人間の集団・組織での問題・苦痛・悲劇・・・・は、
  < 区別 >が、( 暴走 )してしまい、
  < 差別 >になってしまう事が多いから、ように感じます。

    何故、( 暴走 )してしまうのであろうか?
    答えは、明白・簡単です。
   
   「 人間の( 心・命 )は、絶対的に< 平等 >である。 」
   という事・見方・考え方を、
   忘れがちであるからである。

       尊敬するロボット博士が、おつしゃられています。
    ロボットに、( ちがう物 )を見つけさせる事より、
           ( おなじ物 )を見つけさせる事は、
         はるかに、むずかしく、高度な機能である、と。
    
     私たちが、( 暴走 )するのは、
 < むずかしく 高度な機能 >をやめているからかもしれません。(大笑)
  < 困難 >から< 安易 >へ。
   互いに、注意したい事にございます。 反省。 ( 笑 )( 笑えない )

              つづく


    昨日、比叡山の( あじゃり様 )御一行に出会いました。
   なんという幸運でしょうか。
    < 聖者が、街にやって来る >如し。
       1000日回峰行のすばらしさを、いつか御話します。


     駄弁です、さわやかに、生きるために。
                  残月    合掌


   <  しあわせな  1日で  ございますように  >
   <  清き光が  満ち満ち溢れますように  >



   <  御病気・ケガの( なかま )の 御回復を  >

         走りながら、時間の追われながら、
                   失礼いたします。

















6-2 嵯峨 < 花の いえ >にて

| コメント(0) | トラックバック(0)
    了以翁の息子 素庵さま
   ( 御命日 6月22日  本墓 念仏寺 )の、
   2人の息子から、<京 角倉>
             <嵯峨 角倉>ができました。

 < 京 >のほうは、「 高瀬川の仕事 」を引き継ぎました。
 < 嵯峨 >のほうは、「 保津川の仕事 」を引き継ぎました。


     <  嵯峨 角倉家の 屋敷  >は、
     現在の、< 花のいえ >でございます。
   教職員組合保養所になっておりますが、どなたも、
      御宿泊・御食事できます。

      近年、全体が新しく改築されましたが、
    400年前の< 建物と庭 >を大切にされています。
   この建物の( 御殿の間 )で、朝食をいただけるそうです。
    また、御庭もすばらしいです。
      近世文化遺産の一つだと存知ます。


   
     先日、この< 花のいえ >で、
   了以翁 四〇〇年忌の、小反省会をしました。
  いいえ、
  御出席の6名の方に、( 大感謝 )をお伝えいたしました。
 本当に、御尽力いただきました、共に、悲しい事にも多く出会いました。
 でも、< 了以翁の 法要・供養 >を厳修でき、
  心より感謝申し上げさせていただきました。
      ( 1名の御方は、御遺影です )
   皆さま方へも、手をとって感謝しなくてはなりません。(笑)



   ・  今年は、まだまだ、京都のいたるところで、
  四〇〇年忌関連の企画が開催されるそうです。
  さすがに、< 了以さまは、大きい >と感嘆せざるおえません。

   
   ・  大悲閣は、仮本堂( 観音堂 )が、ございます。
  嵯峨の建築資材の社長(森田翁)さまの、御一人の寄進でございます。
    昭和53年12月に、本堂解体しつつも、再建ならず、
     寺院存亡 の危機に際し、助けていただきました。
         衷心より、感謝申し上げます。
     おかげさまで、
   < 嵐山 観音 >様は、愚かで弱い私たちに、
   ( 無限の光 )( 千 の 光 )を、そそいでくださっています。


   ・   400年忌において、
     300年忌( 大正時代 )に建立された< 客殿 >を、
     大改修でき、< 倒壊 >の危機をまぬがれた、喜びで
     いっぱいです。
       心から、皆様方に感謝申し上げます。
     
       しかしながら、
      100年前の先人・先輩・先祖の< 御遺志 >を、
     千光寺は果たせてございません。 
      これから、もっと もっと、
     愚僧、身を粉にしなくてはなりません。 大反省です。

