2010年9月アーカイブ

9-6 忍耐と希望

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長い間、人間とは何か・幸福とは何か、考え追究してきました。 
するとなんと、数千年の歴史に語りつがれ、先人が口すっぱくおっしゃられている、
(忍耐)と(希望)にたどり着いてしまった気がします。
そんな馬鹿な、という気持ちです。ありきたりではないか?でも、やはりそうなのか、大切なことは。

(忍耐)を身につけるには、どうしたらよいのか? 
(希望)を身につけるには、どうしたらよいのか?
逆境にまけぬ・のみこまれない・ふりまわされない、自分をどう作り・保ったらよいのだどうか?

人は、(なすべき事)・(したい事)・(できる事)があり、この三つの不調和に苦るしみ、
幸福をあじわいきれずに、いるような気がします。
三つが調和し、幸福感がもてる時は、おそらく(忍耐)(希望)が、本日は、身についているのでしょう。

比較的裕福な日本人が、生きている事をつまらなく感じ、不満・不安・不服・不平だらけなのは、
(したい事)が多すぎたり、人間として(なすべき事)に気ずかなかったり、日常の小さな(できる事)を大切に
してないからかもしれない。
       嵐山から、悲心をこめて。          道忠  合掌

9-3 葬儀ついて

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   昨日、北白川で葬儀を厳修いたしました。  頭髪を剃り、懺悔し、御仏様に帰依し、仏弟子になる儀式でもあります。   死に対する不安・恐怖・心配の、一義的な問題の解決は、仏教は明白に示しています。  二義的・三義的・四義的問題が、人を苦しめているような気がします。 
   戒名は、仏弟子になつた証です。  無常・無我を体得できなくても、2500年前に体得・自覚なされた釈尊を信じ帰依し、体得自覚後の平安・永遠の安らぎに、入り込みます。  この涅槃の心・境地から流れ出る、暖かくやさしく全てを包み込む(ひかり)の世界と、一つになります。 
  私たちは、 実社会・職業生活を営みながら、さとり(無常・無我を体得)をもとめ続けていく、忍耐・希望を失わないでいきたいものです。  少しずつ慈悲の世界に包まれていきます。 
                  嵐山より                   道忠  合掌

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