        思えば、400年忌の大人物・故 元翁の< 御遺志 >も、
     100年前の皆さま方と同じです。
   < 「  嵐山  観音堂  」(本堂)  の ( 再建立 ) >です。


        元翁の笑顔と きびしい御言葉を 思い出します。
      「 客殿改修で、終わったと 思っては いけないよ。
       本堂再建への、始まりだよ。   いいね。 」

      「 はい 」  。。


    ・    客殿の活用 ( 100年前と、これは違う )

   試案・・・・・・・・沈黙・坐禅( 閑坐 )・断食・1泊( 徹夜 )
         5000円( 本堂 再建資金 )
        1夜定員 5人から   まで  ・・・( 大笑 )(本気)(笑)


     「  心を 透明にするために、
        光が よく通るように。

          時間・空間をこえて、
        < しあわせ >になるために。
        < やさしく >なるために。    」

       ( 試案 ) ( 観音堂 再建 )の 意味・目的です。 



    とても長くなりました、すみません。 駄弁ながら、感謝と共に。

             残月    合掌



   <  御病気・御ケガの( なかま )の  お早い  御回復を  >
          走りながら、失礼いたします。
        






     了以翁  400年忌
  ( その3 )  大悲閣  千光寺 
           5月13日から31日まで。

     31日・・・・・2人

         ・ 東京から、 昨日も、2日連続ありがたし。
          昨夕、了以翁の御墓( 二尊院 )にお参りされたという。
         「 世にいう、( 障害 ) 」について、語られる。

           < この子らに  世の光を  >でなく、
         < この子らを   世の光に  >という教育者の
         言葉を、思いだしました。
           社会全体で、( はぐくみ )たく存じます。


         ・  俳優さん、特に、時代劇です。
           江戸時代の庶民芸能なども、学んでいます。
           京都の演劇塾生さんです。

            先日、< 夏八木 勲 様 >が、亡くなられました。
           日本の代表的俳優の御一人でした、残念です。
           1度、参詣してくださいました。
             衷心より、御冥福をお祈り申しあげます。

            将棋界の< 名人 >も、亡くなられました。
          道心居士が、仕事の最中に、珍しく、参詣者と上って来ました。
        「 和尚。   私にとって、神様みたいな人が、 来ました。 」
           将棋好きの道心居士の笑顔が、浮かんできます。
          残念です。  衷心より、御冥福をお祈り申し上げます。


            < 名人の逸話 >( 新聞より )
          伸び悩んでいた。  若手が、ドンドン、せまってくる。
          ある夜、若者たちと、酒を飲んだ。
        「 ところで、君たちは、オレの将棋を どう思うか 」と
          問いかけたといいます。
          大先輩です、大先生ですから、皆ありきたりの、
          賛辞をのべたそうです。

            でも、< 名人 >は、ここからが、普通とちがった。
        真剣に( おのれ の 将棋 )を、おっていたのでしょうか。
       ビール1本、若者たちの前に、差し出し、再び、問うたそうです。

         「  さあ 飲んでくれ
            さあ、本音を いってくれ 」と。

         顔を見合わせ、とまどっている若者たちは、
        あまりに真剣な態度に、語り始めたそうです。

          「  先生の将棋は、
             もう、古いと、思います 」と。

          「  ・・・・・・・  ・・・・・・・ 」

         この夜から、さらに変わり、成長したとの事です。


      < 私たちも、若者と真剣に交流し、成長しつづけたく存じます >


   ・ < little   earth  >本日より地球儀をおきました。 ノートもです。
         ベルギー ・フランス・オーストリア  welcome  kyoto  japan
  


      ご報告と駄弁です、愛をこめて。    残月  合掌


     <  しあわせな  一日で  ございますように  >
     <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >
     <  悲しみ  苦しみが  少なくなりますように  >
     <  まちがい  てちがい  かんちがい を少なく >
     <  あらゆる物人事が、粗末にされません ように >
     <  不平・不服・不満の前に、一工夫を  >
     <  活かされて、活かして、活きぬく、ように >

     <  御病気の( なかま )の 御回復を  >
     <  御ケガの( なかま )の 御回復を  >


                          失礼いたします。
      





このアーカイブについて

このページには、2013年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年5月です。

次のアーカイブは2013年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。